日本におけるキリスト教(16~17世紀)

1549(天文18年)
 Francisco Xavier ←ジェスイット派の創立者の一人(ポルトガル人)
 鹿児島において布教
 大名洗礼 大友宗麟、有馬晴信、大村純忠

織田信長
 延暦寺(天台宗)・本願寺(一向宗/浄土真宗)に対する反感からキリスト教保護
 京都及安土にジェスイット派の会堂を設置許可。

豊臣秀吉
 zuerst 貿易奨励の見地からキリスト教保護
 zuerst
     大正15年(1587)
     島津氏征伐の帰途、博多に於いてキリスト教禁止令を発し、日本に在留する宣教師をことごとく帰国せしめた。ただし、不禁通商貿易

徳川家康
 zuerst {キリスト教禁止 und 貿易許可。}
 aber貿易を尊重する結果寛大な態度をとらざるを得なかった。このためキリスト教隆盛
 ジェスイット派
 フランシスコ派
 ドミニコ派
 allmalich布教抑圧の態度 宗教行政の顧問・崇伝・林羅山の反対、新教国イギリス・オランダの吹聴、領土的野心アリと、旧教国イスパニア・ポルトガルの。

秀忠
 貿易の利益を犠牲にしても禁教の目的を達成しようとして、貿易港を平戸と長崎に限る。

家光
寛永12(1635){日本人の海外渡航並、外国居住日本人の帰国禁止、従来制限のなかった支那船にも、来航を長崎に限る}
寛永13(1636)長崎港内に出島を築きポルトガル人をここに移す。
寛永14(1637)島原の乱
 天草四郎時貞 原の城
この乱後 癒々キリスト教徒の検挙を厳しくした。踏絵、宗旨人別帳・・・宗門改役
寛永16(1639)ポルトガル船の渡来禁止、長崎のボルトガル人全部放逐、オランダ商館も平戸から長崎に移し、長崎を唯一の貿易港
 これより先、イスパニアは貿易上の争いによって我国との関係を絶ち、イギリスもオランダとの競争に負けて平戸を去る。かくして、オランダと中国とのみの貿易となる。