脳の構成と精神機能 ―認知と情動―

慶応義塾大学名誉教授  川村光毅

〈司会〉 ただいまより兵庫県精神病院協会・第20回精神医療研修会を開催いたします。(2002年6月15日、神戸ポートピアに於いて) まず、最初に、兵庫県精神病院協会会長・大植先生よりご挨拶をお願いいたします。

〈大植〉 失礼いたします。

 本日は、週末何かとお差し支えのあるところを多数お越しいただきまして、誠にありがとうございます。
 日ごろは兵精協の運営につきまして、何かといろいろご協力、ご理解、ご支援を賜りまして、厚くお礼を申し上げたいと思います。

 きょうはこの研修会、回を数えることちょうど第20回になっておりまして、この記念すべき時に、実は兵庫県精神病院協会の学術を担当しておりました柳沢先生がずうっとやっておりましたけれども、ことしの春開業いたしまして、置き土産の形でこの講演会を段取りしていかれたわけですけれども、今までと多少趣向を変えまして、今まではどちらかというと、臨床を中心としたすぐに役立つというプラクティス中心、あるいは非常に話題性の高いトピカルな問題というのを取り上げる傾向がありましたけれども、一転しまして、精神医学の非常に基本的な問題というものを今回、学問的なにおいの強いものにいたしたわけでございます。日ごろ脳の問題というのは、我々非常に関心が高いものの、日常の業務に紛れて何とか取っつきにくいということがありまして、この機会にしっかり勉強できるんではないかと、楽しみにしております。

 最後になりましたけれども、講師の先生は、斯界の権威でございます慶応大学の名誉教授の川村光毅先生でございます。先生、よろしくお願いいたします。

最後になりましたが、この会議、初回からずうっと吉富製薬様――あえて「製薬」というのが我々はなじみが深いものですから、そう申し上げますけれども――にお世話になっております。数年前からは吉富薬品に変わっておりますし、それから、今回もそうですが、何年も前から住友製薬と共催でご講演いただくことになっております。ずうっと長い間お世話になりましたけれども、改めて感謝申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。どうぞよろしくお願いいたします。

〈司会〉 どうもありがとうございました。
 それでは川村先生、守田先生、よろしくお願いいたします。

〈守田〉 守田でございます。ひとつよろしくお願いいたします。
 第20回の精神医療研修会には、川村光毅先生が、慶応大学名誉教授でおられますが、この会のために講演をしていただくことになりまして、またとない機会と思いますので、しっかり、私も中に入らせていただいて勉強させていただきたいと思っております。

 先生のお名前は、基礎の神経解剖学の研究者の間では、それは先ほどご紹介のように、高名な研究者でございますけれども、私ども臨床の精神科医にとりましては、どういうご経歴の方なのかというふうに思いますので、ここで先生のご経歴を少しご紹介させていただきます。

 先生は千葉大学をご卒業になりまして、大学院で神経解剖学を勉強されまして、それを終わられた後、すぐ秋田大学の助教授になられ、それから、岩手医科大学の教授を経られまして、ごく短い間、岡山大学の解剖学の教授をお勤めになって、その後はずうっと慶応大学の解剖学の教授として、退職されるまでお勤めになりました。そこの小冊子に書いてあるとおりでございます。

 私、先生のもうちょっと詳しいことを知りたいと思っておりまして、調べておりましたら、先生は最初、連合野の繊維結合、特に大脳皮質間の結合という論文を発表なさいましたが、実はこれは、ブレーン・リサーチというジャーナルがありますけれども、このジャーナルに、60ページにわたるような堂々たる論文を発表なさいまして、研究者にとりましては、最初の仕事というのが将来を決めてしまうようなところがありますので、私そのことを知って、川村先生はこういう方なんだなというふうに思いました次第です。

 その後、脳の研究をずうっと展開されていかれまして、きょうはぜひそのお話を伺いたいと思いますが、だんだんと攻めていかれて、大脳の皮質あたりまで上っていかれまして、そして、それだけではなくて、今とても興味を持っておられるそうですが、脳の形態とその精神症状というような、我々の精神医学にかかわるような問題にもコメントされるようになっておられます。実際は精神医学の教科書に書いておられるというふうに、私、ちょっと調べましたら、そういうところが出てまいりました。

 それで、こういうご経歴からしますと、恐らくはもう基礎的なことを、いつも長時間にわたって研究されてきたんだというふうに思っておりますが、これは川村先生に内緒で調べましたんですが、先生が慶応の学生に新聞を通して書いておられる言葉があります。それを皆様方にぜひご紹介しようと思って持ってまいりましたが、学生諸君に望むこととして、まず、第一は、学問においては努力をして事実をしっかりと見なさいと。その事実を学んで、それから実験をして、それから、それを記録して、論文を書くわけですが、最も大事なことは、その背後に事実を支配している共通の原理のようなものがあるから、それをぜひ追求していきなさいということを書いておられます。
 それから、もう一つは、学問をやる研究ですが、研究をやるためにはぜひとも情熱が要るんだということを記しておられますが、私も全くそれはそのとおりであろうなと思って、川村先生がそういう気持ちで研究されてきた成果の一部分をきょうは伺うわけで、非常に楽しみにしておりますので、先生ひとつよろしくお願いいたします。

〈川村〉 ご紹介ありがとうございました。川村でございます。
  この度は、兵庫県の精神病院協会からお招きを頂きありがとうございます。私、大学卒業後、四、五年の間、精神医学を学びましたが、鑑定医(今の指定医)の資格を取得した後は、臨床を離れ、ずっと神経科学の研究をつづけておりました。実は時々当直をしておりました。2年前に退職してから、友達が院長をしている病院に勤めるようになり、新たに勉強を始めた次第です。私が精神科医としてスタートした1960年頃は、クロルプロマジン、イミプラミンの時代でありまして、ハロペリドール(リントン、セレネース)は使われておりましたが、リスペリドン(リスパダール)が出た後の薬物療法を主治医としては経験しておりません。きょうもお話がありましたペロスピロン(ルーラン)を初め、クエチアピン、オランザピンなど最近数種類のいわゆる非定型抗精神病薬がわが国でも使用されるようになりました。これから数年のうちに新しい薬物療法が確立されると思いますが、只今勉強し直しているところです。

  お招きを頂きました時大分考えました。「どうして川村先生が精神病院協会に呼ばれるの」と同僚にからかわれ、返答に窮しました。「精神科医として話をするのではなくて、脳の研究者として話をするんだよ。それにしても少しは精神科医らしくしないとまずいね」と言ったら、「それはよしなさい」と言われました。
  そのような訳ですので、第一部は神経科学のお話をさせて頂き、5分ぐらいお休みを頂いて、第二部で認知と情動の問題をはじめとする精神機能の問題についてお話させて頂き、ご批判を乞いたいと思います。認知、情動、意欲などヒトの精神機能は、即、高次神経活動の問題に直結します。脳の研究と臨床精神医学は結びつかないとよく言われますが、そんなことはありません。難しいだけです。雑誌や国際会議などで今日の情勢を見ますと、私が精神科医になりました40年前には考えられなかった脳の画像解析や伝達物質や薬物とレセプターなどの研究が、精神症状と結びつけて考察される時代に入りつつあることが実感させられます。これからおそらく5年、10年先には、いま想像もできないような進展がみられるように思います。そのような印象を持つだけで、私には展望を講師として語る資格はないのですが、考えてみる価値はあると思いますので、これからお話をさせて頂きます。

  この(図1)は濠上問答といいまして、荘子が橋の上から魚の遊泳を見て、「ああ、楽しそうに魚が泳いでいるな」と言いましたら、恵子が「どうしてわかるんだい」と反論する、そういうやりとりであります。古い心理学では、動物を擬人化してその行動を観察するのが常でありました。動物の行動を主観的に人間の心に合わせて解釈をする。今でもそういう心理学が残っているようですが、そうではない時代にならないと、高次神経活動、すなわち精神活動を客観的に見ることはできないと思います。考えてみれば、これは何も新しいことじゃなくて、客観的に物を観察するという手法は昔からありました。

 これは魚(ハゼ)の脳の写真です(図2)。前方が終脳で、この大きい部分が中脳で、後方に小脳があります。いわゆる大脳に相当する部分は小さく、新皮質はその原始型が爬虫類から出現しますが、魚では未発達です。荘子と恵子の問答に見るように、その魚が互いに情動的な、認知的なコミュニケーションをして行動する。客観的立場から心理学ではどのように解釈するのでしょうか。

  この(図3)の上段はヒト胎児4カ月から9カ月の脳の発達を示したもの、下段は成人の脳で、これを左側から見たものですが、脳溝があり、大脳が非常に発達しています。いきなりヒトの高次神経活動を調べたいといっても、人の脳で実験することはできません。私が大学を卒業した1960年代から70年代頃までは、CTやfMRIなどの高度の技術は発達しておりませんでした。脳のどこが活動しているのかを視覚的に同定できない時代でした。死後、連続切片を作って形態学的に研究することが主体である時代でした。あるいは、ネコやサルの解剖や生理の所見、または行動を観察して、人間ではどうなのかと推察しておりました。難しいから慎重にと言うのですが、どのように慎重であるべきかという内容は言えないほど難しかったのです。

 これは私にとって懐かしい写真で(図4)、1971年にパブロフ研究所に文部省の派遣で6ヶ月間、連合繊維の研究のため滞在しました。レニングラード(今のペテルスブルグ)の郊外のコルティシュという科学村で、パブロフ(1849-1936)が晩年に多くの時間を過ごしたところです。ここでパブロフは、イヌやサルを相手に脳の実験を行いました。究極の目的は人間の精神機能の解明でした。その証拠に、彼は80歳を過ぎてから、市内のワシレフスキー島にある精神医学クリニックで働き、そこで精神科の患者さんを診察し、毎水曜日に医者や研究者と討論し、講演し、治療法を探るという彼独特の研究スタイルを作り上げました(1931年ごろから)。そのようにして、高次神経活動のもろもろの法則を利用して、それらが条件反射の第二信号系にあてはまる場合の特殊性を証明するように努めました。その記録が今残っております。岡田靖雄先生が訳された「高次神経活動の客観的研究」という書物です。そこでは、妄想症、不安症、幻覚症など、臨床的所見と関連付けて、大脳皮質の抑制過程、興奮過程、それらが拡散し、集中していく過程が、人間の精神機能について、その正常および病的な状態について考察がなされております。そして、それを通して有効な治療法について探求し、彼が好んで口にしていた「科学的に健全な心理療法」に向かって歩を進めたいと思っていました。この本を読むとそのことがよく分かります。

 実は、パブロフは10年以上にわたって実験神経症と精神病の研究をしております。条件反射の研究をすすめていた頃の1924年にネバ河の大洪水があり、そのとき実験室内のイヌが異常行動を示しました。このことにヒントを得て、彼はイヌを用いて神経症をつくろうとの目標を定めました。有名な「実験神経症」の研究であります。内村祐之先生が、「精神医学の基本問題」の中で高い評価をされております。現在の神経科学(neuroscience)は、その内に生理学、解剖学、化学、薬理学などの学問の種類があり、各々の分野で、ネズミ、ネコ、あるいはサルを用いてすばらしいたくさんの研究が積み重ねられてきております。そこで得られた成果を基にして、それらを総合して、人の高次脳機能について考察をすることが望まれます。精神医学者、心理学者、神経科学の研究者が協調してやれる時代が遠くない将来に来ると信じております。

 ロンドンのモーズレー精神医学研究所でも、そういう研究が進んでおりまして、例えば「精神医学の神経心理学的な研究」という本がイギリスで出版されております。また、数年前になりますが、北米の神経科学会議で、私の友達の2人の解剖学者と1人の生理学者が、驚くなかれ「精神分裂病とは」というセミナーのシンポジウムで講演しておりました。Ann Graybielは線条体を中心に研究している美人の解剖学者で、Ted JonesはIvineの先生で、視床と皮質の研究者です。それからPat Goldmam-Rakicは皮質連合野の仕事をしている生理学者です。必ずしも精神医学に造詣が深いという人たちではなくとも、下手な遠慮をしないで精神医学に踏み込んで、自分の研究をベースに自分はこう考えると勇敢に発言することができます。いま日本で「素人」がこんなことを言うと精神科の先生に叱られそうですが、新しい時代の到来はそう遠くないでしょう。

 少しテンポを速めます。(図5)にブロードマンのヒトの脳地図(1909)をお見せしますが、20世紀の始めの頃までにいろんな研究がありました。イヌを使った実験結果から運動領が定められ(1870)、失語症を起こす領域もヒトの症例をもとに明らかになりました(1861-1874)。また、皮質連合野が障害されても目立った症状が観察できない、そういう背景が西洋の医学研究にありました。では、どこの領域が障害されると「精神症状」が現れるのだろうか。それには先ず、脳地図をつくらなければならないと。ドイツの精神医学者、ニッスルや、グリージンガーなどは"Nervenarzt"でありまして、脳の病理を勉強するとともに精神医学をやっていました。クレペリンが早発痴呆という概念を提唱し(1893)、その後ブロイラーが精神分裂病群という疾患単位にまとめました(1911)。そしてヤスペルスが精神病理学を打ち立てました(1913)。そういった流れの中で、いわゆるゾマトロジストといわれる人たちが、ブロードマン領野の39野、40野、あるいは45野、10野などがどんな働きをしているのか、それらの領野を結ぶ連合繊維の機能は何かと、当然そういうことを調べる時代になってくるわけです。実験医学の研究はヒトではできませんから、動物を使って研究を進めることになります。この辺の物語は、歴史小説としても、オペラの題材としても面白いでしょう。それはともかく、今日はサルの聴覚系と視覚系についてお話をさせて頂きます。


  私は精神医学の講義を千葉大学で荒木直躬先生から受けました。今から4代前の偉い教授です。脳病理学とともに、脳の科学としての研究の重要性を学びました。松本胖教授の時に精神科に入りました。松本教授から、「幻聴の精神病理学について」というテーマを頂きました。そして、一時期夢中になってヤスパースを初め、いろんな本や文献を読んで勉強しました。一年ほどして先生のところに行きまして、こんなおもしろくない学問はないと言ったら叱られました。では何をやりたいのだと聞かれて、脳をじかに見たいと答えました。それで脳の形態学の研究をする事を許されました。午前中外来で、午後は病棟勤務、出張しない時は夕方から大学院学生として解剖学教室(大谷克己教授)に出入りさせて頂きました。脳には運動野、体性感覚野、視覚野、聴覚野などいろんな領域があります。その大脳皮質領域間の結合の研究をサルでやりたい、できればチンパンジーでやりたいと申しましたら、生意気なことを言うな、ネコでがまんしろ、ということになりまして、ネコの皮質間の結合を研究することになりました。後にヒトの高次神経活動、すなわち精神活動を考察するときにたいへん役に立ちました。先日東京で、認知機能研究会という集まりがありました。ヒトの大脳皮質の領域間の結合はどうなっているのか。ここが障害されるとどのような機能異常が生じるのか。ネコやサルで調べた事実にもとづいて考察した認知機能や情動機能ひいては意欲の問題を精神医学に結びつけることが大切と思える時代になりました。

 神経科学や分子生物学の研究によって、現在では多くのことが明らかになっております。なぜ終脳と間脳と異なる構造が出現するのか。どのような遺伝子が発現して、その結果、神経細胞の種類がどうして異なるように分化するのか。ニューロンが分裂して、移動して、分化して、その結果ある定まった形ができる。そういうことが考察できる時代になりました。2000年に退職しましたが、私も大学に居りましたとき、Pax6やNkx2.1などの転写因子の異常が脳の形態形成にどのような影響を与えるかという仕事をしておりました。例えば、Pax6が欠損すると視床皮質繊維の走行が乱れて扁桃体に投射してしまうとか、Nkx2.1が発現しないと大脳辺縁系のニューロンの発達に異常を来たして、皮質構造が乱れ、前交連が形成されなくなり、扁桃体の形態形成にも障害が出てきます。分子生物学や発生学の知識と、認知、情動、意欲などの精神機能の機構についての研究結果を結びつけるという、総合的な脳科学の実りある研究ができるのは、あと一歩の所まできております。それをやれる体制を作ることが急務です。全部を一人の人間がカバーすることはできませんが、少なくともこの組織のリーダーは、全体を理解して指導できる、そういう人間が求められます。5年か遅くても10年後には、そのようなチームが立ち上がると私は確信しております。

 脳の研究をするに際して、発生学的視点から事実を捉える習慣を身につけることは大切なことだと思います。お配りしました「精神医学の基礎となる知識」というパンフレットをご覧下さい。ヒトの中枢神経系の発達を示した模式図です(図6図7)。学生時代に学んだ神経科学の基礎知識ですが、精神医学教室に入ってから、それを臨床医の目でもう一度見直して、勉強してもらいたいと思って、初心者向けですが、少しかたい本を書きました。中心管が発達して、前・中・後の脳胞が膨らんで、こういう形ができるということを医学部の学生は学びます。どこの障害でどんな病気になるのだろうか。精神科では脳を知らなくても治療はできるという雰囲気が見うけられます。残念なことです。ニューロロジストが考えるように、精神科医も、例えば精神分裂病は、今は「統合失調症」とも言いますが、どのような障害だろうか、あるいはPTSD(トラウマ後にみられるストレス障害)はどこの機能異常なのだろうかと考えて議論する。そうした議論をするなかからヒントを得た若い精神科医が研究してくれればいいので、何も、こうだと教える必要はないんですね、シニアは。方向性を与えればよい。本当にそう思います。精神神経学会でも脳の画像解析の発表に日常的に遭遇します。機能的MRIを撮ったけど、読んで解釈することは必ずしも容易ではない。今から準備して基礎的な勉強をしておくことが大切で、今や脳と精神を結びつけて説明し、そうすることが直接・間接に分裂病や前頭葉の障害を持った精神科の患者さんの治療に結びつくことになります。薬の作用機序からもう一歩研究を発展させて、精神医学の人たちは、脳をシステムとして考えるこの分野にもっと突っ込みを入れていただきたいと思います。

     (ス ラ イ ド、図省略)
  これはネコの外側面の写真で、皮質の一部に熱を与えて小さな傷をつけ、1週間後にWaller変性の現れる範囲を連続切片上で観察する。それで何がわかるかというと、傷を与えた領域から起こる神経細胞の軸索、つまり連合繊維の広がりを研究できるわけです。皮質皮質間結合の構成(organization)についての研究です。この研究にFink-Heimer法とNauta法を用いました。

     (ス ラ イ ド、図省略)
  軸索がWaller変性を起こした組織像を観察します。そして、例えばこの皮質領域の大型細胞が存在する5層、あるいはその上の4層、3層に変性が見られます。傷を与えた領域から、変性が観察されるこの領野まで繊維が投射している。そのように解釈できるわけです。その方法を用いた研究が1950年代から70年代にかけて盛んに行われました。

 当時、ネコを100匹以上実験に用いました。所見結果をシェーマにまとめたのが(図8)です。例えば体性感覚野、聴覚野、視覚野それから連合野があります。もっと細かく言えば、体性感覚野内には腕、顔、足の領域、聴覚野にも高音領域や低音領域があります。ウールジーが40−50年代に研究した素晴らしい電気生理学的仕事があります。すなわち、視床皮質入力の反応を見ると、潜伏時間が短くて、皮質に安定した反応が表われる領域と、反対に、潜伏時間が少し遅れて、不規則で不安定な反応が表われる領域があることを発表しました。それぞれを第1および第2感覚野と名づけたのですが、そのようなところに小さな傷を与えて、その結果起こる連合繊維の広がりを観察しました。その広がりを見て私は非常に驚きました。それを見る前は、例えば、体性感覚野からは聴覚野へも投射があって、それから視覚皮質や皮質連合野にも連合繊維が伸びていて、非常に広汎な結合があると予想しておりました。事実は違っておりまして、体性感覚野は体性感覚野の領域内にほとんどの結合がある。聴覚領は聴覚領だけの領域、あるいは視覚領も同じ領域内に強い結合がある。大部分が同じ感覚領野内の結合であって、異なる感覚領野を結ぶものはほんの僅かである、そういう結果が出たんです。大変興奮しまして、パブロフの水曜日の講義(スレジー、露語、として有名)を読んでみますと、「大脳皮質はモザイク構造をとっているけれども、単なるモザイクではなくて、動的なモザイクである」と書いてあります。すなわち、「瞬間、瞬間にこのモザイク構造が変化し、興奮したり、抑制したりしている。興奮のプロセスがあり、その周囲に抑制のプロセスがあって、その抑制と興奮がダイナミックに変化しており、その変化が統一的に処理されて脳の活動が進行する」と。「力動的モザイク説」と言われるものです。60年代のことですので、今のように画像化して見ることはできませんでした。この所見を見て、よくよく考えて、体性感覚野、聴覚野、視覚野、それに皮質連合野、それらの機能域が、モザイク的でありながら重複するところがあり、それが全体として統一的に活動する。そう考えて、論文を書くときにパブロフを勉強しました。それを討論の処で引用して考察しましたら、レフリーが褒めて、励ましてくれました。体性感覚・聴覚・視覚など複数の異種感覚の脳内興奮が広がり、重複する領域があり、多種感覚領域といっております。私は大胆にも、ここがいわゆる認知の中で最も高次なところであって、信号を信号化するという、高次の認知機能領域に発展し、進化論的に見れば、人の言語野に結びつくのではないかと考えました。(図9)の中S上溝を囲む皮質領域がこの件の部位であり、複数の感覚情報がここに入力され情報処理が行われると考えました。

 この中S上溝周囲皮質領域を2年間位、集中して研究しました。ゴルジ染色を使って細胞の種類と密度と分布を調べました(図10図11)。神経細胞を垂直型、平行型、局所型に分類して、名前をつけました。

     (ス ラ イ ド、電顕像、図省略)
 60年代の後半から70年にかけて、ネコの中S上溝周囲皮質領域にある神経細胞の結合状態を研究しました。変性実験をし、電子顕微鏡で観察して、定量的に調べました。そして、霊長類(サル)の大脳皮質の研究、その上に立って人の高次神経機能を類推するというように進みました。

 この写真(図12)はネコの皮質内に見られた標識された連合繊維の起始細胞です。70年代初期にHRP法が開発されて、細胞レベルで繊維連絡の研究ができるようになりました。ペルオキシダーゼという酵素を脳内に注入しますと、それが軸索終末から取り込まれて、逆行性に細胞体まで輸送されます。切片を作ってベンチジン反応を施し、発色すると、起始細胞が同定できます。先ほど順行性軸索輸送(オートラジオグラフ法)の話がありましたが、これらの方法を用いた神経解剖の仕事が70年代に進展しました。生理学者たちが神経解剖学者の意見を聞かなくては仕事が進まないと言っていた頃でした。もちろん、神経生理学研究者たちの、無麻酔動物(サル)を使って行動パターンを解析するという仕事と相まって進んだわけです。

 実験にはネコとサルを用いました。大脳皮質連合繊維の構成について執筆の依頼を受けて、日本語で総説をまとめました(1974, 1977)。ゲッチンゲンのクロイツフェルト先生から英語で書けという手紙がきました。有名なヤコブ・クロイツフェルト病のクロイツフェルト博士のたしか孫に当たる先生で、マックスプランク研究所の生理学の教授で所長をされておられた方です。クロイツフェルト先生が書かれた「大脳皮質」というドイツ語の教科書に私の模式図をたくさん載せてくれました。英語版も刊行されました。われわれの所見を含めて、当時発表されていたすべての知見を調べて検討しました。

 次に後連合野から前頭前野への投射系に局在性(topography)がある筈だと予想を立て、サルの連合繊維群の構成について調べた結果がこの図です(図13)。ヒトの前頭葉はサルに比べて、非常に発達しておりますが、サルにおいてさえ、後連合野の領域と前頭前野の領域がこのように強く結びついていることが明らかになりました。これは後連合野で処理される種々の感覚系の認知機構と前頭前野で処理され、運動系に変換される前の段階の能動性機構との関わり合いを考察する上で非常に重要な意味を持ちます。

 次に、人間ではどうかという話になるのですが、その前段階として、ネコとサルの連合繊維の構成の比較をしてみました。図解すると、いろいろなことが一目で分かります。ネコやサルの側頭連合野、頂頭連合野、後頭連合野で、これらの領域における求心性(afferents)および遠心性(efferents)の皮質間繊維による結合の様子を調べました(図14図15)。ネコでは前頭前野はほとんど発達しておりません。運動野や感覚野はありますけれども。ですから、点線で描いてあります。この結合はサルになると俄然増えてきます。不慣れの方のために、サル大脳皮質の領域区分の地図を示しておきます(図14a)。

 チンパンジーも使えませんし、ヒトのデータに関してわれわれは、マクロの知見以上のものを持っておりませんでした。ネコとサルの成績の上に立って、チンパンジーの所見を調べて類推するしかない。幸い1940年代のチンパンジーのストリヒニン・スパイクを使った皮質連合繊維の研究が2−3編ありました。ベーリーらものです。これらのチンパンジーの所見結果を外挿して、ヒトにおける大脳皮質間の結合の構成を知ろうと考えました。しかし、動物とヒトの間には脳の発達に大きな差異が明らかに存在します。大脳皮質の構築をネコやサルやヒトで調べたことのある人でしたら、そういう比較をすることはむちゃだということがすぐにわかります。神経細胞の並び方や繋がり方が量的にも質的にも格段に違うからです。でも、とにかく外挿してみようと。ヒトにおける皮質間結合は恐らく斯く斯く然々であろう。恐らくというのは、ヒトでは実験して調べられませんから。ネコではこの辺までしかないのに、サルだとこの辺まである。ヒトの場合はここが発達するとどうなるだろうかと。側頭葉前部と前頭葉腹側部・眼窩面皮質の間を結びつける繊維群は、かなり、サルでは発達している。そういったことを考えながら作図しました(図16図17)。当時、神経学の先生が関心を持ってくださいました。今後、大脳皮質を研究している人たちと、認知科学や情動の研究をしている精神科医たちとがもっと緊密にタイアップして、大きな成果をあげられるようこれからの研究者たちに期待しております。今では、脳の画像解析ができるようになりました。

 視覚領、聴覚野、体性感覚野などが、どのように発生して進化を遂げてサルやヒトの脳に進化し、そこに言語野が形成されてきたのか、そういうことを念頭において作図しました(図18)。これは自分でも気に入った「高度な概念を持たせた」つもりの抽象画なのです。これを学生に講義すると、興味をもって聴いてくれます。人の場合には異なる種類の感覚系の連合野が隣接し、重なり合う皮質領域に言語野ができてきます。この点は、誤解されないように、もっと詳しくデータを提示し、慎重に考察しないといけないのですが、HP(http://www.actioforma.net/kokikawa/)を紹介させていただきますので、この中の拙論を読んでいただけましたら嬉しいです。また、皮質連合野には、いわゆる階層性というものが見られるとして、しばしば議論されますが、なんとなくそれらが段階的に発達するように思えて、なかば漫画化して描いたものです。

     (ス ラ イ ド、図省略)
 脳の局所血流量を見ましても、簡単な計算をしてもらったときに、痴呆の患者さんでは健常人と比較して明らかに減少しています。その形態学的なベースは先に示しました神経繊維のつながり、その活動性の差にあります。

 しかし、そういう認知機能の根底にあるのは、何か情動的な不安感というようなもの、あるいは喜びだとか、そういったものがベースにある。ムンクの「叫び」や「不安」の絵(図19図20)が示すようなものを洞察し共感する心を持たないと、精神医学の症例、例えば不安症とか、強迫症あるいは、アンビバレンツ(両価性)などを理解できないと言って、これも学生たちを煙に巻いていたんですが、いささか良くない教師だったと反省しております。 情動系の話で私が結びつけようと思ったのは、情動表出があるときに、必ずそこに認知的な概念的なものが入ってくるということです。これはどういうものなのか、学生たちに題名をつけさせたんですが、大体合っていまして、実際は嫉妬(Eifersucht)という、その表情がよく表われているムンクの絵です。観念と情動の結びつきがこれらの絵のなかにあらわれているのではないでしょうか。

 この基底にあるのは、扁桃体や海馬の位置する、古い皮質に属する大脳辺縁系であります。情動系(ヤコブレフ回路)や記憶系(ペーペッツ回路)に関わりのある領域で、側頭葉内側の奥まったところにあります。今日は簡単な図(図21)を紹介しただけで、一分停車で通過します。

  時実先生は(1969)実に分かりやすい言葉で以下のように脳の機能について説明されました。すなわち、ヒトの脳の最上層に「うまく、よく生きてゆく」ことに大切な、適応行動・創造行動に関与する新皮質系を置き、最も深いところに「生きている」ことを示す反射活動・調節活動を中心とする脳幹・脊髄系で支え、両者の間に、「たくましく生きてゆく」に必要な本能行動・情動行動を動かす大脳辺縁系を介在させるという生の営みの統合系を示しています。精神分裂病は、脳髄のどの部分が備えている「統合」機能が、どのように「失調」して起こる病気なのでしょうか?その病状は、皮質連合野の認知機能に深く関連するとして、そのアプローチはそれで良いのでしょうが、その根底にあるもの、すなわち情動機能についても認知機能と切り離せないものとして見ておくことが大切で、これからの研究、治療の要となるものと考えます。

 マックリーンは、脳の最上層に新哺乳類脳(neomammalian)、その下に旧哺乳類脳(paleomammaliam)、深い層に爬虫類脳(reptilian)があるという、triune brain(三位一体の脳)と名づけた(図22)を発表しました。私はあまり好きな図ではありませんが、よく引用される有名な図です。 

 このサルのHRPの所見(図23)から明らかですが、扁桃体は側頭葉や前頭葉や帯状回付近の皮質からかなりの投射繊維を受けております。恐怖症やPTSDやパニック発作などの発症に関連する重要な組織です。情動機能と認知機能を関連付けて考察する上で、特にパブロフの第二次信号系の言語機能を備えた高等な動物、すなわち人間の精神機能を云々するときに、重要なポイントになるでしょう。

 次に、新しい皮質(neocortex)から古い皮質(allocortex)へ向かう神経路について見てみましょう(図24)。ネコの段階では、その結びつきが非常に少なく単純ですが、サルの段階になるとこの成分が非常に増えてきます。連合野を含む新皮質は、外界の刺激とを受けて認識し、状況を分析し判断して、能動的行為に変換する性質をもった領域なんです。その情報を情動系に伝えるのがこの図に示されている投射系と考えられます。ネコよりもサルの方が量的にも多いし、一層複雑です。人では、恐らく、奔放に振る舞う情動系がキレないように、手綱をしっかり引いて抑制的に働いているんだろうと、そのような教科書的説明がされていますけれども、そのような単純な説明ではヒトの高次機能を理解することはできないでしょう。

 これは第一部の最後のスライドになります。家族性うつ病の患者の脳で、辺縁系の中の扁桃体と前頭葉の内側部が興奮し、脳血流量がふえております(図24a)。先ほどのムンクの描いたああいった状態ではこの辺が興奮しているのではないかと思います。これでひとまず終わります。

〈守田〉 先生、どうもありがとうございました。
 最初に私にお話をいただきまして、1部と、それにつけ加わったセッションと2つ用意したからということで、1部は1時間ぐらいお話しして、会場の先生方がお疲れだろうから、5分ぐらい実は休憩を兼ねて質問があれば受けるからということでありました。それで、脳の構成と認知、それから、情動、そういうことのお話でしたが、最初私は、個人的には非常に尊敬しておりますが、ああいう写真は知らなかったんですけれども、ロシアのパブロフの研究所の写真、最後はここにおられる先生方と非常にアフィニティーの高いムンクの絵でございます。不安と嫉妬の絵を示していただいたと思いますが、その間にたくさん見せていただいたスライドは、あれは実は1枚のスライドに何年間もかかるような膨大な、恐らくネコなりサルなりの実験が入っているんだと思いますけれども、そこは私たち、臨床家ですから、わからないところはいいとして、ご遠慮なく、いかがでしょうか、この際ぜひ川村先生に伺ってみたいということ。随分夢のあるお話で、ちょっと挑戦的かなというふうなところも含めて、夢、歌、詩のあるようなお話だったというように思うんですけれども。

〈川村〉 大分挑戦的でしたでしょうか。もし時間がございましたら聴覚系と視覚系、特に聴覚系の音楽の問題について、もっと独断的な話をさせていただきます。指定いただきましたら、その時間で終わらせますので。

〈守田〉 そしたら、そのお話もぜひ伺いたいという気がいたしますし、恐らくそこで、おもしろいと言ったら失礼ですが、私たち精神科医に直接関係ある幻聴の話とかが出てくるのではないかと思いますので。
 では先生、続けてやっていただいてよろしいでしょうか。

〈川村〉 はい、途中でブレークして下さって結構ですから。
 

 それでは、聴覚系と視覚系の話をさせていただきますが、これは時実先生が構想された私の好きな絵です(図25)。バイオリンを弾いているとき脳はどのように活動しているのだろうか?1枚の図に簡潔に、見事に示されていて、説明の必要はないと思います。見るところ、聞くところ、情操の部分、運動のところ、全部説明されております。

  感覚系には味覚、触覚、嗅覚などありますが、その中で人間では視覚と聴覚はそのニッチ(生態的地位)を広げまして、非常に発達しています。その発達過程に言語系が関係していると思います。パブロフ流に言うと、条件反射の第二次信号系、つまり言語信号系ですね。第一次信号系は動物一般にありますが、信号を信号化して認知するという機能はヒトにしかありません。われわれはバナナ、あるいは梅干しとか、ものを見なくても、それを聞いただけでイメージがわいてきます。聴覚を失った人などは、触覚や視覚でもって認知するように訓練すれば、ある程度それができるようになるといいます。また臨界期といわれる時期はありますが、脳には可塑的性質が大人になっても、例えば海馬の歯状回の顆粒細胞や嗅覚系の細胞や側脳室壁の一部の細胞などには残っています。 あまり時間をかけられないので、次に移ります。

  聴覚系に比べて視覚系の研究は60年代のヒューベルとヴィーゼルの仕事以来、急速に進みました。どの細かい領域がどんな機能を持っているというようなことが良く分かっております。サルの脳で、色や形とか、ものの動きとか、空間系の認知とか、それらがどの領域に関係するかと言うことまでわかるようになりました。その視覚系の情報の流れを簡単に申しますと、第一視覚領皮質(VI)が視床の外側膝状体から興奮を受けます。外側膝状体には、網膜からの繊維、つまり視神経が入ってきます(図26)。第一視覚領皮質からの流れには、側頭葉にいく系(ventral pathway)と頂頭葉にいく系(dorsal pathway)とがあり、それぞれ物体認知系と空間認知系に対応し、前者は情動系にも関係します(図27)。このように研究が一段と進みました。残念ながら聴覚系ではこういう研究が2年前まではほとんどありませんでした。勿論、内耳から大脳皮質聴覚領までの経路は分かっておりました(図28)。しかし、皮質内の経路についての研究は、やっとこの数年で、ロマンスキーやラウスチェッカーやカースのグループが聴覚皮質内での研究を発表し、注目されるようになりました。(図29)に示されている中核部(core zone)いうのはAIの一部ですが、帯部(belt zone)、その次に副帯部(parabelt zone)と、このように幾つかの領域に分けられますが、この領域毎のニューロンの活動を調べようとしております。非常に残念ですが、視覚系におけるようなはっきりした研究結果はまだ出てないようです。この領域の専門家ではないので、現在進行中の情報が私にはほとんど入ってきませんし、聴覚系の皮質の細かい領域で仕事をされている方は非常に少ないのが現状ですが、聴覚皮質の研究はこれから大いに進展すると思います。視覚系のいわゆる空間認知、運動、色、形の認知などの研究結果を、聴覚系に当てはめて考察することが出来るでしょうか。その類推は大変危険なことのように思われます。まず、確かなデータの蓄積が必要です。第1聴覚領野(AI)では高音、低音など周波数に基づく反応が検出されます。帯部、副帯部では、雑音に反応するニューロンがあり、いろんな種類の様式に反応するニューロンが見られるなど、聴覚系の研究者には知られておりましたが、それ以上深く突っ込めなかった。推測しますと、三和音がどこで形成されるのか、調和音や不協和音とは何なのか、それを時間の流れとしてみたメロディーは脳内のどのような回路が関わるのか、音色やハーモニーを生み出す脳内基盤は何なのか。これから聴覚系の分野でも研究が進んで、いま視覚系の人たちが議論しているレベルに達すると思います。大胆に推量すれば、脳のどこの領域の機能異常で誰もいないのに声が聞こえるのか。もっと大胆に言うと、音楽家は作曲する、あるいは演奏するときに、外から音が聞こえなくても、頭の中で内聴と言われる音が響いているわけです。その響きを聞く、つまり、音楽家、演奏家は、そのトレーニングによって内聴を聞ける人間じゃないと演奏ができないし、また作曲もできない。これは音楽家なら誰でも身につけている"技(わざ)"です。それじゃ、分裂病者の幻聴と音楽家の内聴はどこが違うのか。音がないのに聞こえる、または聞くことができる。討論の時間にフロアの先生方からお聴きしたいのです。

 さて、後連合野から前頭葉へ向かう連合繊維の神経路を通じて、認知された視覚情報や聴覚情報が前頭前野に送られます(図30)。ここで再び情報が処理され、さらに運動系に伝達されます。そうしてはじめて外界に対して、能動的行為が発揮できます。もう一段深く考察すると、前頭葉の情報/活動が後連合野に"フィードバック"されて、音楽の場合には聴覚連合野に"フィードバック"されて、そこに音の響きとして記憶されているものを、ワーキングメモリーを使って、つまり瞬間、瞬間に取り出して、これがいい、これはダメ、また次、というように前頭葉の機能と運動系と後連合野の活動を細胞レベル、あるいは細胞群が構成する機能単位レベルでマッチさせます。このプロセスがうまくつながらない限り、バイオリンやピアノは弾けない筈です。また作曲もできないでしょう。では、この脳内基盤は何でしょうか?サルで調べた限り、前頭前野と、視覚および聴覚連合野との間には結びつきがある。視覚系の場合は分かっていて、こちらが色や形の認知に関わる腹側経路、こちらがものの動きや空間認知に関わる背側経路と言われるものです。もっとも、その腹側経路、背側経路と生理学者が言うのは、もともと、後連合野レベルでの話で、前頭葉への投射までは今のところ考察が進んでおりません。恐らくこの二、三年で必ず進むと思います。聴覚系でも腹側経路と背側経路があり、少なくともこの二つの経路を使っております。実はそれ以外の経路についても考察はできるのですが、説得力ある証拠がでてきて、やがて固められるでしょう。

 最近Fusterら(2000)が発表した興味深い論文があります。サルに2秒間、240ヘルツの音を聞かせます。10秒間何も聞かせない時間をおいて、スクリーン上に赤色を見せて覚えさせます。次に、3,000ヘルツの音を聞かせて、同じように10秒間の休みをおいて緑色を見せます。丹念に調べた結果、或る音と或る色と両方に反応するニューロンを前頭前野で同定したという論文です(図30a。)この何が素晴らしいかというと、前頭前野のニューロン(群)が、感覚様態の異なる聴覚と視覚の間の関連づけに貢献している可能性を示した点であります。このようなpolysensory neuronの存在は、ブルースら(1981)によって後連合野では同定されておりますが、前頭前野での同定はこれが初めてです。しかも、前頭前野というところは、どんな音が聞こえるとか、何色が見えるとかを認知する領域ではありません。赤い色だ、ドの音だという認知は後連合野で行われています。では、前頭前野では何をやっているかというと、緑を見たら進んでいい、赤を見たら止まりなさいと。サルだったら、この色を見たら手を伸ばせとか、この音を聞いたら動くなとか。つまり、その状況や文脈に応じて、与えられた信号の意味づけをやっています。その結果を運動系(能動系)に伝える、そんな機能を持った領域です。その前頭前野で、視覚刺激と聴覚刺激を使って、しかも時間的なズレを持って、その環境の持っている意味合いまで認知するという、しかも複数の感覚様態の認知作用を統合し判別することを示唆するようなニューロンが発見されたということは、非常な驚きであります。

 ちょっと難しい設問があります。後連合野における聴覚や視覚の認知につづく段階は、次にどのように進むのでしょうか。どのような神経回路を介して、前頭葉内で「能動的・創造的性質を持つ」運動系に情報が流れるのか(図31)、考えてみましょう。一方では、第一次運動野から皮質下へ投射する流れがあり、他方では、高次運動野から皮質皮質間繊維を通って、本来「受動的認知系」に属する後連合野などへ"フィードバック"される流れがあるように思います。この考察は、まだ誰もきちんとしたデータを示して行ってはおりません。このような経路があることを、われわれは観察しておりますが(サル, 未発表データ、川村、図32)、音楽家が指摘する「響き」とそれがどのように関わってくるのか。幾つかの情報の中から時間的にワーキングメモリーという機能を使って連続的に取り出し、解釈し、「処理」して、それを運動という能動過程に正しくつなげる。これをどのように成就させるのか。この際、次に何をやるかという時に、蓄積された記憶の貯蔵庫の中から、適切なものを引っ張り出してきてつなぎ合わせるには、如何? 非常に大きな問題です。その問題は東北大学の丹治先生のグループが、前頭前野、補足運動野、前補足運動野、この辺の領域のニューロンの活動を行為における運動連鎖という観点から調べておられます(図31)。先日、サルが数を、いや正確には回数ですが、それをどのように認知するかという非常に面白い丹治グループの論文(2002)がネーチャーに発表されました。1、2、3という序数や計算の認識ではなくて、次に何番目の事象が起こるかという、行為の順序を認識するニューロンが頭頂葉にあって、そのときに反応するニューロンは前頭前野のニューロンとおそらく連結しているという、これはすごい知見だと思います。ヒトの頂頭葉が障害されるゲルストマン症候群で、数の障害、手指の障害、あるいは簡単な計算の障害などの症状が現れますが、今後さらに研究が進んで、精神科の領域でも真剣に取り上げられてくると思われます。

 セーチェノフとパブロフの胸像です(図33, 図34)。私は晩年のパブロフが精神医学の治療面をどのように捉えようとしたかを勉強したいと思っております。当時は、安静療法や睡眠療法が薦められておりました。今、パブロフが面白いよと言うと「ああ、よだれの話ですか」と言われてしまうのですが、そのよだれの定量が脳の高次機能を客観的に反映すると視ることが重要なのです。学生さんにはこのように話をします。セーチェノフ(1829-1905)というパブロフの先生がおりました。影響を受け、私淑したという意味での先生です。クロード・ベルナールの研究室で反射運動の中枢抑制機構の研究をしてきたこのロシアの生理学者は、唯物論的立場から「脳の反射」(1863)という有名な本を書きました。ダーウィンの「種の起源」の出版から4年後のことで、進化論がまだ一般には受け入れられてなかった、いや、強い拒否反応があった時代です。「精神(プシケー)なるものは脳の機能である」という今日では当たり前ですが、帝政ロシア体制下で、当時としては革新的な内容の本でしたので、神の住処を奪う危険な書物として発売禁止となったものです。セーチェノフは英国のシェリントン(1861-1952)よりも32年前に生まれております。シェリントンはご存じのようにエックルスやグラニットの先生で、脳の作用の一つの説明として、多数の反射を有機的に統合して、動的にそれらを積み重ねた結果、運動いわゆる動物の行動が起こる、こうした立場で研究を発展させました。しかし、シェリントンは、大脳皮質のレベルまで反射の概念を進めることは出来ませんでした。パブロフは、セーチェノフの「脳の反射」の概念を発展させて、大脳皮質が関与する条件反射という学説を創り上げました。これから精神医学の分野で益々正当に再評価されるべき人物であるとの想いを込めて、最後にこのスライドを出しました。ネルヴィズムに加えてアミン(図35)やホルモン(図36)など液性伝達の重要性についてもきちんと述べないと片手落ちになってしまうのですが、そして、自分勝手な話もしましたが、私の夢物語だと思って下さい。但し、実現可能の夢であります。これで終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。


     (ス ラ イ ド 了)
〈守田〉 川村先生、ありがとうございました。

     (拍    手)
  最後のお礼を言う前に、先生から是非ということで、先ほどのお話ですが、音楽家はその内聴というものがあって、そして音楽を前頭前野につなげていって演奏しているんだというようなお話もありましたが、私たちここに集まっている者は、人が語る幻聴という体験を毎日のように聞いておる仕事なんですね。したがいまして、先生からの質問に答える義務がありますので、私はどう考えるということでもちろん結構でございますから、ぜひご質問いただければと思いますが。

〈川村〉 幻聴というのは本当に外界で音が鳴ってなくても聞こえるんでしょうか。

〈守田〉 そしたら川村先生、精神病理の人がいますので、僭越ながら指名させていただきますので。
 山口直彦先生、代表としてお願いいたします。先生の幻聴に関する……。

〈山口〉 大変基礎的であり、挑戦的な話、ありがとうございました。
 先生は今、幻聴というのは、もとの何か刺激がないと、ということを言われましたけれども、我々、臨床で経験する幻聴というのは、いろんなものがありまして、例えば音に乗っかってきて、それが意味を持ってくるというようなものから、あるいは雑音の中で何か拾い出してとか、それから、恐らく全く刺激がないのに感覚が思考に結びついてしまったというものとか、いろいろタイプがあって、そう一元的にはとらえられないように、私個人的にはそう思いますけど、非常に興味があって、案外、精神科の臨床家はそういうことを思いながら、もうなれてしまっていますから、そこまでいろいろ深く考えることがないので、これからやはり我々も考えていかなければならないというふうに思っております。

 どうもありがとうございました。

〈川村〉 音楽家に聞こえるあの響きというのは一種の幻聴とも言えるものでしょうか。

〈山口〉 それはどうでしょうか、例えば最近、絶対音感というのが問題になったようですけれども、私の診ていた患者さんで緊張病性の混迷状態というか、うつ状態に周期的になる人がいまして、そういう人は、ピアニストなんですけれども、絶対音感があるんですが、どうも音が下がって聞こえて、気持ち悪くて弾けないというふうに言う方がおられて、そして戻ってくるともとへ戻るようですけれども、そういう経験はありますけど、あまり芸術家の患者さんというのはそう私は診たことがないのでわかりませんが、これから勉強したいと思います。

〈川村〉 ありがとうございました。

〈山口〉 どうもありがとうございました。

〈守田〉 どうもありがとうございました。
 川村先生、視覚系というのは、みんなが言いますのは、ほとんどヒューベルからゼキなんかのところで完成されてしまっている、非常にきっちりわかっているんだというふうに言いまして、聴覚系というのは、先生が言われましたように、ほとんどわかっていないからこれからだよというふうに私は伺ったんですけれども、今の山口先生のお話のように大分近いところへ来ているけれども、やはりそこには大きな溝があるようにも思ったりいたしますが。あいまいな言い方ですけれども。

 きょうは非常にたくさんなことを教えていただいたわけですが、最後にパブロフのスライドを見せていただいて、私なんかはパブロフの翻訳書といえば岩波文庫に川村という人が翻訳したものが………

〈川村〉 川村浩先生です。

〈守田〉 先生とのご関係は………

〈川村〉 親戚ではありません。実はいつも教えていただく先生で、東大の時実先生のお弟子さんで、精神科にも興味をお持ちの先生です。非常にパブロフに興味を持っておられます。

〈守田〉 それから、まず何よりも、パブロフのところへ行っていたのは林髞先生ですね。

〈川村〉 そうですね。慶応の3代前の教授で林髞先生です。グルタミン酸で有名な先生ですが、条件反射学を理解し、それを日本に紹介されました。実は新潟大学の佐武明先生のお父様の佐武安太郎先生、東北大学教授で、有名な「佐武・藤田の生理学教科書」を書かれた先生ですが、その先生もパブロフのところで研究され、研究所の壁に写真も掲示されております。

〈守田〉 川村先生、きょうは長時間にわたりましてたくさんのことをお話しいただきました。改めてありがたく御礼申し上げます。

〈川村〉 質問をお受けする時間がとれませんで、申しわけありませんでした。

〈守田〉 いえいえ。ありがとうございました。

     (拍    手)
〈西脇 〉 本日は川村先生、守田先生、どうもありがとうございました。
 最後になりますが、吉富薬品関西圏エリアマネジャー・延末よりご挨拶をさせていただきたいと思います。

〈 延末 〉 吉富薬品の ノブセでございます。
 本日は本当にこのような歴史のある研修会に住友製薬さんと共催をさせていただきまして誠にありがとうございました。本日、特別講演をしていただきました川村先生、本当にありがとうございました。

 また、座長の労をとっていただきました守田教授、本当にお疲れさまでございました。

 また、本日ここにお集まりの先生方におかれましては、平素より住友製品、そして吉富製品をご愛顧賜り、重ねて御礼を申し上げます。

 さて、私どもは昨年の2月、住友製薬さんが開発されました国内での初の非定型抗精神病薬ルーランを高プロモーションで発売させていただきました。おかげさまで今、我が国で非定型抗精神病薬が4剤そろい踏みをしたわけでございますが、その中でルーランは、処方圏ベースで申しますと、ぎりぎりではありますが、約3位に位置づけております。これもひとえに先生方のご支援の賜物だと、この場をかりて厚く御礼を申し上げます。また、そのルーランに関しますれば、今、全国の大学病院を中心としまして自主臨床研究が順調に進んでおります。それらのデータもまたリアルタイムに先生方にお届けしたいというふうに考えております。
 私どもの夢は、21世紀の精神科医療の、そして精神科の先生方の真のパートナーになることにあります。いろんな情報を先生方にお届けすることによりまして日々研さんしてまいりたいと思います。これからも倍旧のご支援とご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。

 最後になりましたけれども、本日お集まりの先生方の今後ますますのご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げまして御礼の挨拶にかえさせていただきます。

 本日は誠にありがとうございました。

     (拍    手)

                               ──了──



参考文献

Bailey, P., Bonin, G., Davis, E.W., and McCulloch, W.S.:Long association fibers in cerebral hemispheres of monkey and chimpanzee, J. Neurophysiol. 6 (1943) 129-134.

Bruce, C., Desimone, R., and Gross, G.G.:Visual properties of neurons in a polysensory area in superior temporal sulcus of the macaque, J. Neurophysiol, 46 (1981) 369-384.

Creutzfeldt, O.D.: Cortex Cerebri, 1995, Oxford University Press. German edition, 1983.

Drevets, W.C., Videen, T.O., Price, J,L., Preskorn, S.H., Carmichael, S.T., and Raichle, M.E.: A functional anatomical study of unipolar depression, J. Neurosci. 12 (1992) 3628-3641.

Fuster, J.M., Bodner, M., and Kroger, J.K.:Cross-modal and cross-temporal association in neurons of frontal cortex, Nature 405 (2000) 347-351.

Kaas, J.H., and Hackett, T.A.:'What' and 'where' processing in auditory cortex, Nature neurosci. 2 (1999) 1045-1047.

Kawamura, K. :Corticocortical fiber connections of the cat cerebrum, T, II, III, 51 (1973) 1-60.

川村光毅:連合野"の線維結合(I)皮質間結合―サルとネコの皮質間結合の比較と"連合野"の発達についての試論、神経研究の進歩 21(1977)1085-1101.

川村光毅:前頭葉の解剖学―前頭前野の皮質間結合を中心に−、精神医学 27 (1985) 611-617.

川村光毅:連合野間の統合−T. 解剖、新生理学大系(監修:勝木、内薗; 総編集:星、伊藤)、第12巻:高次脳機能の生理学(鈴木、酒田 編)、医学書院、(1988) 284-293.

川村光毅:認知機能についての機能解剖学的考察、 In:認知機能からみた精神分裂病、生物学的精神医学、Vol. 4.(小島、大熊編)、学会出版、(1993) 183-198.

川村光毅:精神医学の基礎となる知識、 脳の形態と機能−精神医学に関連して
精神医学テキスト(上島国利、立山萬里 編)南江堂、(2000) 12-29.

川村光毅:脳と精神/情動と音楽の周辺. 松本元・小野武年編 : 情と意の脳科学―人とは何か―. 培風館, (2002) 280-312.

Kawamura, K., and Naito, J.:Corticocortical projections to the prefrontal cortex in the rhesus monkey investigated with horseradish peroxidase techniques, Neurosci. Res. 1 (1984) 89-103.

Kawamura, K., and Norita, M.:Corticoamygdaloid projections in the rhesus monkey, An HRP study, Iwate med. Ass. 32 (1980) 461-465.

MacLean, P. D.:A triune concept of the brain and behavior, In : The Hincks Memorial Lectures, eds by Boag, T.,and Cambell, D., Univ. of Tronto Press, Tronto, 1973, pp.6-66.

岡本道雄、草間敏夫 編:脳の解剖学 1971 朝倉書店

Pavlov, I.P.:Lectures on the Activity of the Cerebral Hemisphere, (1927) Leningrad. 林 髞 訳、1937. 条件反射学 ―大脳両半球の働きに就いての講義― 三省堂; 川村 浩 訳、1975. 大脳半球の働きについて― 条件反射学― 岩波書店.

Pavlov, I.P. :高次神経活動の客観的研究(第1章−第63章)、1903−1936、ソ連科学アカデミー版、1951、岡田靖雄、横山恒子 訳、(1979) 岩崎学術出版社.

Sechenov, I. M. (1952-1956): Selected Physiological and Psychological Works, prepared for print by the Academy of Sciences of the U.S.S.R., Moscow. Incl. Reflex of the Brain (1863)

丹治 順:脳と運動−アクションを実行させる脳  1999 共立出版。

時実利彦:目でみる脳=その構造と機能、1969、東京大学出版会.

内村祐之:精神医学の基本問題、1972、医学書院。


兵庫県精神病院協会、会報:23 (2003) 3-22、協会より許可を得て、数箇所を加筆・訂正して掲載


補足:サルの連合繊維 (未発表を含むHRP法による自家所見)


補足(2):サルの連合繊維(Nauta法による1971年以前の代表的所見−川村のメモ帳より)