春の弥生は桜川、その源の香を載せて

 土浦一高を卒業してはや43年になる。帰郷の時には真鍋台の母校の正門を懐かしくくぐる。私が土浦一高で学生生活を送ったのは、1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)の3年間で「亀城八百」の時代であった。小沢先生の流暢な英語、小林先生に連れていってもらった筑波山での植物採取、入江先生に鍛えられたハンドボールのことや、アプレ(=戦後派)高等数学の近藤先生、源氏物語の百橋先生、それから、憲法、基本的人権、三権分立など民主国家の建設をめざした社会科の教育をして下さった遠藤先生など恩師のイメージが浮かび、お声が聞こえてくる。戦後5年という頃で何故か柔道や剣道が禁止されて野球が盛んな時代であった。そして、世の中はまだ騒然としていた。手元の年表を見ると、朝鮮戦争が勃発し(1950)、原爆禁止の「ストックホルム=アピール」が採択され(1950)、サンフランシスコ条約が締結され(1951)、血のメーデー事件が起こり(1952)、保安隊が設置され(1952)、さらに翌々年(1954)には防衛庁・自衛隊が発足した。野球と受験勉強に明け暮れた感じやすい思春期の心に、これらの歴史的なイベントに出合った貴重な体験として、刻み込まれている。しかし、当時、これらの現実に直面する余裕はなく、漠然とした不安感をもっていたことを思い出す。

 千葉大学で医学を学んだ後、私は大学院学生として、精神医学と神経学と神経解剖学を専門に学んだ。4ー5年間、精神科医として働いた後、精神病の治療のためには、分裂病脳の研究が必要だし、そのために脳の構造と機能を知りたいと思い、基礎医学の教室で研究生活をするようになった。ところで、分裂病や躁欝病はこころの病であって脳の病気ではないと考えている人がいる。つまり、こころは脳以外の場所にあると思っている。実のところ、精神病は脳の病気であるといわれて久しいが、その病気の原因は科学的に完全には解明されていない。私が母校の精神科に入局したのは1962年で34年も前のことであるが、当時全国的にみても、精神病の原因を探るべく脳の研究を押し進めている精神医学の研究室は少なかった。精神病理と精神分析がまだ主流で、いわば、脳の実体に迫る研究のワンスッテップ前の段階で、病態を観察し忠実に記載することが重要とされていた。学問的にも、また、実際面の治療の上でこの重要性は今でも変わりはない。しかし、現在は、この現象学的段階を越えて、病気発症の原因の場である脳のメカニズムを解明しようという実体論的段階にあり、次の病因追究のための本質的認識の段階に向かって進もうとしている。

 現在、私は慶應義塾大学医学部で神経解剖学の教育・研究を行っているが、機会があれば精神医学の勉強をし直して、亡くなった両親の希望もあったので、晩年は患者さんと一緒に暮らし、科学の名において良心的に治療できる臨床医を夢見ている。しかし、このように転身することは容易なことではないだろう。ともあれ、脳の研究は形態を主とする解剖学ばかりでなく、生理学、薬理学、分子生物学などの関連分野と一体となった研究が必要なことはいうまでもない。これらは、学問体系として一つにまとめられて神経科学といわれる。この研究集団は年々大きくなっている。

 おかしなもので、現在私が関心をもっている科学分野で、私の高校在学の頃に発表された国際的な業績について当時見聞した記憶がない。今になって、「ああ、あの頃のことか」と思いを巡らすのである。どのようなことかというと、それらは、神経内刺激伝導の基礎となるNaイオンとKイオンによる「神経興奮」の研究(ホジキンら、1951)、遺伝子の本体である核酸DNAの「2重ラセン構造」モデルの発表(ワトソンとクリック、1953)、筋収縮の分子メカニズムを説明する「すべり説」の提唱(ハックスリーら、1954)である。この時、神経科学と分子生物学の基礎が築かれて、神経の研究は新しい発展の時代を迎えるスタートポイントに立っていたのである。その後、生命科学に対する関心が高まり、それぞれの専門分野で大きな仕事を成し遂げてきた理論物理学者や分子生物学者達がこの魅力的な分野にどっと入り込んできた。非生命体を対象としてきた物理、化学の成果を存分に取り入れて、物質によって構成される生きた細胞の進化の産物である有機体(=生物)を対象として、それまでになかった分子、遺伝子という物質の言葉を用いて基本的な仕組みを語れる研究を進めることができるようになった。因みに、「免疫」、「癌」の研究の次に来るものとして、21世紀は「脳の世紀」と位置づけられている。

  身の程知らずだが、偉大な生理学者パブロフにあやかって、これから数十年間の脳研究のプランを立ててみることも楽しいことではないか!パブロフは、晩年に百年の計を立てたという。後の始末は、若い人たちがやってくれる。夢を託そう。

  振り返ってみると、大学卒業後、精神医学の基礎勉強の後、大脳、小脳、脳幹を中心に神経回路網の研究を約20年間行ってきた。その後の約10年間は、脳損傷後の神経再生の問題に興味を移し、神経組織の成長・再生・移植の研究会をつくり、現在脳の発生の研究を行っている。精神分裂病のメカニズムを解明するためには、単に脳を硬い繊維構造物としてみるのではなく、軟らかい可塑性をもった、ホルモンなどの液性の調節をうける最高に発展した物質の集合体としての脳の発生過程を研究しなければならないと思っている。その立場から、大脳皮質前頭連合野・視床下部・扁桃体・海馬といわれる意欲・情動系を構成する部位の発達に現在興味をもっている。

  脳の形成過程が分子や遺伝子の言葉でようやく語られるようになった。このボキャブラリーは、これからの数年間に、いや10数年の間に、急速に増えて行くに違いない。この過程で、ヒトの高次神経活動の所産である「精神」の問題が科学的に論じられるようになるであろう。

  人間のみが文化や科学の知的財産を次の世代に継承できる。そのためには、まさに人間らしく、社会のさまざまな事象に親しく交わり、身体を、とくに、脳髄と筋肉を鍛えることである。いささかハードボイルドの学究向きの文章になってしまったが、次の世代を担う後輩を意識して母校百周年記念の機会に多少気張って書いたのだから私の意図をくんで読みとって欲しい。

1997年、母校創立百周年記念誌に掲載

川村光毅 (かわむらこうき) 略歴

昭和36年(1961 年) 千葉大学医学部卒業

昭和45年(1970 年) 秋田大学助教授 医学部

昭和48年(1973 年) 岩手医科大学教授 医学部

昭和60年(1985 年) 岡山大学教授 医学部

昭和63年(1988 年) 慶應義塾大学教授 医学部 現在に至る