認知機能の脳内基盤について-視覚と聴覚
(Neural Basis of Recognition ―visual and auditory)

川村光毅

Key words:recognition, emotion, visual, auditory, word
認知、情動、視覚、聴覚、言葉

内容目次:

0.はじめに

1.皮質下レベルの視覚機能と聴覚機能

a)  間脳までの視覚および聴覚の興奮伝達経路

b) LGBに投射する網膜の神経節細胞

c)  MGBに投射する下丘の神経細胞

d)  LGBについて

e) MGBについて

2.視・聴覚関連皮質における情報処理

a) 視覚皮質

b) V1野で判明された特徴的な構造と機能

i)方位選択性
ii)眼優位性コラム
iii)方位(傾き)選択性コラム

c) 他の視覚皮質区分域について

i) V2野(18野)
ii) MT(V5) 野
iii) MST野
iv) 7a野, LIP野, VIP野
v) V4野
vi) IT(下側頭皮質)野:

d) 聴覚皮質

3.霊長類の前頭前野の機能と役割

4.言語機能を獲得したヒトの認知系と情動系 

5.文献


はじめに

  認知機能は情動機能と共に高次神経活動を支える大きな要素である。本稿で考察の対象とする視覚機能と聴覚機能は、霊長類においてコミュニケーションの手段として発達した系である。とくに言語を獲得したヒトにおいて、その精神機能は視覚と聴覚の系に大きく依存している。そのうち研究がより進んでいる視覚系に重きをおいてそれらの脳内機構について基礎医学の立場から比較検討を試みる。

  そのまえに、光と音の物理的性質ついて触れておく。音については空気や水など媒質の波動によって伝播するという波動説が17-18世紀には定まっていたが、当時、光に関しては、「大粒子は赤色、小粒子は紫色」という風に、光の(微)粒子が網膜に光の感覚を与えるという17世紀以来のニュートンの粒子説が有力で、これに対して、「あらゆる現象は物質の運動によって起こる」と主張したホイヘンスは「光を微粒子の運動とみることによっては、光の伝播の速さや光線の交叉は説明できない」として1690年、光の波動説を唱えた。爾来、粒子論者と波動論者との論争が続いたが、19世紀に入り約30年の間は、旧来のニュートンの粒子説が否定されて光をエーテルの運動の波とみるホイヘンスの波動説が復活した。19世紀半ばを過ぎて、マクスウエルは電磁場の理論を展開し、「マクスウェルの方程式」の基本的な結論として、光速度で伝播する電磁波の存在を導きだし、光と電磁気を結びつけた。しかしこの立証は電子が原子の構造と密接に結びついているとして光の粒子性を基礎づけた、アインシュタインの光量子説(1905)の出現を俟たねばならなかった。すなわち、量子の発見(1900)後に、古典物理学の概念がそのままでは微視的領域で成立しないことが明らかになった。次いで、光を含めてすべての物質は粒子性と波動性をもっているとするド・ブロイらの古典論と量子論との折衷である前期量子論の期間を経て、1925-26年、量子論あるいは量子力学がハイゼンベルクやシュレーディンガーらによって理論的に体系づけられた。量子論では、状態と観測量の概念が古典論とまったく異なり、これが量子論の論理構造の基礎となっている。大きさのない1個の粒子を考えるとき、その状態は、古典論ではその粒子の位置と速度によって表わされるが、量子論では粒子的性質と波動的性質とを同時に備えた波動関数で表わされる。

  単純に考えても、構成上また機能上、聴覚と視覚の間には類似点があると同時に各々の特徴を明示する相違点が、原理的に存在することが予想される。この点に注目して脳科学の立場から概略的ではあるが以下に考察を試みる。以下の項目において、項目1.の皮質下レベルの記述はネコの、項目2.と3.の皮質レベルの記述はサルの、項目4.の言語機能関連の記述はヒトの所見を基にしている。

1.皮質下レベルの視覚機能と聴覚機能

a)  間脳までの視覚および聴覚の興奮伝達経路

 動物は感覚器官を通じて外界からの視覚、聴覚、体性感覚、味覚などの刺激を受容し、大脳皮質で分析し、統合されるが、これらのうち視覚と聴覚は霊長類、とくにヒトやサルにおいて構造的にも機能的にも重要な部分を占める。以下に、視覚情報および聴覚情報の処理/認知について比較検討を加えてみよう。

  内耳は外皮の陥凹によって形成されるが、蝸牛殻の基底膜上の有毛感覚細胞が音源から媒質内を伝わる振動を不完全ながら振動数(=周波数)に応じて受容し、聴神経を通って興奮を脳内の蝸牛神経核、上オリーブ核、外側毛帯核、下丘と周波数同調を次第に先鋭化させながら内側膝状体(以下MGBと略す)に伝える。これに対して、視覚性の感覚細胞を含む網膜は発生途上の間脳の一部が突出して生じた中枢神経組織で、光量子(フォトン)をとらえて膜電位応答を起こした光応答は、脳組織である網膜内で縦方向に感覚細胞から双極細胞、さらに神経節細胞へと伝えられ、視神経と呼ばれるその軸索を通って興奮が直接に外側膝状体(以下LGBと略す)に伝えられる。また、網膜内のこの縦方向のシナップス伝達の修飾(抑制性と考えられている)が水平細胞(外網状層内で視細胞と双極細胞との間)とアマクリン細胞(内網状層内で双極細胞と神経節細胞との間)によって横方向に行われている。このように、聴覚系が脳幹内のいくつかの異なる段階で精度を高めながら処理されたいわば最終の情報をMGBに送っているのと対照的に、視覚系では網膜内である程度まで高度に処理された情報を、さらにシナプスを越えた伝達を経ることなく、直接的にLGBに送っている。刺激伝達のlaterality に関しては、聴覚系は脳幹のいくつかのレベルで部分的に左右の交叉があるが、視覚系ではLGBへ至る前に一回だけ視床下部領域で視交叉と呼ばれる交叉がみられる。この交叉・非交叉成分の比率は動物種によって異なり、立体視機能と関連があると考えられる。すなわち、ヒトでは半交叉、ネズミでは約90%交叉、鳥類以下(submammalian)では全交叉する。ただし、魚類では「交叉」を形成せず、左右の視神経が独立して反対側へ投射する。

b) LGBに投射する網膜の神経節細胞

1.  オン中心-オフ周辺型(ON center-OFF surround type, オン中心型と略す):受容野の中心部を光照射すると興奮(脱分極応答を示す)し、その周辺部に光をあてると抑制する領域がドーナッツ状に配列されている。

2.  オフ中心-オン周辺型(OFF center-ON surround type, オフ中心型と略す):受容野の中心部を光照射すると抑制(過分極応答を示す)され、その周辺部に光をあてると興奮する。
これら2つのタイプは、ネコではX細胞(小型でサルのミジェットmidget細胞に対応する)とY細胞(大型でサルのパラソルparasol 細胞に対応する)に大別される。X細胞は静止像を高いコントラストで捉える。すなわち反応は持続的で静止刺激によく応じ、軸索は主として外側膝状体に向かう。Y細胞は標的の動きを受容する働きがあり、反応は一過性で速く動く刺激によく応じ、軸索は主として上丘に向かう。受容野はX細胞より大きいく、伝導速度もより速い。実はこのいずれにも分類されないW細胞またはW型と呼ぶものがあり、その軸索は上丘と外側膝状体に向かう。

c)   MGBに投射する下丘の神経細胞

  下丘より下位の聴覚伝導路の諸核において明らかな周波数局在 (tonotopic localization) が認められ、下丘(とくに中心核)ニューロンでは狭い周波数をもった音の範囲に応答する。下丘は全体として担当周波数の異なる共鳴素子が規則正しく並んだ周波数分析器と考えられ、周波数分析は下丘において完成しているとみなし得る。中心核ニューロンにはGABAニューロンが含まれており、側方抑制機構がはたらいて応答野の狭小化に役立っている。つまり、或る周波数に大きな成分がある場合、その近くにある小さな成分の効果は抑制されて高位の中枢にその情報が送られる。因みに視覚系においても側方抑制の仕組みはみられ、物の辺縁を際立たせて、形態視に役立っている。

d)  LGBについて
LGBは6層構造を認め、深層から1-2層から成る大細胞層(magnocellular layers)と3-6層から成る小細胞層(parvocellular layers)に分けられる。大細胞層はY細胞/パラソル細胞からの入力を受け、小細胞はX細胞/ミジェット細胞からの入力を受ける。また、1,3,6層は反対側の網膜鼻側から、2,3,5層は同側の網膜耳側からの入力を受ける。この際、LGBは網膜上での位置関係をそのまま保持した神経節細胞の軸索を受け取っている(網膜部位再現的構造、retinotopic organization)。LGBの細胞の受容野も網膜における神経節細胞と同様、同心円状で拮抗する中心部と周辺部から成る。小細胞層の細胞の性質は、受容野が小で色対立型、応答は持続性である。これに対して、大細胞層の細胞の受容野は大で広帯域型、応答は一過性で明暗コントラストに対する感度は高い。

  なお、網膜からの出力はLGBを経て第一視覚皮質野(V1)にいたる膝状体系(geniculate system)の他に、上丘、視床枕を経て主にV1以外の視覚皮質(V2, V4, V3, MTなど)にいたる膝状体外系(extrageniculate system)が存在する。また、上丘に向かうものに、シナプスを替えてさらに脳幹部(橋核、網様体、下オリーブ核など)にいたる視覚運動性のものがある。

e)  MGBについて

 MGBは明瞭な層構造を示さない。その大部分は中等大の細胞からなり(主部)、背内側部のみが大細胞性(大細胞部)である。下丘中心核からの入力がほとんどで外側毛帯核からのものもある。周波数分析は下丘レベルで完成しており、MGBでは、純音に対して、音の始まりにのみ発射するON反応や、終わりにのみ発射するOFF反応や、両方で発射するON-OFF 反応をしめすニューロンがみられるようになる。MGBニューロンの示す応答野は先鋭な単峰性のもののほかに、多峰性のものなど種々の特徴を示すものがみられ、下丘からの求心性の情報を受けて第一聴覚皮質野(A1)に中継するにあたり、バラエテイに富んだ応答をしている。すなわち、完成度の高い音の周波数分析をするニューロンのほかに、情報要素を統合することに関係するニューロンも存在すると考えられている。

2.視・聴覚関連皮質における情報処理

  一言でいえば皮質レベルで現れる機能の特徴は、視野上の位置情報や周波数の分析のように単に要素分析的なものではなく、網膜やLGBやMGBなどの皮質下細胞では見られない、特徴ある情報処理機構が加わる。その傾向は後連合野から前頭前野に情報が伝達されるにしたがって強くなる。

a)  視覚皮質 (その区分域や構成については図1-3を参照されたい)

 この10年来、第一視覚皮質野(V1、17野) に送られた情報の認知機構とその伝達について研究が進んだ(Felleman とVan Essen, 1991)。皮質内で視覚情報は少なくとも二つに分かれて処理される。すなわち、対象認知(object perception)および空間認知(space perception) という独立した機能である。前者は側頭連合野へ向かう流れ(ventral stream)で、後者は頭頂連合野へ向かう流れ(dorsal stream)である。このように視皮質中枢では間脳から皮質に到達した情報の内容を選別・整理して処理している。空間認知系と対象認知系の分離の源は網膜のX細胞およびY細胞からの信号にある。すなわち、視皮質内では、① X細胞(網膜)→小細胞(LGB)―空間分解能が高く、色に対する選択性を持つものが多い。 ②Y細胞(網膜)→大細胞(LGB)―対象の動きの情報を伝えるものが多い。このような仕分けをV1野の別々の場所で処理していると考えられている。形態知覚は空間分解能が高く、一般心理学的にV4 野-IT(inferior temporal)野系に関与し、視覚的運動の知覚は時間的分解能が高く、MT(middle temporal)野-7a野系に関与するという考えに一致している。

b) V1野で判明された特徴的な構造と機能

i)方位選択性(orientation selectivity):視床皮質線維が終わる第4層の深部である4C層以外の層にある細胞の多くは、丸いスポット光にはほとんど反応せず、ある特定の方向に傾いたスリット光に選択的に反応する性質で、細胞の種類としては①単純型細胞(simple cell)、②複雑型細胞(complex cell)、 ③端点停止型細胞(end-stop cell)が知られている。単純型細胞は、刺激開始時に反応するON-(受容野)領域と刺激停止時に反応するOFF-(受容野)領域が分離している。複雑型細胞は、受容野内の刺激に対してONとOFFの両方の反応を引き起こす。端点停止型細胞あるいは従来の超複雑型細胞は、スリット光を長くすると反応が抑制され、受容野よりもずっと短いスリット刺激に強く反応する。

ii)眼優位性コラム(ocular dominance column)
皮質内に見られる約500umの皮質表面に垂直方向に柱状に配列した細胞集団。同側LGBからの軸索は、4C層の細胞に右眼由来と左眼由来の情報をこのコラムの幅内にきれいに並列して伝える。

iii)方位(傾き)選択性コラム(orientation column)
方位選択性(orientation selectivity)細胞のうち、似た方向に応じる細胞が、皮質表面から深部に垂直方向に並ぶ柱状の細胞集団。

c) 他の視覚皮質区分域について

i) V2野(18野): V1から入力を受ける。ヒトでは月状溝と下後頭溝の後壁に沿って帯状に広がる領域である。チトクローム酸化酵素の分布では、CO縞構造(thick and thin stripes)が認められる。この縞構造は網膜の神経節細胞(Pα とPβ)→LGBの大および小細胞層→V1の第4層細胞→V2の太および細の縞、各々、大および小細胞経路(magnocellular & parvocellular or M & P streams) と結びついている(Hubel と  Livingstone, 1987)。また、M経路はMTを経て頭頂葉に向かう背側経路になり、P経路はV4を経て下側頭葉へ向かう腹側経路となる。前者は動き・視差など物体の運動や位置の情報を処理し、後者は形・色など物体の同定に関する情報を処理する。この説は批判を浴びながらも今日において視覚系認知の考え方の基礎になっている。

ii) MT(V5) 野(middle temporal area, 当初STSと呼ばれた): V1野から頭頂連合野への経路の一部として位置づけられている。MT細胞は、90%以上が、その最適刺激の運動方向と向きに従ってコラム構造をとっている(運動方向性コラム、direction selectivity)。MT野の細胞の2/3 が両眼視差に選択性を示す。

iii) MST(medial superior temporal area)野: MT野から入力を受け、両眼視差選択性細胞に加えて奥行きの変化に選択性のある細胞もみられる。視覚情報を利用して行う眼球や手指の運動の形成に関わっている。

iv) 7a野, LIP野, VIP野: 体性感覚と関わる。ここで、網膜部位再現座標から空間座標への変換、すなわち網膜のどの位置が興奮したかを示す座標系から自分自身の頭や体を基準とした空間座標への変換、が行われる。この障害で視覚性運動失行(optic ataxia)が起きる。

v) V4野: 下側頭皮質へ向かう経路の重要なステップとなる中継野である。色選択性(color selectivity)の細胞が高頻度に存在する色の情報処理に関与する領域である(Zeki, 1983)が、形や図形パターンに選択性を持つニューロンも含まれる。

vi) IT(下側頭皮質)野: 後半部のTEO野と、前半部のTE野から成る。後述の視覚性物体認識に関与する腹側経路はV1野→V2野→V4野→TEO野→TE野と表せるが、TEO野とTE野で有効刺激図形の複雑さが異なる。TEO野には線分やスポット(点)にも反応する細胞が中等度に複雑な図形に反応する細胞に混じっているが、TE野の細胞の多くは複雑な図形特徴を抽出して反応している。また、TE野には幅400umのコラムの中に、似た図形に刺激選択性をもつ細胞が集まっていることが知られている(Fujita ら、1992)。

図1 視覚野を中心に脳溝を展開したサルの大脳皮質領野の構成を示す図。彩色部分が視覚関連領域。Felleman と Van Essen, 1991、より転載。本図およびこれに続く図に見られる領域区分を表す記号の説明については、必要に応じて本文中に記載した。

 

図2  サルの大脳皮質視覚野の区分域を示す図。右半球外側面で頭頂間溝、月状溝、上側頭溝は展開されている。福田と佐藤、2002(Sakata ら. 1997より改変)より転載。

 

図3  サルの視覚情報伝達経路の階層的構成を示す図で、細区分された領域間の結合が複雑に線で結ばれている。斉藤、2000(Felleman と Van Essen, 1991、より改変)より転載。

 

 d) 聴覚皮質 (その区分域や構成については図4および図5を参照されたい)

 聴覚系においても認知・識別における時間や空間の情報の統合処理機構が存在する(後述)という仮説が発表された(Romanski ら、1999; Kaas と Hackett, 1999)。すなわち、サルの聴覚皮質も、①core域(A1; auditory core area, R; rostral area, RT; rostrotemporal area), ②belt域(CL, ML, AL), ③parabelt域(STGc, CPB, RPB, STGr)に区別される。最近端川(2002)はこれらの領域を含み他の皮質連合野との関連について、形態学的考察を加えた。また、Natureの最新号には、神経科学者が音楽の研究にとくに注目し始めたという記事 (Abbott, 2002) やキメラ音を合成して聴覚知覚の二成分性を解析するという論文 (Smith ら、2002)が掲載された。聴覚系認知において純音と複合音、協和音と不協和音、調性と変調、さらに時間的連続性として表わされるメロディーなど種々の性質をもったニューロンの群が特定の皮質部位に集合し、おそらく同類のものが柱状に配列し、その結果機能的、形態的に独立した領野に区分されると想像される。今後、ニューロンレベルで詳しい機能的検証がなされるであろうが、①→②→③と聴覚情報処理の内容が高められつつ、背側と腹側の二つに分かれて進行すると考えられる。そうであれば、点や線分の認知、色の識別、運動方向選択性応答、形象の弁別と進行する視覚情報処理系(Desimone ら, 1985; Baizer ら、1991)の“階層性”と類似している。しかし、生理学的分析の結果、視覚と聴覚との間にかなりの類似点を認め得る(川村、2002)にしても、これまでに指摘してきたように視・聴覚間における刺激伝達の構成上の差異が存在することもまた明らかであり、また、「音と色彩との間の誤った類推」および「芸術を考えるにあたって物理的な考察が非常識な結論を導き出す危険性」についてのルソー(1781)の警告を想い起こすまでもなく、この点に関しては慎重に考察されるべきであり、将来の研究に俟たねばならない。このような現況において、高次神経活動としての精神現象を研究するなかで、これから益々この分野の重要性が強調されるに違いない。

図4  サルの大脳皮質聴覚野の区分域を示す図。左半球外側面で右の図は聴覚領を拡大して示している。Romanski ら, 1999、より転載。

 

図5  サルの聴覚情報伝達経路の階層的構成を示す図で、細区分された領域間の結合が複雑に線で結ばれている。端川, 2002、より転載。

 

3.霊長類の前頭前野の機能と役割

 前頭前野は能動的活動に関わり、物事を計画し、実行することに関与する脳の領域である。後連合野からの多種感覚性の入力が前頭葉の運動性言語野およびその周辺の領域に至り、音や形の内容が解釈され、その結果が能動的に表現され得る。その経路は、感覚野→後連合野→前連合野→高次運動野→第一次運動野となる。高次運動野には運動前野(6野)、補足運動野(6野内側面)、帯状皮質運動領が含まれる(丹治、1999, を参照)。

  視覚系で研究されている背側および腹側神経路(dorsal and ventral pathways)(Goodale と Milner, 1992) が、聴覚系においても最近Romanski ら (1999) によって提唱された。視覚系について言えば、LGB から第一視覚領皮質(17野)に達した興奮は、さらに5野、7野へと向かう背側路と、TEO,TE,TG域へと向かう腹側路との二つの経路を通って進行することが知られている。Goodale と Milner (1992) は、背側の流れは視覚-空間認知 (「where」 何処) (後に「how」, 如何に、とも提唱された)に関連し、腹側の流れは円・三角・顔貌などの対象認知 (「what」 何) に関連し、さらに情動とも関係をもつ。これら後連合野におこる視覚認知・認識は多様性に富んでおり、連合線維の働きによってニューロンレベルで多様の組合せが成立し、調和した活動が起こったとき、人物、風景のobjectが描かれる下地が準備されたということになる。

  視覚系や聴覚系の情報は、後連合野で受容され、処理された後、目的行動の遂行のためには、適応的な運動形態に変換されねばならない。それらの情報が前頭前野内で組みかえられ(convert) 意味づけられて、能動的行動へと進行する。その意味で視覚および聴覚の後連合野から前頭葉への二つの投射経路を考察することは重要なことである。
「背側経路」についてみると、頭頂葉と運動前野のニューロンの応答特性にかなりの類似点がみとめられるが、この経路を経由して空間情報が送られ、それが運動のプログラミングに利用されている。またワーキングメモリーの空間的タスクの遂行にも関与している。視空間、音空間から運動空間への写像変換(conversion)がこの経路を用いて施行され、その運動を行うための視覚情報処理経路と考えられている(Goodale と Milner, 1992)。次に、「腹側経路」ついてみると、視・聴覚情報が側頭葉前部に伝わったのち、鈎状束を通って前頭前野の腹側部あるいは眼窩部に投射しているが、これらの皮質領野は扁桃体と相互に結合しており(Kawamura と Norita, 1980)、情動回路に関与する皮質部位である。この腹側経路で運ばれる形象や情動に関わる情報は、背側経路経由の空間情報と比べて運動系との関連は間接的でより複雑な情報を伝達しているようにみえる。視・聴覚刺激が運動情報に直接的に変換されるのではなく、前頭前野の前頭葉腹(外)側部(10野)のニューロンを発火させて、情報を処理した後、それを運動系に伝達させていることが連合線維の構成を調べた形態的知見(川村、1974,1977を参照)から推論される。
このように、前頭前野は視覚系や聴覚系のような種々の感覚系大脳新皮質領域と結合している。さらに、海馬や長期記憶にかかわる他の皮質領域とも関連している。さらに、運動のコントロールにかかわる皮質のいくつかの領域と結合しており 、自発的行動への変換、すなわち能動性の発揮に関与している。また、とくに前頭葉の下部の眼窩領域は、報酬情報ついての判断に関わる短期記憶に関係し、この部位の損傷を受けた人は情動的表出に対して無関心になる。さらに扁桃体ならびに前帯状皮質とも密接に結合しており、扁桃体による情動処理と新皮質の感覚領ならびに他の領域で処理される情報とをワーキングメモリーとして関係づける役割を果たしていると考えられる。 

4.言語機能を獲得したヒトの認知系と情動系 

  動物の高次神経機能の主要な要素を構成しているものとしては、認知機能のほかに、情動機能がある。ヒトの段階では、これらの機能が新皮質連合野の著しい発達に基づく言語を介した精神活動として、他の動物とは質的に違った表現形態が表われる。感覚的知覚・認知から簡単な弁別学習の経過をへて、言語を媒介とした抽象的思考の段階に進むためには、連合線維の構成上、後連合野から前頭前野への強力な入力が必要となる。このときヒトの脳は社会的接触と労働を通じて発達していく。この過程で前頭前野内に能動的性質をもった領野が新しく形成されてくる。この段階になって初めて概念を形成し判断を下し、推理を試みるという思考能力を備えた前頭葉皮質が発達してくる。パブロフ(1927)は感覚、知覚認知と言語活動の関係について考察し、ヒトと動物に共通する感覚を「第一信号系」と呼び、ヒトにのみ特有のものである言葉を、感覚の信号という意味で「第二信号系」と名づけた。ヒトの主観的世界の中で、客観的実在を思いうかべる記号としての言葉の認知と理解(感覚的構語機能、いわゆる Wernicke 言語中枢において)ならびに活動として何らかの物理的媒体を通して他人に伝達しうる言語の構築(積極的構語機能、いわゆる Broca 言語中枢において)はともに自然科学の対象となりうる。

  われわれは、外部環境および内部環境に関する情報のなかから生体にとって意味のある情報を認知し、過去の体験や記憶情報と照合して、その事象が自分にとってどのような意味をもつのかを判断している。このような記憶や情動は海馬や扁桃体を主たる構成領域とする大脳辺縁系の機能と密接に関係している。海馬は、環境への定位に関する「新しい」情報を、新皮質に蓄えてある「古い」保存情報と照合させながら、記憶すべきものとして定めるという役割をもっている。これが行動と結びつくとき、探索活動として現れてくる。パブロフによれば、探索活動とは定位(または詮索、)反射(「これはなんだ反射」の別名がある)を基礎にして形成された複雑な反射活動である。

  他方、扁桃体は、主として側頭連合野と前頭前野眼窩面皮質を含むかなり広範囲にわたる皮質連合野と相互に連絡しており、互に情報を交換することによって、直面する外界刺激と情動とを連動させて意味づけをすることを可能にしている。つまり、日常に起こる本能的・情動的な出来事や事象・物体などの価値判断や評価を行っている。海馬からくる空間的事象に関する連合記憶の情報は、扁桃体にも入力され、さらに、視床下部を中心とした情動性神経回路網の内に取り込まれる。このように扁桃体は、快、不快の情動の発現を惹き起こす要(かなめ)となっている。
筆者は認知/認識と情動/感情との不離不則の関係について以前から指摘してきたが(川村、1993, 1999a, 1999b)、意識過程のレベルを直視した踏み込んだ考察をしていない。知覚、認知、記憶、情動の問題を関連づけて納得のいく考察をするには、無意識/意識の形成過程を視野に入れてそれなりの準備をしなくてはならない。他に押しつけることになるが、将来の設計としてこの問題を概括したLeDoux (1998)著「The Emotional Brain」の最終章を一読されたい。なお、情動と意欲の脳科学および精神科学に関するわれわれの最新の成果は「情と意の脳科学」(松本元, 小野武年、2002)としてまとめられた。


おわりに、認知機能と情動機能の関連-視覚系と聴覚系の比較-を彷彿させる戯曲の一部を紹介してまとめとしたい。

 シーザーの葬儀の際ブルータスは、「シーザーを愛することの少なかったのは、ローマを愛することの大なるが故」とローマ市民を前にして演説し、暴君の暗殺に加担した理由を民衆のため、民主的政治の確立のためであるとして、脳の知的な認知機能に基づく理性に訴えた。これに続くアントニウスの演説はこれと対照的で実に巧みであった。「わたくしはシーザーを誉めるためにここに立っているのではない。葬るために話をしている。」「ブルータスは公正無私の人である。」という言葉で始め、棺に横たわるシーザーを覆っている血にまみれた白布を、その遺体からサット剥ぎ取った。無残な光景を民衆の前に曝して、声を次第に高めながら描写風に殺害の現場を語った。シーザーは遺言の中でローマ市民に財を与え、如何に愛していたかを語り、涙を流し、情に訴えて民衆の心を動かした。「ブルータスは公正無私の人である」という言辞が三度繰り返されて、終には同じ言葉が「ブルータスは腹黒い恩義知らずの男である」と同義に響かせてブルータスに対する憎しみに変えて民衆を煽動したのである。また、シェークスピアはシーザーに興味深い言葉を吐かせている。「3月15日に用心せよ」という不吉な宣託の声を聞いた日に、腹心のアントニウスに向かって「キャシウスに注意せよ。彼は観察好きだ。本の虫だが音楽は好きじゃない。 そんな男は危険だぞ」と諭して、陰謀の中心人物の性格を見抜いている。

  人間の精神の歴史に、言葉を巧みに操り、言葉による表現能力をその高いレベルにおいて展開させることによって弁論・修辞法の体系を樹立したローマの人々と、華麗な言語の華を、つまり言葉によって描き上げられた世界を作り上げて、かつ、単に言葉のみならず、言葉に比してより心の情に深く関わる音楽が人間性にとって重要であることを説いたシェークスピアと、何れも、人間の言語と情動と行動とが不可分であることをその作品、その言葉によって実証した。と同時に、このことは次のことを証明する―認知機能と情動機能は医学・心理学的に分けて考察し得ても、実際には一体をなして分離し得ないものであり、その一体となって働くものが「脳」であり、脳によって形成される「人間」そのものである。

 

5.文献

Abbott A : Music, maestro, please!  Nature 416 : 12-14, 2002

Baizer JS, Ungerleider LG and Desimone R : Organization of visual inputs to the inferior temporal and posterior parietal cortex in macaques. J. Neurosci. 111 : 68-190, 1991

Desimone R, Schein SJ, Moran J, Ungerleider LG : Contour, color and shape analysis beyond the striate cortex. Vision Res. 25 : 441-452, 1985

Goodale MA, Milner AD : Separate visual pathways for perception and action. TINS 15 : 20-25, 1992

Felleman DJ, Van Essen DC : Distributed hierarchical processing in the primate cerebral cortex. Cereb.Cortex 1 : 1-47, 1991

Fujita I, Tanaka K, Ito M et al. : Columns for visual features of objects in monkey inferotemporal cortex. Nature 360 : 343-346, 1992

福田淳、佐藤宏道 : 脳と視覚―何をどう見るか. 共立出版,  2002  

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精神医学 44/8 (2002) 827-837(医学書院)より許可を得て転載。