Ⅰ『古代に於ける文学評論の発生と完成』

§古代文学評論の成立
§古代文学評論の完成
§藤原公任の立場(批評家・学者)

万葉集(約四千五百首)
一期 素撲の文学      施頭歌多く読まる。(比較的)
二期 形式の完成     人麿  
三期 内容の沈潜          文学意識発生
四期 爛熟と感傷

歌態
 長歌・短歌(五七五七七)・施頭歌(六十二首 五七七・五七七)
 *記紀歌謡時代の混沌たる形態から次第に要約されて其れに至る。
 ↓
 短歌形式の確立は統一美の意識の成立を示す。
○偶数句→奇数句
*偶数句ではある類型的な感情を述べるには適しているが、個性的な鋭い感情を歌うには、どうしても偶数句では適しない。
○文学意識と反省      雑歌 相聞 挽歌
詩の六義
風 そへうた(間接的表現)
雅 ただことうた(直接的表現)
頌 いはひうた
賦 かぞへうた(直接的表現)正述心緒
比 なぞらへうた(間接的表現)譬喩歌
興 たとえうた(間接的表現)寄物陳思

第一期
 舒明・皇極・天智・天武の諸帝
 鏡王女・額田王女・石川郎女
第二期
 柿本人麻呂・高市黒人・大津皇子
第三期
 山部赤人・大伴旅人・山上憶良・高橋蟲麿
第四期
 大友家持・坂上郎女

§古代文学評論の成立
古今集の歌の特色
一、感情の直接的表現or景象のみたままの表現でなく、それを反省し、理智的に解釈する。 "調"
表現内容上・・・・・・"調"(古今集歌に対する正しい解釈)
○景樹によれば調とは誠実の情があれば自然に現れるものであり、而してそれが自然に技巧ともなるものである。
○彼は技巧主義を退けてどこまでも自然のままの表現を重んじているが、しかし誠実の自然の現れがやがて技巧をなすという所に所謂内容主義(誠実)と形式主義(技巧)とが自らに結びつけているのである。(新古今集を重んじた宣長の技巧の必要である所以をとくのと相違している)
○景樹は、歌は理るものにあらず、調ぶるものなり、と説く。ことわりから入った感動は止むことも速やかであり遠く達することも不可能であるが、調は窮りなく遠く達することが出来る。
*ひさかたの・・・・・・
*秋きぬと・・・・・・
○花をめで、鳥をうらやみ霞をあはれび露をかなしぶあはれ  美
   表現
 
  調(音楽的性質)
六歌仙
○在原業平
○小野小町
○僧正遍昭
○文屋康秀
○大友黒主
○喜撰法師
*貫之にも未だ純粋のもののあわれの文学観は見られないのであるが、そのまことを表現するのに言葉を重んじてくる傾向はすでにみられるものであり、この心とことばとの調和の立場が自ら情趣、調の必要を意識せしめ、そこにもののあはれの立場へ展開せしめたのである。

○編者
  紀貫之 紀友則 凡河内躬恒 壬生忠岑

  主知派 主情派

○時期
 古今集以後 平安中~平安後

§古代文学評論の完成
○文学に対する反省と自覚
蜻蛉日記(道網母)の考えた写実的立場をうけて、清少納言はその立場を自ら創作の上に実行しながら、文学観としては浪漫主義的立場として「もののあはれ」を重んじ、それが更に紫式部の立場にはっきりあられているのであり、更に(藤原)公任に於いては、「もののあはれ」より一歩を進めた象徴的な余情論を意識していると思われる。これはまた、文学形態論としては日記随筆と物語と歌との相関関係を語るものではないかと思う。

*歌には感情の高潮をその動機とするに対して、日記随筆にはその感情を止揚せしめて、自己を反省するところにその製作態度がある。
*蜻蛉日記→「まこと」写実
 枕草子 →「もののあはれ」ものの中に見出したあはれであり、事象にふれておこる感動である。  形式化 限定        表現

紫式部日記
極力めやすきことが主張され調和的世界に美を認む。
○当時女性の批判論
 清納言と和泉式部→非難
 赤染衛門→推賞
 *情熱と才はじけた態度をきらひ、めやすいこと、調和せる感情情趣を推賞した。

源氏物語
現実の理想化 ―― 真実の世界
*真実性まことを根底に有する所の理想的浪漫的精神。宣長の源氏物語の蛍の巻の解釈
○感情的にあろうとする世界を描き、こういう立場をかなり論理的に記している所に、式部の物語観がはっきりしているのみならず、当時の文学観を正しく自覚しておったといえる。

§藤原公任の立場(批評家・学者)
指導的地位
公任の見解は、「もののあはれ」論を肯定しながら、進んで余情論、もしくは余りの心を重んじて居る所に見解としては、紫式部の「もののあはれ」観よりも一歩進めて俊成・定家の幽玄・有心論の生まれ出ずる一つの暗示ともなっている。
歌論 言外の情(余情論) 一、情趣感情  二、理智的
(貫之は一、二、の区別を得ずして二のみであった)
*雑多なる想念を表現しようとするのはよくない。
 歌の格調(なだらか)
*歌語の洗練について余りいやしく又、ただことを歌によむべきことを避くべきである。
(「かも」「らし」避ける)
*歌は日常生活そのままの表現ではなく、日常生活の理想化である「もののあはれ」の世界である。

*後拾遺集の選定のころから、分裂の傾向を示す。

 ○保守派
 「もののあはれ」の分裂
 ○進歩派

二條家の俊成・定家により統一
 二條家の分裂(中世)