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 昭和五十二年、五十三年度の日本学術振興会の国際共同研究計画に参加を認められて、ノルウェーの首都オスロに出張し、討議と総説の執筆を中心とする研究を行なった。五十二年の冬に三ヶ月間と昨年の春に三ケ月間の二回にわたった。与えられた研究課題は「視覚および聴覚刺激の小脳皮質への伝達経路に関する軸索流を用いた実験解剖学的研究」で相手側はオスロ大学のブロダール教授で、研究協カ者はワルベルグ教授、ホデヴィク先生、端川勉先生から構成された。

 小脳への知覚性伝達については体性知覚や平衡覚の領域では解剖生理学的に詳しく調べられているが、視覚や聴覚の刺激伝達に関する研究は数年前にブロダール教授とこの共同研究の可能性について討議した頃はきわめて少なかった。ブロダール教授の盛岡滞在、私のオスロ滞在、研究の期間、共同実験の必要性、研究補助金の獲得、成果の発表の方法などについて話し合い共同のメモを作成した。研究室の机に向かって、山を散歩しながら、またグラスを手にしながらパーティーの席で。私にとって懐しい想い出である。

 結局、私が得た学術振興会の補助金の出張期間期限と私も三ヶ月以上の長期出張は困難な状況にあったので、またブロダール教授の側の都合もあり、両サイドでの独自の研究の範囲と方法を定めて各々が独立した原著論文を発表したのち、私がオスロに短期間出張して両研究室で得た資料を検討し集中討議したのち二人で総説を書こうということになった。

 以下の文章を滑らかにするために、ブロダール教授をアルフと愛称で呼ばせていただく。アルフは神経解剖学の教科書改訂の仕事を同時並行させながら私を叱咜激励してくれた。学問上も私的生活でも私は彼を父のように尊敬している。私は、所見を検討し、文献を調べ、必要な図表を作り、考えて草案を書いた。いつも不充分な考察で文章は大巾に訂正、加筆された。私の甘えた態度をみてとったアルフはこんなことを言った。

 「今日は頭が破裂しそうだ。週末静かに考えてみよう。私の原稿は見せない。英語が問題ではない。センスが問題である。書いたものを来週比較してみよう。君は共著者なのだから。」また、「総説を書くときの態度は原著論文を書くときとはおのずから違う。中心をしっかりと据えて、本筋を失わないようにそれに沿って論を進めていく。いくらでも支流がひろがりそのため中心論点がぼけてしまうことのないよう注意するように。中心から逸れているものはカットする。必要なものは脚注をつけるように。」「ノートを作ってからまとめるという方法は広がりすぎる危険性をともなう。大事な点を数行にまとめてノートしておき、それを中心の筋にとりこんで考察していくように。いつも焦点が何かをハッキリさせておくことが大切。」など、貴重な教えを受けた。私が睡眠不足や運動不足で脳髄が働かないとみるや、散歩や日光浴をしながら勉強しようと誘ってくれて、インゲル夫人の心のこもった昼食や夕食に招いて下さった。アルフは、絵を描き、フルートを奏し、大工仕事や庭いじりもされる。抱擁力のある人間味豊かな魅カにあふれる暖かい人柄に接して私は幸福であった。

 アルフは、彼の家で勉強したりするときには、息子のように、生徒のように私が振舞うことを許してくれたが、大学での仕事中はお前は同僚だとして厳しかった。徹夜に近い準備をしなくてはならなかったこともたびたびだった。そんなときアルフは私の挨拶にこたえて、「髭を剃ってから苦行を開始しようではないか。」などユーモアをとばして私の緊張をといてくれた。実際帰国後まで仕事をもちこしてしまったが、この苦しい、しかし楽しかった、共同作業の成果は、エルスビア社から「The Olivocerebellar Projecton: A review」と題して出版されることになった。

 British Medical Journalにこんなことが書いてあった。「書くことはたやすい、という人を信じるな。例外を除き、著者は生まれつきではなく作り出されるもので、自分と紙とのいたましい葛藤の末、形成される。実験したり症例を集めるのは、得られた成績を書きあげるのに比べたら、子供の遊びにしかすぎぬ」(細田峻、医事新報二七六五号より訳を引用)。私自身、昔、実験に追われて標本ばかり眺めていて論文が書けなかった頃に、先輩から「優雅な学究生活だね。」と責められた経験がある。
 考えてみるとこの数年間、私自身たいへん忙しい毎日だった。三田学長、小原副学長をはじめとする大学当局の方々、解剖学教室の皆さんの御理解と御援助、それに家庭生活で苦労をかけた妻や娘に対し、心から御礼を申し上げる次第です。一九八〇年の正月を迎えるにあたり郷土の詩人、石川啄木の歌を二首、

 何となく、
 今年はよいことあるごとし。
 元日の朝、晴れて風無し。

 新しき明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に
 嘘はなげれど-


(岩手医科大学月報、第196号、1980年1月、より転載)