条件反射(I.P.Pavlov-その2)

条件反射の研究はレニングラード郊外にパブロフのために建てられたコルトゥシ科学村のパブロフ記念生理学研究所で行われた。1971年に政府・科学アカデミー交換留学生として6ヶ月間滞在した懐かしい所である(川村光毅)。

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2階左がパブロフの部屋(パブロフ記念生理学研究所)

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沈黙の塔(実験医学研究所)

目次

パーヴロフ I.P.PAVLOV 1849~1936(373)
学習と条件反射
条件反射
無条件反射
本能
大脳皮質
パブロフ -その生涯と業績-
宏大な思想をもった陽気な楽天主義
<弁証法的一般化と定式化の問題>
条件反射CONDITIONED REFLEX
信号系SIGNAL SYSTEMS (230)
無条件反射と条件反射
セーチェーノフ1829~1905 (265)
パブロフの理論と科学的唯物論のいくつかの原理(I)
パブロフの理論と科学的唯物論のいくつかの原理(II)
機能的精神疾患の理解をめざして
精神分裂病の分析―機能的精神疾患へのアプローチとその概念

パーヴロフ I,P,Pavlov 1849~1936

ソ連の生理学者。条件反射を発見し、実験的な大脳生理学の道をひらき、また唯物論的心理学の基礎をおいた。ベテルブルグ大学で生理学をまなび、ドイツで実験技術を習得、軍医学校教授となる。革命後レーニンの援助をえて、アカデミア付属生理学研究所長となる。かれが初期におこなっていた研究は主として循環生理、消化生理で、すでに1904年、消化液分泌の神経支配にかんする研究でノーベル生理・医学賞を受けた。1902年、唾液が外に出るように手術した犬で唾液腺を研究中、飼育係の小使の足音で犬が唾液を出すことに気づき、条件反射の研究に着手。1923年研究を集成して発表。晩年には睡眠、本能、神経症の研究をすすめた。多くの門弟が輩出し、条件反射の研究は、国外ではとくに日本の生理学界とアメリカの心理学界で盛んとなった。.

学習と条件反射

パブロフ:
イワン・ペトロ-ヴィッチ・パブロフ 1849年9月26日~
リャザンの牧師の家に生まれる。

イワン・ミハイロヴィッチ・セーチェノフの著書:脳の反射(1863年)
・人間のあらゆる行動の第一原因は人間の外にある。
・生体が環境なくして生活してゆくことはできない。
・意識的、無意識的生活におけるあらゆる行動は、そのおこり方からみてひろい意味の反射である。
・感覚器の刺激感受性が停止すれば精神過程もまた停止するだろう。

パブロフ「私たちの研究の出発点をセーチェノフの有名な論文<脳の反射>が発表された1863年の年末におきたいと思う。」

条件反射

個々の生活の中で獲得された生体の反応

無条件反射

 ・生体が生まれつきもっている一定の反射活動。
・無条件反射は大脳皮質と関係なしに行われる。
・食物、防禦、性、詮索(奇妙なもの音がしたとき聞き耳を立て、そちらを見る)等の反射。
・遺伝的に無条件に固定されている反射は、生存してゆく間に、条件反射として形成されゆくいろいろの行動反応の基礎をなしています。

本能

 本能とよばれる生体の行動をパブロフは連鎖の性質をもつ複雑な無条件反射と考えた。(大脳皮質のない)脊椎動物の多くの活動は、無条件反射の連鎖(本能)で説明される。

大脳皮質

 このおかげで個体的な条件結合を形づくり、たえず変化している環境条件に対してあらゆる順応性を保つことができる。
大脳皮質はパブロフによると複雑な相互作用の器官あるいは、動物とそれをとりまく外部環境の「平衡」のための高級な器官。

大脳皮質で行われる生理学的な神経過程
大脳皮質における興奮および制止過程の相互関係

<興奮と抑止>
大脳皮質の各部分に存在する神経過程は、興奮と制止の二つの過程で構成され、しかも各々の瞬間には、その一方が優勢を示す。大脳の皮質全部が複雑な動的なモザイクの形をなしていて、神経細胞のある群は興奮の状態にあり、別の一群は制止の状態にあると考えてよい。

 条件反射は時がたつと消失するが、その動物にとって再び無関係のものとなるのではなく無条件刺激と偶然一致するとき、結合がふたたび速やかに回復する。このように集積の過程;大脳皮質における一時的結合の層化の過程が生じる。

<拡延(ひろがること)・集中(あつまること)・相互誘導>
この三つの現象は大脳皮質での神経過程(興奮と制止)がもつ基本的法則です。

拡延: 汎化  120 c/s以外でも条件反射的唾液分泌(+)
集中: 分化制止  120 c/sのみで(+)とするようにする。

負誘導現象

 興奮過程が一定の強さで集中している時、「興奮過程はそれにつづいて、或いは同時に抑止の出現をひきおこす」ことが証明された。このさい与えられた強化刺激につづく別の条件刺激は条件反射の効果を多少減少させます。これが即ち負誘導現象です。

<総合と分析>

 動物と人間の大脳皮質中でおこる対立する神経の状態、すなわち興奮と制止は大脳半球皮質が刺激を区別する活動(分析的活動)と、一般化する活動(総合的活動)との基盤です。しかし外界から生体に作用する無数の刺激が、皮質中枢をたえまなく活発で無秩序な活動にみちびくということはありません。外的刺激の中でも、無条件刺激と同時にたえず反復されて結びついているものだけが、生体の活動的な反応をひきおこします。そして残りは次第に消し去られ、抑制されてしまいます。無強化刺激は反復しても興奮しないばかりでなく、生体の活発な活動を抑制するものです。

条件反射特有の用語

 制止は外制止と内制止とにわかれる。すなわち、

外制止:ランプの光で条件反射を形成しておいた犬に強い音を聞かせると、条件反射が弱まり、または消失した。これは聴覚中枢が強く興奮したために、他の部分に制止過程が生じたもので、外制止と呼ばれる。

内制止:メトロノームと食餌で条件反射を形成したのちに、メトロノームのみを与え食餌を与えないと、唾液が出なくなる。このように聴覚中枢そのものにおこった制止を内制止と呼ぶ。以下のような種類がある。

a)後制止
 うえの例のように食餌を与えないで(強化をしないで)条件刺激を反復する場合にのこされる内制止。

b)延滞制止
条件刺激と食物による強化のあいだの時間をのばすときおこる内制止。

c)分化制止
ふつう条件反射のできはじめには汎化の現象によって、たとえばオルガンのド音でもレ音でも唾液ができるがド音のみ強化、レ音では強化しないと、のちにはレ音では分泌がおこらなくなる。この場合の内制止を分化制止。

d)条件制止
ある条件刺激に、ほかの刺激を組合せたときには、強化しないと、その組合せでは分泌がおこらなくなる。これを条件制止という。

超限制止
刺激が強ければ強いほど条件反射は強まる。ところがあまり強い刺激では逆に条件反射は弱まる。これは皮質の細胞が興奮から逆に制止にうつったためと考えられる。これは限界を超えた刺激によっておこるので超限制止と呼ばれる。
超限制止は生理的にいうとあまりに強い刺激によって皮質細胞がそこなわれるのを防ぐもので、保護制止と呼ばれる。
これは精神病の研究や睡眠療法の研究に重要な概念である。

 

正常活動(正常状態)…覚醒状態
エネルギー法則(強い刺激が弱い刺激より大きな効果をおこす)
睡眠への移行状態
1.均等相: 刺激は均等にされる。即ち、刺激の強弱にかかわらず同じ効果をおこす。たとえば同  じ滴数の唾液を分泌する時期。
2.逆説相: 外的刺激の大きさとは逆の効果を与える。
3.超逆説相:外的刺激にたいして逆の反応をおこすことさえあります。即ち、強化しなかった陰性刺激は陽性の、強化した陽性刺激は陰性の反応をおこす。
*皮質の部分的制止。(部分的睡眠)。
1.2.3.はあわせて催眠相といわれ、催眠状態すなわち部分的睡眠の影響下で生じる。


熟睡(皮質部分に制止がひろがった状態)
このときは夢は存在しない。
夢は大脳半球の浅い不十分なしかも、かつ全体にひろがっていない制止の結果あらわれる。
いくつかの皮質部分は以前にうけた興奮をつづけている。このようにして、非常に多くの以前にうけた一時的結合が再生し、その結合はこの場合には通常の外的刺激の正常作用によっては調節されません。



<神経系の型>

古典的な型に適合させた。
a.多血質  b.粘液質  c.胆汁質  d.憂うつ質
多くの観察から出発して、パブロフは大脳皮質でおこる神経過程(興奮と制止)の基本状態の「強さ」と「易動性」と「平衡」によって、神経系に四つの基本型があると考えました。

    強さ    易動性    平衡
多血質    +    速か+     +(強い)
粘液質    +    緩慢-     +(強い)
胆汁質    興奮過程はるかに優勢     -(弱い)
憂うつ質    興奮と制止の神経過程が一般的に薄弱     -(弱い)


<高次神経活動の破壊>

 大脳半球皮質は、複雑ではあるが法則にかなった活動を行っている。実験者は神経組織は対して、直接的な作用をおよぼすこと(例えば手術的方法)によってのみでなく、機能的にも、又、この活動をかき乱すことができる。だから、例えば、制止過程と興奮過程が直接にぶつかり合うようにしますと、皮質の正常な活動を破壊することができます。
いろいろの動物で、対立する神経過程がぶつかり合うように実験しますと、条件反射活動の正常過程が、多少とも長時間にわたって阻害されることがわかります。こうした阻害は、神経細胞、または細胞群の病的状態をさししめすものです。

<実験神経症>
対立する神経過程がぶつかりあうと、大脳皮質は刺激の作用後も、いろいろの外的刺激に対して不適当に(不釣り合いに、不十分に)反応し、ときには逆の反応さえおこしはじめます。皮質の神経組織を直接破壊することなく、人為にひきおこされたこうした皮質の病的状態を、パブロフは実験神経症と名づけています。


<人間の大脳皮質>
人間の大脳皮質の機能は、動物のもっとも精巧な皮質機能よりも、更に一層複雑をきわめています。動物実験によって得られた結論を人間にあてはめるにあたり、きわめて慎重であるべきである。そうした注意のもとで、パブロフは、大脳皮質で生じる神経過程の基本的法則は、高等動物および人間に共通のものであると考えました。
この問題が単純に理解されないように警戒しながら、パブロフは、高度に組織化された人間の大脳皮質の特殊性を強調しています。この特殊性は人間が生まれ発展してきた過程において、労働および言語の発生過程とたがいに関連しながら発達したものであります。


パブロフ著「動物の高次神経活動に関する客観的研究の20年」

 人間を含めた高等動物においては、環境と生体との複雑な相互関係と処理する第一の法廷が、複雑な無条件反射、つまり(一般に呼びならされている言葉によると)本能、愛着、感動、情緒などという属性とともに、大脳にもっとも近い皮質下にある。第二の法廷は大脳両半球である。ここでは諸条件の結合、あるいは連合によって新たな行動原理が生じる。ここでは無数の動作要因が同時に分析され総合されている。そして、その分析、総合の結果が環境を指南し、それによって又、環境に順応するための、大きな力を与えている。こうした無数の動作要因が、少数の外的、無条件的要因の信号となる。人間では第一信号系の他に、他の信号系として言語が追加される。この言葉の根底、いいかえれば基本的要因となるものは、発音器官の運動感覚性刺激である。以上のように、言語が特殊な信号系として追加されることによって、新しい神経活動の原理、すなわち抽象と普遍化が行われるようになるのである。


第一信号:直接われわれの感覚器官に感ぜられる刺激。


<人間の進化と言語>
 第二の信号系、つまり言語と思考は、人間が社会的な存在になるまでの過程、すなわち労働という過程を通じて人間の生活に進入し、これを発展せしめたのであります。

cf.
 脳髄の発展と並行して、それにもっとも近い器官、即ち感覚器官が発達していった。(エンゲルス、自然弁証法)

 第二信号系、即ち、人間の言語と思考との生理学的機構にかんする学説の基本的命題は、次のように述べることができます。つまり、動物とはちがって、人間は外界の客観的実在を、第一信号たるいろいろの外界刺激(聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚、筋肉運動感覚)の直接的な作用によるのみでなく、この第一信号(単純な刺激)の符号であるいろいろな民族語の単語によって、主観的に表現する能力をもっています。このように考えれば、言語は、第一信号系を記号化して、適当に表現する、新しい質の、独特な信号であるといえます。それで動物では、興奮および制止過程の作用が、一時的条件結合の存在する皮質と、無条件結合のにない手である皮質下部とのあいだの相互作用にとどまるが、人間では、この相互作用は、皮質のある領域と、特に発語機能が集中している一定の動的中枢との間にも生ずるのです。
 それで、もし皮質下部が、その皮質代表部位とともに外界の客観的実在を表現し、個体と環境との相互関係を司っている比較的簡単でより一般的な形態学的基礎であるとするならば、皮質の役目はこうした機能をこの上なく完全に遂行するにあるわけです。正常人では、この機能が言語と思考という特殊な形式できわめて正確にかつ完全に行われているのです。

 パブロフの偉大な歴史的業績の基底をなすものは、彼の唯物論的態度です。擬人的解釈によって真実がぼかされることなく、生理学的方法によって動物の行動が研究されはじめました。このようにして精神過程の物質的基礎としての思索器官、社会の客観的実在を複雑に創造的に反映する器官としての人間の脳の活動を、将来有益に研究するための道が開かれたのです。

高次精神活動生理学の領域でのパブロフの弟子たち
モスクワ
アノーヒン
アスラーチャン
イワノフ=スモレンスキー
エリ・エヌ・フョードロフ
フローロフ
レニングラード
ヴァツーロ
ガルペリン
ドーリン
ゼリョーヌイ
クレープス
クラスノゴルスキー
マイオーロフ
ポトコパーエフ
ローゼンターリ
ヴェ・カ・フョードロフ

1950年6月に科学アカデミー・医学アカデミーの主催でパブロフ生理学発展のための合同学会が開かれた。
科学アカデミーの生理学研究所
高次神経活動の進化論的生理学・病理学研究所
医学アカデミーの中枢神経研究所
は合併されてパブロフ生理学研究所となり、そのほかモスクワに高次神経活動研究所がつくられた。

パブロフ -その生涯と業績-

 E.A.アスラチャン著。拓殖秀臣・丸山修吉訳。 岩波新書。194。S.35年
1849年9月14日(旧暦)生まれ、リアザンにて。

 パブロフは、在命中いばらの道を歩まねばならなかった。それは苦しい試練と失望と情け容赦のない闘争にみちた道だった。大学が高級下級さまざまの官僚による専制支配をうけていた帝政時代には、パブロフのように素朴で、一本気で、正直で良心的な人間、とくに民主的な意見をもち、へつらうことを知らぬ性情の持主にとっては、生活し、研究し、ことに実験的研究を行うことは容易なことではなかった。…幸運にもパブロフとミチューリンは十月社会革命後20年間ソヴェトの支配下に生活することができた。

「学問に容易な大道はない。けわしい小路をたゆまず登ることをいとわないものしかその輝かしい山頂に達することは出来ない」カール・マルクス

 彼はあらゆる障害を克服することができたが、それはまったく彼の体力、精神力、忍耐、確乎たる意志、驚くべき才能、燃えような愛国心、それに強い好学心のおかげであった。

86才の時、この偉大な自然科学者の糸はたたれた。彼は突然、肺炎で死んだ。(1936年2月25日)

 パブロフの偉大な理解力と思いやり、また大きな問題でも小さなことにおいても、彼の邪心のない正直さと、率直さという性質が彼を非常に魅力ある人にしていた。友人や学生は彼を愛し、論敵でさえ彼を尊敬していた。
パブロフは仕事の面でも日常生活においても時間がきわめて正確であり、また何事につけても注意深かった。
パブロフの話しぶりは非常に明瞭、素朴、簡潔で、生き生きとしていた。その声は気持のよい、調子の高い声で、盛んにジェスチャーを交えて話をした。彼は座談の雄であり、また思いやりのある、機智に富んで論客だった。またその笑いは開けっ放しの大笑いで、ついさそわれてしまうようなものだった。

 パブロフはまた休息し、息抜きすることをも知っていた。彼は夏の間は、ほとんど完全に科学と手を切っていた。…彼は夏休みには小説しか読まず、もっぱら庭や果樹園の手入れ、水泳、それに運動競技などをして暮らした。彼は教養のたかいきわめて博学かつ趣味の広いひとだった。
パブロフは粗雑で盲目的な経験主義とは赤の他人だった。彼は研究において理論が演ずる役割を重視し、ことあるごとに共同研究者に対し理論への愛好心を吹込み事実のたんなる「収集家」を軽蔑した。彼は理論を必要だと考えていたが、それは理論が「事実をつなぎ合わせて」説明する「何ものかをもっている」ためばかりでなく、「さらに前進するきっかけとなるような何ものか」をもっているからであった。「もし心中になんの思想もなければ、事実をも見逃してしまうだろう」といっている。

 彼は協力者の誰よりも熱心で勤勉であり、骨身を惜しまず、喜んで研究者の助手のやる仕事にも従事した。彼は何よりもまず自から手本を示すことによって弟子たちを教育した。晩年においてさえ、依然として自ら動物の手術や実験を行い、またみずから研究に参加した。…
イワン・ペトローヴィッチの特徴は、彼が1つの目的にひたむきだったという点にある。彼は注意力を1つのことに集中し決してあれこれと気がちるようなことはなかった。ある重要な問題を研究している場合、彼はその全能力、全精力をその問題にそそぎこんで、しばらくの間は他の一切のことをかえりみなかった。それだけではなく、複雑な問題のある一面に気を引かれると、一時他の一切の面さえあまりかえりみなくなることがしばしばあった。科学者というものは、「1つこれと思う問題を根気強く考え、寝ても、覚めてもその問題を考えつづける」ことができなくてはならない。というのが彼の意見だった。このように1つの問題に全力を集中することによって、彼は複雑な大問題を根気よく、一歩一歩解決することができた。
どんな問題でも、それを実験によって解決しようとする場合には、パブロフはまず問題をせめたてていく詳細な計画をつくり、これを共同研究者と徹底的に討議するのが常だった。

 彼は科学の大胆な革命家ではあったが、同時に新しいデータや原理を公表する場合にはたいへん厳格で慎重だった。…夫人の話によると、最も重大な発表をする前には、さまざまな疑念にさいなまれて、眠れないことがよくあったといわれる。
一般に彼は科学上の討論を大いに好み、生き生きとした議論をする人で、その発言には若々しい熱意と情熱がこもっていた。…いわゆる「雄弁家」にはよい顔をしなかったが、しっかりした反対論、ことに事実の支持がある反対論には慎重に耳を傾けた。
彼はたえず弟子の誠実、勤勉、独創力、熱意を助長し、また観察力を養成するように勤めた。また定期的にあらゆる弟子の研究と彼等がえたデーターの性格、方向、本質について、個人個人にそれぞえ具体的な意見を述べ、彼等がこんご追求すべき直接目標と最終目標についてその見解を述べるのが常であった。

 アカデミー会員エリ・ア・オルベリはこういっている。「われわれがイワン・ペトローヴィッチの講義を系統的に聞くようになったのは、二年生の時だったが、彼の最初の言葉を聞くやいなや、われわれは、彼のどの講義でも聞かずにはすませないということを悟った。講義はそれほど生き生きとしていて、聞くものの心を奪ってしまうようなものだった。その特徴はまれにみる平易さ、驚くほどの明瞭さと表現の簡明にあったが、同時に内容はきわめて豊かで、また興味ある実験をともなっていた。

「自然科学者にとっっては、一切は方法にかかっている」と彼はこう公言してはばからなかった。
急性破壊の実験でなく、慢性実験を、自然に近い形でする。

cf. ブイコフ:パブロフの高弟で、1950年の論争以後、ソ連における条件反射学の最高指導者となっている。レニングラードの科学アカデミー所属の生理学研究所の所長。

 パブロフは生物のきわめて複雑な機能を精巧詳細に分析する技術にも精通していたが、同時に機能の合成的研究をはじめた世界で最初の学者だった。すなわち、より正確に云えば、彼は生物の機能の分析的研究方法に合成的研究方法をつけ加えて、生理学的法則の単一で本質的に弁証法的な研究方法をつくりだしたのだ。

 パブロフは個々の器官のあれこれの細かい機能を知る上に、従来の分析的方法がある程度貢献してきたことを決して否定はしなかった。「分析の目的は孤立した部分をできるかぎりよく知ることにあった。これがその真の目的であった。分析は部分とさまざまの自然現象との関係を決定した。」だがそれだけでは不十分だった。分析は微妙な生理学研究を行う上に役に立つが、それにもかかわらず、「事実上、それは器官の生理学を大いに混乱させた。」そのため合成的研究方法に移る必要があった。否、正確にいえば、分析的方法を合成的方法で補い、全一体としての生物の機能を研究する必要が生じた。

 複雑な生物の器官と系統の活動による調整を研究するという思想→Nervism
神経主義Nervismとは、神経の影響をできるだけ多くの生物の機能に拡張しようと努める生理学上の傾向である。
われわれは動物という機構がもっている深遠な神秘にこれまで長い間心を奪われてきたし、死ぬまで心を奪われているだろうが、この機構をむざんに破壊することに平気で賛成するわけにはいかない。機械工は、機械を駄目にしてしまうのは惜しいといって精巧な機械に余計なものをつけ加えたり、または少しでも変更することを拒否し、画家には巨匠の作品には畏怖して筆を加えないといわれる。もしそうならば、あらゆる機構の中で最も精巧であり、生物界の最高傑作である動物を前にして、生理学者がこれと同じ感情を抱くことを、どうしておさえることができようか。

パブロフは心理学をおだやかに拒否するにとどまらず、やがてこの虚偽の「生理学の同盟者」にたいして、妥協を知らぬ敵意を感じはじめた。パブロフが心理学を拒否したのは、明らかに彼の世界観の影響によるものだった。彼は確乎たる唯物論者だったので、当時の心理学が、なお完全に観念論に貫かれており、精密科学の域に達しておらず、明確な理論的基礎も、しっかりした研究方法も、もっていないと考えた。

「外界の要因とそれが惹きおこす生物の反応の間の永続的な結合を無条件反射とよび一時的結合を条件反射と呼んでも決して間違いではない」とパブロフは言っている。

パブロフの研究所では、唾液腺の活動を主要な示標として、動物の条件反射行動を研究した。これは従来唾液腺の研究をしていたというよりは、むしろ唾液腺が、生物において地味な役割をしていること、他の器官や系統との連絡が少ないこと、その作用を支配している法則が単純であること、その測定が容易で、手軽なこと(唾液管に慢性瘻を作って行う)、およびその他の性質のため、唾液腺がこの研究にとって敏感、正確、かつ適切な器官であることがわかっていたからだ。

 パブロフは、条件反射結合についての彼の新しい考えを、模式図では示さなかった。そこでわれわれは彼の思想をいくぶん発展させ、それを模式図で現そうとした。第8図がそれである。この図では2つの異なった反射弓、すなわち眼から筋肉へ(たとえば定位反応の要素としての頸筋)と、舌から唾液腺へ(食餌反応の要素として)の2つの異なった反射弓が別個にえがかれている。どちらの反射弓も、上下2つの部位からなっている(ある種の証拠によると、実際にはこれらの部位の数はもっと多い)。下部の反射弓は(両方とも「皮質下の」神経中枢の部位を通っている。すなわち、E→V→MおよびT→F→Gと通っている。他方、上部の反射弓はE→V1→MおよびT→F1→Gというふうに大脳皮質を通過している。この反射弓の皮質部分が、だいたいパブロフが無条件反射の皮質の代表部と名付けたものである。もし生物に視覚刺戟と味覚刺戟が別々に与えられると、これらの異なった反射の2つの部位からなる反射弓はそれぞれ個別に興奮させられ、2つの反射(頸の運動反射と唾液反射)は2つともそれぞれ個別に起される。だが、これらの刺戟が同時に作用して、それぞれの反射路を興奮させると、両方の皮質性経路から興奮波が拡延するか、または強く刺戟された(優勢の)中枢が、弱く刺戟された中枢からの衝撃を引つけるかして、路が作られ、条件結合(V1→F1)が形成される。2つの皮質の中枢の間の橋は、おそらく皮質を通じて(点線1)形成されるが、さらに皮質下の白質を通しても(点線2)形成されるものと考えられる。こうして刺戟が繰り返し結びつけられると、でき上がっている結合が固定し、条件反射弓が形成される。

 2つの皮質の中枢の間に、こうしてかけられた一時的な橋が、条件反射活動全体の基礎にほかならない。このためパブロフは、条件反射を結合反射とも呼ぶことができると考えていた。彼は、新しくできた神経路が一般的には、両方の方向への伝導性をもつことができるけれども、あらゆる証拠からみて、単純な条件反射の場合には、衝撃は明らかに1つの方向に伝わる-すなわち興奮程度の弱い皮質の中枢から、強い中枢へと(V1→F1)伝えられると信じていた。

 このように、2つの異なった無条件反射の「皮質代表部」(パブロフの言葉を借りれば)のあいだに結合が行われことによって新しい、より高次の反射弓-条件反射の反射弓E→V1→F1→G)が形成される。したがって、我々は、条件反射とは、合成の産物である。あるいはもっと簡単に2つの(またはそれ以上の)異なった無条件反射の合成である、と定義し、特徴づけることができると考える。…

 個々の条件反射が新しく形成されるにしたがって、大脳皮質が生物の最も複雑な機能を高度に一般化し、高度に統合する範囲はますます拡がり、生物の機能にたいする大脳皮質の支配力はますます大きくなる。その結果は、「この高位部は、身体におけるすべての現象をその支配下におさめている」ということになる。

 パブロフの天才は、これらの新しい事実を、Darwin主義の見地からとりあつかい、これを一般化した。…高次神経活動に関するパブロフの理論は、生物の生存のための闘争において条件反射活動がもっている巨大な生物学的意義をきわめて明快に説明している。その理論によれば、生まれつきの反射、または無条件反射は、生物が新しい情況の中で、初めに、おおよその定位をするには十分なものであり(いわゆる定位反射)、また多少とも恒常的な環境に粗雑に適応するには十分なものではあるが、しかし生物は、たえず変化する環境にたいしては、条件反射を通じて、さまざまの型と次元の条件反射を形成することによって(そして必要ならば、それを消去することによって)、もっとも精巧に、完全に適応するのである。

 パブロフは均衡という言葉を、環境にたいする生物の精巧な適応というふうに理解していた。
「自然の一部として、動物という生物はどれも一個の複雑な系であって、その内力は、生物が生物として存在するかぎり、あらゆる一定の瞬間に環境の外力と均衡を保っている。生物が複雑になればなる程、平衡の要素はますます繊細になり、無数になり、多種多様になる。」

 条件反射は、その流動性、不安定性、脆弱性と、無条件反射で強化されるかどうかというような諸条件に極度に依存しているために、無限に変化する環境にたいしてより柔軟で、易動的で、完全な適応手段となっているのであるならば、生物が、さまざまの要因-信号、条件刺戟-の遠い前兆でさえも、それをうけるや否や、自己の存在に好都合な条件と要因をえようとし、都合の悪いものをさけるようと努力するのは、条件反射活動の信号性のおかげである筈だ。

 「大脳半球は、刺戟を分析する器官であり、新しい反射、新しい結合を形成する器官である。それは動物という生物と外的環境との均衡をますます完全にするための動物の特殊な器官であり、外界の(諸現象の)、多様な組合せや変動に対して、直接にしかも適切に反応する器官であり、またある意味では、動物という生物をたえまなく発達させるための特殊な器官である。我々は、新たに獲得された条件反射のいくつかは、遺伝によって後には無条件反射に転化すると考えることができる。」

 「動物の場合には、生物の視覚、聴覚、その他の受容器の特殊な細胞に直接やってくる刺戟-とそれが大脳半球に残す痕跡-がもっぱら現実を信号化する。…これはまた、文字言語と音声言語を除いては、われわれ人間が自然的および社会的の両面における環境の印象、感情、概念という形でもっているすべてでもある。これは現実の第一信号系であって、人間と動物に共通のものである。」だがこれは人間の高次神経活動の全部ではない。「動物界が発展して、人間の段階に達すると、高次神経活動の機構にきわめて重要なものがつけ加えられる。」人間の労働と社会生活が発達するにつれて、「音声言語と文字言語の形をとった第一次信号の信号、つまり第二次信号が出現し、それが発達し、きわめて高度に完成するにいたる。」現実のこの質的に新しい信号系は人間の高次神経活動だけに見られる特性であり、「人間にのみ特有」のものである。…この信号の信号、すなわち言語または言葉は、「現実の抽象概念であり、一般化を許すものであり、人間だけが余分にもっていて、特に人間だけの高次の精神を形成するものであり、さらに最初に人間全体に共通な1つの経験論をつくりだし、それからついには、人間が外界や自分自身のなかで高次の方向づけを行う道具である科学をつくりだしたものである。」


パブロフは制止を2つの基本的な型に区別しました。
無条件制止=内制止。    1)無条件的または外的な型
条件制止=外制止。    2)条件的または内的な型
 ↓
無条件反射なしに条件刺戟だけをくりかえして与えたり、又は無条件反射で強化するけれども、それが時間的に遅れている場合に大脳皮質におこる制止、いわば新しくできる制止。
この条件制止の発見こそ、近代神経生理学の最も偉大な功績の1つだということである。

宏大な思想をもった陽気な楽天主義

 「科学は複雑のものを断片的に、僅かずつしか獲得することができないが、しかしその断片はますます増大し、いよいよ完全なものになっていく。したがって、我々は将来脳の正確で完全な知識を真に保有し、そしてそれを基礎として、人類の真の幸福が開かれる時が来ることを期待し、忍耐強く待望するものである。

 パブロフが特に強く信じていたのは実験の力であった。実験は自然の神秘を解明し、科学研究に創造的で、能動的な性格を与える最も有効で、最も信頼できる手段であった。彼は自然科学者の研究において、「観察は自然が与えるものを集めるのに反し、実験は自分が欲するものを獲得する」と考えていた。

 …彼にとっては事実は理論の中に観念論が進入するのを防ぐ強力な鎧であった。…彼の理論の基礎である膨大なデータがその内容において客観的に弁証法的であるばかりでなく、脳の活動を支配する法則を一般化し、定式化するにあたって、彼自身も、原則として、弁証法的であった。

<弁証法的一般化と定式化の問題>

 高次神経活動についてのパブロフの学説によれば、脳に生じる複雑で多種多様な現象と過程(同じ又は異なる次元の陽性及び陰性条件反射の形式と推移、高次分析および合成活動、興奮と制止過程の相互誘導、重合、拡延と集中の現象および脳の活動のその他の面)は本来互いに関連しており、たえず相互に作用しあい、互いに他を限定しあっている。

 しかも脳の各部分は、生まれながらの恒常的な結合状態と相互的な因果関係にあり、またそういうふうになっている脳は同時に神経系の他の部分、感覚器官、内分泌系、その他のほとんどすべての系統と関係をもっている。

 「大脳半球は、その活動期間中は1つの系をなしていて、その各部分は互いに相互作用の状態にある…。大脳皮質は個々の要素のきわめて複雑な機能上のモザイクをなしていおり、その要素はそれぞれ陽性または陰性の独自の生理作用をもっている。他方、一定の瞬間には、すべてこれらの要素は結合して、1つの系となり、その系の中で、各要素は、互いに他のすべての要素と相互に作用しあうこともまた明らかである。」

 大脳皮質の機能を支配している法則について述べた後、次のように書いている。「私はこれらの現象は、それがあたかも互いに独立しているかのように、別々に説明してきた。しかし実際にはそれが互いに出会い、結合し、相互に作用することは明らかであるし、また当然のことである。」

 新しい型の反射を呼ぶ修飾語として「条件的」という言葉を選んだ動機について、彼はこういっている、「この言葉によって私はこれらの反射がもっている独特の客観的性質、すなわち、これらの反射が、その起源が条件的であることは勿論、無数の条件に極度に依存していることを強調したいと思った。」また別の個所で彼は条件反射が複雑であるのは、「その形成が複雑であるためでは決してなく、この反射が生物体の周囲の外界の現象と同様、その内的環境の現象にも非常に依存しているためである。」と述べている。

 彼はまた全体を部分との関係を理解する場合にも、きわめて弁証法的である。その例としては、大脳皮質における機能の動的局在(ダイナミック…)についての彼の理論、または皮質の機能のモザイク型についての彼の概念を指摘すれば十分だろう。

 脳の生理について彼が集めた事実は、一般的には中枢神経系の過程、特殊的には大脳皮質の過程が、たんに互いに本来結びついていて、相互作用の状態にあるばかりでなく、さらに不断の運動、発展、形成、消滅の状態にあることを生き生きと証明している。これらの過程の異常な可変性(variability)、易動性(mobility)、不安定性(liability)こそ、大脳半球の特徴の1つ、いや最もきわだった特徴だとさえいえる。

 大脳皮質については次のように言っている。「皮質活動の根本的な特徴は2つある。すなわち、条件への極度の依存性と、その当然の結果として生じる皮質活動を構成している諸過程の不安定性である。条件反射の活動の特徴については「われわれが研究している神経過程の特徴はその不安定性にある。すなわち、これらの神経過程は、あらゆる瞬間に、新しい条件が与えられる度に、新しい方向をとっている。」とか、或いは「動物の外界は、一方では、条件反射を動物に形成させるとともに、他方では絶えず条件反射を抑制している」とも言っている。

「一般に神経活動は、興奮と制止からなり立っている。この2過程は、いわば、神経活動の2つの半分なのだ。」
「興奮と制止は、同一過程の2つの異なった面、2つの異なった現われでしかない。」
「興奮には必ず制止がともなう。…制止は、ある意味では、興奮の予備面である。」
「ある意味では陽性興奮、陰性興奮ということもできる。」
「この合成とこの分析の基礎となっている基本過程は、一方では興奮であり、他方では興奮の正反対物である制止である。」

 パブロフによれば、分化、すなわちいいかえれば、陰性条件反射は「興奮と制止との闘争」の産物である。この闘争は一般的にみうけられるものである(ディスインヒビション脱制止、ブリークダウン停止、相互誘導、重合、より繊細な分析と合成、睡眠と覚醒など)。しかもパブロフによれば、「健康な時、および病気の時に、われわれの行動を決定するものは、これらの過程の均衡と、正常な限度内の、および正常な限度を超えた、均衡の変動である。」

 したがってパブロフの事実と理論は、スターリンが次のように定式化したマルクス主義的弁証法の特徴を、自然科学の立場からあざやかに証明するものだということができる。「形而上学とは反対に、弁証法は自然のすべての事物と現象の中には、内部矛盾が本来あると考える。なぜならば自然の事物と現象はすべて、否定面と肯定面、過去と未来、死滅しつつあるものと発展しつつあるものをもっているからである。また弁証法は、これらの対立物間の闘争、古きものと新しきものとの間の闘争、死滅しつつあるものと生まれでてくるものとの間の闘争、衰退しつつあるものと発展しつつあるものとの間の闘争が、発展過程の内容、量的変化の質的変化への転化の内容を構成していると考える。」

 パブロフの高次神経活動に関する理論は次のような弁証法的範疇についてのマルクス主義的概念を自然科学の面からはっきりと証拠立てたものである。弁証法的範疇とは、偶然性と必然性(刺戟が偶然に組合されている間に条件反射が形成されること、そしてその結果、偶然が必然に転化すること)、分析と合成(分析と合成との間の固有の関係と両者の条件反射活動における相互滲透)、形式と内容(機能の物質構造への依存性)、因果性(大脳機能にかんする一切の現象についての厳格な決定論)などである。パブロフがえた豊富な事実と彼の原理から、実例を引こうと思えば、いくらでも引用することができる。だがここでは、上記の諸範疇にたいする彼の理解の仕方を特徴的に示す言葉を1つだけ引用することにしよう。「反射作用の理論は、正確な科学的研究の三大根本原理にもとづいている。その原理とは、第一に決定論の原理、すなわちあらゆる作用を結果にたいする衝撃、動機、原因。第二に分析と合成の原理、すなわち最初、全体を個々の部分や単位に分解し、ついで単位や要素から全体を徐々に再建すること。第三に構造の原理、すなわち空間における力の作用の配分、その過程が構造に適合すること、である。」

 以上のすべてから見て、パブロフの教えの実際の内容が完全に弁証法的なものであり、パブロフが彼の主要な理論において、脳の複雑な作用の性質と法則を弁証法の立場から取扱っていることは明らかである。

 条件反射学の重要な(中心)概念である制止(特に条件制止)ついて述べた部分を以下にコピーした。
ここで注意せねばならぬことは、この条件制止の発見こそ、近代神経生理学のもっとも偉大な功績の1つだということである。条件反射のこの型の制止にはいくつかの種類がある。いやもっと正確にいえば、この型の制止はさまざまの方法でおこすことができる。たとえば強化をしないで、条件刺戟を繰り返し、つづけて与えると、一歩一歩ではあるが、しかしかなり急速につくりだすことができる。このため条件反射は徐々に弱まり、ついにはまったく消失する(消去される)。この場合、制止は長くは続かない-数十分か数時間のものだ。しかし条件刺戟が何日も、何週間も、または何ヶ月も実験ごとに強化されないでつくられた条件制止は、程度の差はあれ慢性的になり、安定するようになる。これをやる方法の1つに「刺戟の分化」というのがある。実験で相互に密接な関係がある2つの条件刺戟のうちの1つ(たとえば、一分間に80回と100回のメトロノームをつかっている場合、80回のメトローム)を毎日、食物で強化せずに与えると、たいていの場合この刺戟にたいする条件反射は弱まり、やがて完全に消失する。だが強化されている刺戟(一分間に100回)に対する条件反射はそのまま活溌に行われる。このことは生物が条件の変化にたいしてきわめて鋭い適応性をもっていることを証明するものだが、とにかく刺戟のうちの1つは食物の信号はでなくなる。食物がくるという確実な信号ではなくなり、その条件的な意義、すなわち信号としての意義を失う。まるでその刺戟がなくなってしまったかのようでさえある。

 この場合、この刺戟はイヌにとって無関係な刺戟になってしまったのだ。たんに食餌中枢を興奮させなくなっただけで、それだけのことなのだ、と思われるかもしれない。だがパブロフとその弟子たちは、こういう考えが事実とまったく相違することを証明した。この刺戟を与えると、大脳皮質には、ある活溌な過程が起こる。だがそれは興奮とは正反対の性格のものであり、違った性質をもったものだのだ。それこそ生理学の一般法則にしたがって、制止過程といわれているものである。

 それでは、無条件反射によって強化されない条件反射が(例えば消去や分化の場合ように)弱化したり、消失したりするのは、制止が形成されるから、つまり一時結合が特殊な形で障害されるからだ、と考えるのなぜであろうか。

 その答えはこうだ。食餌活動についていえば以前は無関係であったが、後に条件的となった刺戟は、(消去または分化によって)もとの無関係な状態にもどってしまうのではない。条件的な意義を失うのではなくて、その正反対の性格―陰性の条件刺戟という性格―を獲得するのだ。このことは、何よりもまず、こういう刺戟にたいする動物の運動反応をみればわかる。イヌに条件刺戟を与えるだけでも、普通には食物にたいするいわゆる陽性の運動反応がおきる。すなわち、いままで座っていたイヌは立上がり、これまで何度も食物を与えられた場所に行き、条件刺戟の方を見たり、食物を入れた皿がいつも現れる窓の方を見たりし、尾をふったり、噛んだり、呑み込んだり、時々足をかえたり、鼻を鳴らしたり、遠ぼえしたりする。だが条件反射が弱まったり、または分化した後では、この条件刺戟だけを与えても、唾液の分泌が起こらないばかりでなく、たいていの場合、食物にたいする陽性の運動反応はどれ1つとしておこらない。イヌは無関係に座ったままでいるか、またはいつも食物を与えられる場所から顔を背けさえする。特殊な方法をとれば、さらに重要な事実を立証することができる。というのは、「ゼロ」、つまり唾液分泌なしという、なに気ない仮面の下に、きわめて活溌な神経過程がかくされていて、こういう刺戟を与えると、それが条件結合領域に現れるのだ。興奮過程のこの妥協を知らぬ対立物は、たとえば、他の刺戟―光、ベルの音、皮膚の機能的刺戟などーにたいする消去されていない反射または分化されていない反射を、大いに弱めたりあるいは完全に制止したりさえすることができる。分化した条件刺戟をこういう刺戟のどれか1つといっしょに、またはこういう刺戟の前に与えると、条件反射は一般に三分の一、半分などの割合で弱くなる。いうまでもないことだが、もしここに起こっている過程が陰性の過程ではなくて、中性のものならば、このようなことはおこらない筈だ。ところが強い条件反射が弱まるのだから(すなわち、その基礎には興奮過程の弱化があるのだから)、陽性の条件刺戟は食物で強化されないと、活溌な制止要因となり、大脳皮質のなかに興奮と正反対の過程、すなわち制止が生じる、とバブロフがいったのはまったく正しいわけである。

 以上のことをパブロフ自身の言葉で要約すると次のようになる。「条件反射は外界と生物との関係をいっそう複雑に、精妙に、正確にする。われわれの生活は条件反射に満ち溢れている。それはわれわれの習慣や、教育や、すべての統制ある行為の基礎である。こうして環境と生物との関係は発展するのだが、その次の発展段階は、主として信号者であるところの条件反射がたえず繊細な修正をうけているということである。条件反射が現実によって確かめられないとき、すなわちそれが信号化する実際の現象をともなわないならば、まるで経済の原則に従うかのように、当分または一定の条件のもとでは廃棄され、別の時期にちがった条件のもとで存在しつづけることとなる。これは一般に認められた生理学上の術語で、制止と名付けられている特殊な神経過程によって起こるものだ。」

 パブロフがこういう変化した刺戟を陰性刺戟、または制止刺戟と呼び、そういう刺戟によって生じた効果を陰性条件反射、または制止条件反射と呼んだのは、以上の事実およびそれと同じような事実によるものであった。そして最初にのべた条件刺戟と条件反射を、それに対応して、陽性刺戟と陽性反射と名付けた。彼は、あたかもこう呼ぶことによって、これら2つの型の信号刺戟がまったく正反対の生物学的役割を果たすこと、それらにたいする動物の外的反応が正反対の性質をもっていること、そして最後に、それらによって大脳皮質中におこる神経過程が、本来正反対の生理学的性質をもっていることを強調しようと考えていたかのようだった。パブロフはこの点について次のようにいっている。「したがって、陽性条件刺戟(パブロフはしばしばこの言葉を興奮過程の意味でつかっていた-アスラチャン)、すなわち大脳皮質中に興奮過程をおこさせる刺戟と、陰性条件刺戟、すなわち制止過程をおこさせる刺戟とが存在することになる。」

 パブロフの研究所に集められた豊富な事実から、必然的に次のような結論がでてくる。つまり大脳皮質中のこの2つの基本的な拮抗的な過程-興奮と制止-の相互関係はは、たとえば数学、力学、物理学、化学などにおける正と負の関係のように、自然の基本的対立物の相互関係と同じ性質のものということができる。興奮と制止の間には、それが何時、何処で接触するかにかかわりなく、また脳中枢に同時に現れるか、あるいは順次現れるか、また興奮と制止が遭遇する場所がそれらが発生した点から近いか、遠いか、などということにかかわりなく、「絶えざる闘争が起る。」だが同時に、この2つの神経過程は、それぞれ独自の方法で活動するのだが、パブロフにはそれが「単一の過程の2つの異なった面、異なった現れ」であるように思われた。あたかもこの2つの過程は「単一の神経過程の半分ずつ」であり、単一の神経過程を2つに割った結果生じた、相互にまったく正反対のもののようである。しかもそれはたんに正反対で拮抗的であるばかりでなく、それが形成される様式と作用の経過もきわめて似ており、われわれがそれについて「陽性刺戟とか陰性刺戟といえるのは、たんに従来の習慣に従ったまでのことなのである。」最後に、興奮過程は制止過程に、制止過程は興奮過程に相互に変化することができる。それらは不断の運動、発展および相互作用の状態にある。また、活溌で基本的な創造要素であり、事実上きわめて複雑で多様な高次神経活動全体の生産者でもある。
次に二、三例をあげよう。

 陽性条件刺戟を無条件反射で強化しないと、そのやり方が急性的であろうと、慢性的であろうと、陽性条件反射は消失するが、これこそ興奮の対立物―制止―への転化、つまり符号の変化にほかならない。機能上の符号のような根本的な変化は、すらすらと無理なく行われるのではなくて、相対立する二過程の不断の闘争の中で行われる。

 これと反対に、制止が興奮に変化することもある。陰性条件反射または制止条件反射は、陽性条件反射とまったく同じように一時的なものである。それを形成させ、安定させる条件が妨げられるやいなや、すなわち無条件反射によって新たに強化されるやいなや、徐々に再び陽性条件反射に変化する。量的変化の道をたどり、2つの主要な対立過程間の闘争のさまざまの段階を経て、再びその符号をかえるのだ。以上のような事実から、陰性条件反射の基礎である条件制止は一時的な過程であり、また陽性条件反射の基礎である条件興奮とまったく同様に形成できるものであることが証明されている。

 陽性条件反射は同じ陽性の新しい反射を形成する基礎となることができるが、これと同様に陰性条件反射も新しい陰性条件反射形式の基礎になることができる。(そのためには無関係の刺戟を陰性条件刺戟に繰り返し結びつければよい。)

 大脳皮質中で興奮と制止が出合うと、代数の加算の法則にしたがって、たがいに弱くなるが、この法則はこの場合だけにあてはまるのではない。同じ符号の条件刺戟が同時に、または連続的に結合されたり、あるいは繰り返されたりすると(つまり陽性と陽性、陰性と陰性)、どちらの過程も加算されて、強くなる。たとえば、ある条件刺戟(光)が20秒間に40度(目盛りで表わした唾液量)の唾液を分泌させ、ある一定の楽音が50度の唾液を分泌させるとするこの2つの刺戟を同時に20秒間与えれば、90度の条件分泌をおこさせることができる。他方、陰性条件刺戟を繰り返し与えると、大脳半球中の制止が強まり、その結果については、ほとんどすべての陽性条件反射が極度に弱まるか、または完全に消失しさえする。
興奮と制止が動的で活溌な性格をもっていることは、たとえばそれが形成された点から大脳皮質の近い領域やさらに遠い領域にさえひろがっていき(拡延の法則)その局所的な過程と相互に作用しあい、それを代数的に加算し、やがてあたかも最初に発生した原点にしりぞいていくかのようにそれを置去りにする(集中の法則)という興奮と制止に共通してみられる性質からみても明らかである。

 パブロフはこういっている、「この二過程の本質は、それが発生したときには、ひろがって、不当な領域をも占拠する傾向があるが、他方、ある時期には、それに対応する条件の下で、一定の領域に追い込まれ、それにとじ込められることがあるということだ。」

 興奮の拡延の明白な証拠としては、形成の最初の段階における条件反射のいわゆる汎化相をあげることができる。たとえば、ある一定の音の刺戟(たとえば1分間100回のメトロノームの音)に対する食餌反射ができていくときに、最初はこれまでイヌの食餌となんの結びつきもされていなかった他の多くの聴覚刺戟や、ときには視覚刺戟その他の刺戟が、まるで自動的のように、条件食餌刺戟になることがある。これは、興奮が基本的な条件刺戟の皮質中枢から、皮質のその近くの領域や遠い領域に拡延する結果、これらの領域が、あたかも二次的興奮を起すかのように、いくらか後に刺戟される食餌中枢との間に条件結合を作ったからだといえる。だが、時がたつにしたがって、興奮の拡延範囲はせばまり、興奮はそれを形成した部分にますます集中するようになり、二次的条件反射の大部分は、これまた自動的に、消失する。

 特に明らかなのは、制止過程の拡延と集中である。陰性条件刺戟(消去刺戟、分化刺戟など)を、繰返して与えればなおさらだが、たった一度与えただけでも、たえず強化されている陽性条件反射はしばしば弱まり、時には一時的に消失することもある。この場合、その中枢あるいはそれらの一時結合が、制止条件刺戟を与えられた点からくる制止波の作用をうけたことは明らかだ。この波が波及する過程を詳細にたどることができる場合も決して少なくない。当然予想されるように、最も早く弱まり、最も大きな影響を受けるのは、その性質上、制止反射に近い刺戟にたいする陽性条件反射である(このことは双方の皮質中枢が互いに接近した場所にあることを意味している)。だが、制止反射から遠く離れており、また制止反射に似ていない刺戟に反応するような陽性条件反射は、影響が少い。だが、時がたてば、こういういわば二次的に制止をうけた陽性条件反射は、徐々に回復しはじめるが、その順序は逆で、最初に離れた、似ていない刺戟に対する反射が回復し、次に近い、関係のある刺戟にたいする反射が回復する。この一例を図で示そう。たとえば、あるイヌに4つの触覚・食餌刺戟a、b、c、d、があるとする。aは制止刺戟で、その効果はゼロである。他の3つは陽性でそれぞれ20秒間に唾液15滴を出す。もし実験中に制止刺戟aを与えないと、条件反射は多少の差はあるが、着実に一定の水準にたもたれる。だがこの制止刺戟を与えると、その後しばらくしてからb、c、dの刺戟にたいする条件反射が徐々に弱まる。この場合、制止刺戟に最も近い反射、すなわちbが最初に弱まり、しかもその程度は最もはなはだしい。次いでやや遠いc、最後に一番遠いdの順となる。もし、aによって起る制止が強力なものだと、聴覚刺戟、視覚刺戟さらにその他の異なった刺戟に対する条件反射も弱められる。こうしてサクセシブインヒビション継時的制止の過程はやがて徐々に弱まって消えていくが、しかしこの強いて作った制止がなくなっていく順序はこれまでの逆である。まず第一に制止要因から遠く離れており、それとは似ていない刺戟にたいする条件反射が解放され、その後にそれに近くて、同じ性質のものという順序になる。このようにしてわれわれは制止波がどちらの方向に進む場合にも、その過程をつきとめることができる。

 なお、こまかいことだが、なかなか興味がある事実がある。制止の弱い過程はたやすく拡延するが、その速度はかなり遅い、しかし中くらいの過程はたいして拡延しない。ところが、強い過程は弱い過程と同じくらいたやすく拡延するが、しかしその速度はいっそう早く、その到達距離は長い。
興奮過程と制止過程の拡延と集中は明らかに大脳半球の機能一般を支配している基本法則の1つであり、大脳皮質のさまざまの部分の相互作用と相互結合の基本形態の1つであるが、相互誘導の現象は(これは一見したところ、電気の誘導と似ているため、こう名付けられたものなのだが)これらの同じ過程によって行われる大脳半球のさまざまの部分の相互作用と結合とは別の種類のものである。皮質中枢が多少とも強く興奮すると、それに近接した中枢や、さらに遠く離れた中枢さえもが、あたかもそれに対照するかのように、制止される。その反対にある神経中枢が多少とも強く制止されると、他の中枢の興奮性は増大する。また誘導は同一の神経中枢内にも起こる。すなわち強い興奮の後には、制止がはじまり、強い制止の後には、その興奮性が増大する。

 さらにパブロフは、条件反射法によって、大脳皮質の分析活動と合成活動を支配している法則をも発見した。この活動も同じ2つの基本的皮質過程、すなわち興奮と制止の産物である。生物の条件反射の分析活動と合成活動は神経系のあらゆる形態の分析および合成活動のなかで、最も完全で、最も複雑な形態のものであり、生物学的にもっとも重要なものである。パブロフは次のように書いている、「条件反射要因は、環境が生物におよぼすよい影響や悪い影響をたえず、直接に信号をするものだが、この要因は、環境の無限の多様性や変化に対応して、環境のきわめて細かい要素と、それらの要素の大小さまざまの複合からなりたっている。このことは、神経系が生物のために、複雑な環境から個々の要素を区別する機構、すなわち分析的機構と、これらの要素を結合させ、融合させて、さまざまの複合体とする機構、すなわち合成機構とをもっているからこそ、可能なのである。」

 最初はパブロフは主として大脳半球の分析機構に注目していたが、やがて時がたつにしたがって、ますますその合成活動を探究するようになった。彼は次のように書いている、「生理学者の立場からいえば、大脳皮質は分析機能と合成機能の双方を同時に、たえず遂行しているのであってこの両者を差別待遇して、どちらか一歩だけを研究しても、決して真に成功するものでもないし、大脳半球の働きを完全に理解することもできない。」
皮質の分析活動には単純、複雑など多くの形態があるが、それらは常にアナライザー分析器の末端部(パブロフは感覚器官をこう呼んでいた)から発し、中枢の末端部、すなわち大脳皮質で終わる。皮質の単純な環境分析活動の現れの1つには、条件刺戟の強さと条件反射の大きさとの間にきわめて明確に規定される直接の関係があることだ。ある限度までは、刺戟が強ければ強いほど、反射が大きい(強度関係の法則)。だが、刺戟があまり強すぎると、条件反射は強まらずに、逆に弱くなりはじめる。また刺戟があまりに弱まると、条件反射は弱くなるかわりに、時にはかえってその強さが増すこともある。条件反射の強さは無条件反射の増大または減少によって変化する。だが強度関係の法則の生物学的重要性はそれによって減少するものではない。なぜならばこの法則は、何よりもまず、環境からの刺戟のほとんどすべてにあてはまるからであり、さらにさまざまのこの法則からの逸脱には、別の生物学的意義があるからだ(大脳皮質の繊細な細胞を強すぎる刺戟による有害な影響からまもることなど)。

 しかし最も完全な形態の皮質分析活動は条件制止と密接に結びついている。こういう分析の例としては、すでに本書で条件反射の消去として、ことにその分化としてのべた現象をあげることができる。それは前には条件制止の発達の証拠として考えられたものだ。われわれは分化によってイヌに1分間100回のメトロノームと96回のメトロノームを結局は区別させることができるし、また円と、8対9の半径をもつ楕円や、1秒500振動の音と498振動の音を区別させたり、さらにその他のきわめて密接に相関連した機械的刺戟、熱的刺戟、および嗅覚刺戟を区別させることができる。密接に相関連した2つの条件刺戟の1つが特殊な信号の性質を失い、それに対応して来るべきことがらを信号しなくなるということと、もう一方がそれを保持しているということは、興奮過程とことに制止過程によるきわめて精妙な条件分析活動を通じて生物がその生活条件に正確に適応するということにほかならない。

 大脳皮質が完全な分析的活動を行う証拠としては、さまざまの種類の条件反射を形成する能力、すなわちある刺戟は条件食餌信号に変えられ、またあるものは防禦信号などと変えられる能力をあげることができる。

 皮質のこの分析機能と先天的に結びついているのが皮質の合成活動である。パブロフは単純な条件反射の形式という事実こそ、高次の合成活動の証拠であることを指摘した。なぜならば、単純な条件反射を形成することによって、皮質はたんに2つの現象を重合するばかりでなく、さらに2つの生まれつきの反射を合成して、1つの新しい、より高い性質の反射にするからだ。第二次、第三次条件反射の形成やさらに複合条件反射、すなわち同時または順次に加えられる一連の刺戟に対する条件反射の形成は、皮質のより複雑でより完全な合成活動をいっそう明らかにするものである。最後に、皮質の最高の最も複雑な合成活動のあらわれとして、刺戟を一定の順序で与える実験を何日か続けて行うと、その実験過程全体を1つの単位に結びつけてしまう皮質の能力をあげることができる。いいかえれば、皮質はいわば活動の多種多様な形態の複雑な連鎖を自動化することができるのだ。(大脳のはたらきの「動的なステレオタイプ常同性」または系化。)

 パブロフはさらに大脳皮質の分析機能と合成機能とが1つの統整された全体を形成しており、この2つの過程が互いに先天的に相関連していることを証明した。この分析と合成の統一は、単純な条件反射の形式と分化の場合に特にはっきりと観取される。生物は2つの異なった刺戟を結合、または合成するが、その刺戟は生物によってたくさんの刺戟のなかから分化されるものである。このことはある一定の順序で与えられる一連の刺戟にたいしては、陽性複合条件反射が形成され、同じ刺戟でもその順序が違えば陰性の反射が形成されるということの中に特にはっきりと現れている。生物はこれらの刺戟を、2つの異なった複合反射に同時に合成し、そのおのおのに異なった機能上の役割を与えねばならないのである。
皮質分析機能と合成機能が果たす主要な生物学的役割と、その両者の不可分性とを最もはっきりと示しているものは、皮質の中には信じられないくらい複雑で、多種多様で、たくさんの過程がおこっているにもかかわらず、皮質のはたきが調和的に行われているということである。皮質は1つ単位として機能するが、同時にその各部分は厳密に分化された活動を行うことができる。一般に皮質の過程は、生物の生在条件のダイナミックス動力とその時々の必要とに厳密に一致して、変化し、組織化され、調整される。そして皮質活動のこのすばらしい、多様な、そして、同時にきわめて変化しやすいモザイク的な機能の根底には、さまざまの強さと長さの興奮過程と制止過程の多種多様な組合せがある。パブロフはこういている。「健康なときにおいても、病気の時においても、われわれのすべての行動を決定するものは、この2過程間の均衡と、正常な限度内およびその限度をはずれた均衡の変動である。」

 しかし、一般に制止の役割は、分析と合成へ関与することと、脳と中枢神経系の調整と統合機能を確立することだけに限られているのではない。パブロフのおかげで科学は、制止がまったく新しい役割をはたすこと、制止が神経細胞にたいして新しい、生物学のきわめて重要な意義をもっていることを発見した。パブロフは長年の間その研究所で動物実験を行い、また人間にかんする正確な観察を行って、尨大な資料を集めたが、その結果彼は必然的に、制止がさらに脳細胞の休息という最も有益な生理的状態をつくりだすものとして、重要な役割を果たすという結論に達した。つまり制止が脳細胞の自然的な防禦要素としての役割を演じ、脳細胞を過労や多くの病気を起こす要因の有害な影響からまもるという結論に達した。

 これらの細胞はきわめて著しく繊細で破壊されやすいものであるが、こういう細胞が何時間も覚醒状態にあったり、ことに激しい活動を続けると、疲労し、弱まり、過労状態になる。過労にはある限度があって、それを越すと、大きな障害をひきおこし、時には細胞が破壊されるにいたることさえある。だが適切な時期に制止が発達する、すなわち細胞の機能が能動的に停止すると、この危険は避けられる。パブロフはこういっている、「大脳半球の細胞は環境のちょっとした変化にもきわめて敏感であるから、これが破壊されないためには、過労から注意深く保護されねばならない。細胞のこのような安全装置が制止である。」したがってこの場合、制止の役割は、(興奮といっしょになって)神経中枢とそれに関連した諸器官の調和した活動を組織化することにあるのではなく、弱まった神経細胞と局部的に過労した神経細胞を保護することにある。制止はそういう細胞が最も必要とするもの-休息、完全な制止-を与える。

 だがこういう休息は特殊な休息である。完全な活動状態でもなければ、生活過程(栄養過程、呼吸作用など)の停止でもない。明らかに制止はこれらの過程を少しでも緩慢にするようなことさえしない。われわれは制止が根本的に細胞を封鎖し、細胞と他の中枢や器官との関係を中断し、あたかもちがう道に切りかえるかのように、主として、長い、激しいはたらきによっておこった疲労やその他ののぞましくない変化を除去するように細胞の機能を方向づけると考えることができる。したがってパブロフの理論からすれば、正常な定期的睡眠とは正に主要な大脳の神経細胞群をまもり、保護する制止以外の何ものでもない。パブロフは、「睡眠とは大脳の大部分、大脳半球全体とさらに下方に向かって中脳にさえひろがった制止である」といっている。

 睡眠の性質にかんするこの考えが正しいことを証明する最も簡単で有力な証拠は、動物に制止的条件刺戟、すなわち大脳皮質に制止過程をおこさせる刺戟を繰り返し与えることによって、実験的に睡眠をおこさせることができるという事実である。こういう刺戟を繰り返し与えるごとに、それが形成された点の制止はたえず強化され、そこから大脳皮質の他の領域にひろがり、ますますその範囲と強さを増していく。

 パブロフ理論は単に周知の生理的過程-制止-によって睡眠の制止を説明するばかりではない。さらに他のどんな理論よりも立派に睡眠の根源と発生とを明らかにしている。脳細胞の大部分がほぼ同程度に疲労していると、ある1つの大脳中枢に起った制止が急速に脳全体のひろがりやすい状態となる。「ある皮質細胞は、長いあいだ作用している一定の外的要因に反応して、制止状態にはいりこむ。そして他の活動にしている皮質中枢からの反撥がなければ、この制止過程はずっとひろがっていって、睡眠をひきおこす。」

 さらに、睡眠の原因(過労、細胞の生活活動の有害な産物、特殊な神経中枢の興奮、衝撃の停止など)にかんするさまざまな一面的な理論のあいだにみられる矛盾は、たいていパブロフの理論で解決されている。大脳神経細胞は生物の内外のあらゆる変化にきわめて敏感である。この細胞は、感覚器官、神経および神経中枢にたいする強い、または長い刺戟や、また生物の物質代謝によって生じるあらゆる種類の「廃物」によって、興奮させられ、弱められ、過労状態におちいり、制止を引きおこす。これらの要因は全て制止を助長するものであり、時には制止をつくりだしさえする。いいかえれば、これらの要因は、個々にまたはさまざまの組合せで脳に作用して睡眠を誘発することができる。したがって、睡眠の原因にかんする他の学者たちの正確な諸事実は、パブロフの理論の見地から考えるならば、もはや互いに矛盾しなくなり、互いに他を補うようになる。
沈黙、暗黒、単調な音、ベットに静かに横たわることなどのような睡眠をつくりだす要因の影響もまたこの理論によって十分に説明される。これらの要因のなかには脳にたいする外的影響を制限するものもあるし、それに反し睡眠をひきおこす条件刺戟として、また個体の生活条件によって発生したものとして作用するものもある。

 制止の防禦的役割は、たとえ条件的な刺戟であっても、あまり強すぎるものが生物に作用する場合にはことにはっきりとする。一般に皮質細胞の作業能力の水準には限度がある。もし刺戟が非常に強く、この水準を超える興奮をおこし、しかもそれが長い間作用すると、神経細胞は疲れ果ててしまう。こういう中枢に制止が適切な時期に発生すれば、神経細胞は保護されて、もはやそれ以上は外的影響を受けないようになる(超限制止)。
浅いか、または十分に深い制止によって皮質全体ではなくてその一部またはいくつかの部分がおおわれて、その部分だけに睡眠がおこされる場合、大脳機能には特殊な状態(しばしば実験によって動物に再現しうるもの)が生じる。この特殊な部分的睡眠こそ、催眠の生理的基礎である。
このように正確な事実に支持されて、パブロフは何世紀もの間、神秘の幕に閉ざされていた睡眠と催眠という難しい現象が、周知であり、しかも精密に研究された生理過程によることを立証した。これはこの偉大な自然科学者の不朽の貢献の1つである。
条件反射法は、脳の構造上および機能上の特質に関連して、近代生物学と医学にとって緊急であり、同時に複雑な多くの問題を研究する上で、非常に役立つことがわかった。それらの問題のなかには皮質における機能の特殊化と局在化の問題、神経系の型の問題および神経系の機能の性質の問題がふくまれている。

 パブロフは皮質中には明らかに機能の特殊化と局在化があることをあますところなく証明した。こうして彼は、皮質が均質体であって、そのどの部分も同じ機能上の意義をもっているという形而上学的理論が間違っていることを立証した。またさらにそれにおとらず形而上学的なその反対理論も事実と一致していないことを証明した。

 パブロフの欠点のないデータによれば、皮質中の機能の特殊化は、絶対的、静的なものではなく、相対的、動的なものであり、その分野は狭いものでもなければ、その分野は狭いものでもなければ、厳重な境界線でははっきり区切られているものでもなく、広くて、いつとはなく隣接する領域にはいりこんでいる。各領域はその外周部で互いに重なり合っているのだがから、正確にいうならば、境界は存在しない。より分化された神経細胞はこれらの局在的な皮質領域の「核」または「焦点」に集中しており、他方、あまり分化されていない神経細胞はその広い外周部にある。
パブロフはイヌをつかって長期にわたる観察を行い、尨大な資料をえたが、それによって彼は神経系の型と神経行動の性質の生理学的基礎について新しい概念をつくりだすことができた。この新しい見解によれば、神経系の型は神経系の先天的な性質によってきまる。この先天的な性質には基本的なものが三つある、すなわち、基本的神経過程である興奮と制止の強さと、この二過程の均衡または平衡、および最後にその不安定性である。神経系のこれらの基本的な生まれつきの性質は、さまざまの組合せをつくって、あれこれの型または気質を作りだす。理論的には非常にたくさんの組合せが可能であるけれども(したがってそれと同数のたくさんの神経系の型が考えられるわけだが)、実際には、四つの明確な型が存在する。そしてこの四つの型は、表面的には多くの点で、昔ヒポクラテスが区別した四つの気質と一致する。すなわち興奮性または激しやすい型(コレリク胆汁質)、鈍いまたは物ぐさ型(フレグマチク粘液質)、陽気なまたは活溌な型(サンキュン多血質)、弱い型(メランコリク憂鬱質)、である。だが、パブロフの意見によれば、神経活動の性質を最終的に作り上げるにあたっては、これらの先天的特質とならんで、各個体の生活史と生物の生存条件によっておこる変化が、きわめて重大な役割を演じる。われられの神経活動はこれら2つの形態の神経行動の合金のようなもので、つまり型と環境の影響の合成である。この点についてパブロフは次のよういっている、「型とは動物の神経行動の先天的、体質的な形態-遺伝子型-である。しかし動物は生まれたその瞬間から環境のきわめて多様な影響にさらされ、またその影響にたいして一定の作用によって答えねばならず、しかもその作用は次第に固定して、遂には一生のあいだ確立されるにいたるものだから、動物の究極的な現存の神経行動(表現型、形質)は型の特質と外的環境がつくりだす変化との合金である。」

 さらにつけ加えねばならぬことは、この点でもまたパブロフが神経系の性質を遺伝的性質と獲得的性質とに区分することを、条件付きのきわめて相対的なものと考えていたことである。たとえば彼は、予備的ではあるが十分信用できるデータをもととして、神経系の主要な遺伝子的性質は、生物に外的な影響を与えたり、生物を組織的に訓練することによって変えることができると考えていた。この点においてパブロフの見解が、ソヴェトのダーウィン主義の優れた代表者、イ・ヴェ・ミチューリンとテ・デ・ルィセンコの意見と密接な関係をもっていることは、容易に理解できよう。

 これまでパブロフが発見し、研究した大脳皮質の正常な機能を支配している法則について、きわめて簡単に概略を述べてきたが、この大ざっぱな説明を終わるにあたって、われわれは次のようにいうことができよう。パブロフのデータによれば、皮質の機能のさまざまな面と皮質の神経過程とは、離ればなれのものではなく、互に密接に結びついている。この両者はたえざる相互作用の状態におかれている、すなわち、さまざまの組合せ作り、互に衝突し、ぶつかり合い、互に他に変化し、そしてこれらすべての結果として、統合され調和した高次神経活動を作りだす。さらに大脳皮質は、脳の他の部分や中枢神経系の低位部とさえも、密接な関連を保って、不断にはたらいており、その協同活動が高次神経活動を形成している。

 さらに付言せねばならぬことは、パブロフが発見した大脳皮質のはたらきと休息にかんする法則が、中枢神経系の低位部のはたらきと休息を支配している法則や、また神経系全体の法則とさえも密接に結びついているということである。パブロフは神経系の高位部と低位部の双方におこる過程が、「自然の統一」によって結合されていると考えていたが、それと同時に、脳の働きを支配している法則の多くは、新しい、高次の、特殊な性質のものであって、神経系の低位部の法則とは異なっていると考えていた。たとえば、条件反射はまったく新しい型の神経活動である。それは、中枢神経系のあらゆる部分のはたらきの一般法則であり、条件反射形成の補助者であるいわゆる「経路の形成」とも違っている。内制止または条件制止もまた完全に新しい型の制止であって、中枢神経系のすべての部分の特徴である生まれつきの制止、または無条件制止とは異なっている。大脳皮質に起る興奮過程と制止過程の推移、相互作用および相互関係もまた新しい性質をもつものだ。それはあたかも大脳皮質のはたらきを支配している法則が中枢神経系の低位部の個々の法則をより高い螺旋段階で「繰返し」、そうすることによって、神経系の適応活動または統合活動の新しい、より完全な型が創造されるかのようである。

条件反射conditioned reflex

 人間および高等動物において、生得の反射が改変されて、本来は無関係であった刺激と反応とが結合して形成された反射。パーブロフが犬の実験で発見した現象で、犬に一定の音を聞かせてから直ちに食物をあたえることをくり返すと、犬はその音だけで唾液を分泌するようになる。各個体が一定の条件下で形成する反射という意味で<条件反射>または<個体反射>といい、これにたいして生得の反射を<無条件反射>または<種属反射>という。パーブロフによれば、条件反射が形成されると新しい神経路が成立する。そして条件刺激(上例では音)による興奮は大脳皮質のある部位に到達し、新しい神経路を介して下位にある無条件反射の中枢に伝えられ、無条件刺激(上例では食物)がなくても反射反応がおこるのであると。条件反射は無条件反射を土台として形成され、それを調節する高次の反射である。自然界において動物にとって、環境の作因が多様であり、また絶えず変動しているので、作因と反応とが不変的に結合している無条件反射だけでは環境への適応が不十分である。他の作因を条件刺激とする条件反射を形成することによって、多くの作因集合が分析・総合され、同じ環境の中でより大きく適応することが可能になる。動物は高等になるにしたがって条件反射が複雑化、高度化し、また無条件反射よりも大きな役割をもつようになる。中枢神経系の発達は反射の進化に照応しており、中枢神経系をもつ動物はすべて条件反射を形成する可能性をもっているが、その最高部である大脳の発達は、条件反射の進化に照応している。パーブロフ学派の研究によれば、ある条件反射が成立すると、同種の他の刺激によっても同じ反射が生起する(汎化)。条件刺激だけを繰り返して無条件刺激をあたえないと、ついには条件反射は消失する(消去)。消去は大脳皮質内に<制止>という過程が生じることによる。睡眠は、制止が大脳全体にひろがることによっておこる。その他多くの法則と仮説の体系が、パーブロフとその学派の広範な研究によって樹立された。条件反射学の確立によって、人間および高等動物の心理現象を実験生理学的に研究する道がひらかれた。また意識現象は、言語が条件刺激となって参与する条件反射を基礎として形成されると考えられている(→信号系)。条件反射学は神経症の研究に適用され、臨床方面にも応用されている。→反射、信号系

信号系signal systems

 パーブロフ学説によれば、人間をふくむ高等動物の行動は条件反射で構成されており、一つの条件反射の条件刺激は、その反射の無条件刺激を信号しているものであると考えることができる。行動のメカニズムとしての条件反射の体系は、信号の体系である。条件刺激となるものは動物ではすべて具体的な自然の事象であるが、人間では言語が条件刺激となって信号系に加わる。パーブロフは言語を第二信号系と名付け、動物と人間に共通な基礎的な信号系を第一信号系とよんで区別した。言語が条件刺激となって働くとき、それは具体的な自然の事象を表示し、信号の信号として働くのであって、第一信号系とは性質を異にしている。また高次神経活動としては同じ条件反射の諸法則にしたがうが、その度合に差があり、第一信号系とは質的な違いがある。条件反射は動物の心理現象の基礎であり、感覚・印象・表象など外界の感性的な反映は、信号が具体的な事象である第一信号系の活動に帰せられる。第二信号系では第一信号系の無数の信号の抽象と一般化がおこなわれ、高度な思考過程が生じる。無条件反射は外界の作因にたいして受動的な反応である性格が強いが、条件反射では反応に能動性が生じる。そして第二信号系では能動性が自発性にまで高まり、反映に自覚性が生じ、意識現象の基礎となる。人間の信号系では、第二信号系が主導的な役割を演じているが、第二信号系は第一信号系を土台として形成され、それと結びついて機能し、反映の感性的な性格から絶縁されないし、第一信号系の感性的な反映は、第二信号系によって自覚性を賦与される。第二信号系は<言語条件反射>とよばれることもあるが、パーブロフ学説にしたがえば、条件反射の一種にすぎないのでなく、第一信号系とは質的に異なる高次の信号系なのである。また、動物の本能行動を触発する刺激を<信号刺激(sign stimulus>とよぶことがある。しかし、これは条件刺激ではなくて、無条件刺激に属する。人間をふくむ高等動物では、無条件反射の中枢は大脳皮質下から脊髄にあり、第一信号系の中枢は前頭葉を除く大脳皮質に形成される。第二信号系は前頭葉にその中枢の座があるとされている。人間の脳が動物の脳と比較して異なるもっとも大きい特徴は、前頭葉、とくにその先端部が、いちじるしく発達していることである。

無条件反射と条件反射

 無条件反射は生物の種に属し、条件反射は個体によって形成される。条件反射は生物と環境との一時的結合であるから、個体の生活過程で獲得され、反復されることによって強化されるが、長時間もちいられないで放置されると消えてしまう。だが、同じ種類の条件反射をくり返して形成させるような環境が存在する場合には、長時間にわたって結合が持続し、生命物質のなかにその痕跡を残すにいたる。すなわち獲得された環境への適応の仕方が遺伝し、その種に定着される。条件反射が無条件反射に転化し、それ以前の無条件反射を変化させるのである。

 本能とは複雑な無条件反射のことであるから、無条件反射が変化するということは本能が変化するということである。本能が更新されることはすでにダーウィンが認めたところである。わかりやすい例をあげるならば、イノシシが何世代・何十世代にもわたって人間に飼育されることによって、イノシシの本能はブタの本能へと転化したのである。この変化は最初に人間に飼われたイノシシからまずはじまったにちがいない。そのイノシシ(個体)は変化した生活環境に機能的に適応して生きてゆくためにいくつかの条件反射を形成した。何世代・何十世代にもわたって人間に飼われるという同一の生活環境が与えられた結果、何世代・何十世代にもわたって同一の条件反射がイノシシの諸個体に形成されつづけ、その結果この条件反射が遺伝されて無条件反射に転化するにいたり、イノシシ(種)がブタ(種)になったのである。これはわかりやすい実例として生活環境が人為的に変化させられた場合をあげたのであるが、自然的生活環境が変化する場合にも、その変化が持続的ならば同じことがおこるはずである。新しい種の本能の形成がこのように個体における条件反射の形成にはじまると考えてはじめて、たとえば昆虫の場合のようにきわめて多種多様な本能をもつさまざまな種が進化の過程で生まれたということを科学的に説明することが可能になるであろう。

 さて、条件反射から無条件反射へと転化する過程で、すなわち新しい機能が種に定着される過程で、その機能を遂行するのに適した器官がつくりだされる(または、イノシシのキバのように、新しい本能にとって不必要な器官が退化する)。これは機能的適応の形態的適応への転化である。この場合に機能と器官との関係は相互的である。ある機能をいとなむことが環境によって要求され、生物体がその機能を不十分ながらいとなむ過程で、その機能を遂行する器官が分化・独立して形成されるのであり、このような器官が形成される過程でその機能をより十分に遂行できるようになってゆくのである。さらに、ある機能を遂行するための器官が分化・独立することは別の条件反射の形成のためのより多くの可能性を生みだし、別の機能を遂行するための器官の分化・独立を促進する。このようにして生物体の諸器官がつぎつぎに発展し、その結果、環境のより多様な変化に機能的に適応できるより大きな可能性がつくりだされてきたのであった。

 生物体がおこなう反映の諸形態が進化する過程で一つの飛躍点になったのは、無機的栄養物の摂取から有機的栄養物の摂取への移行であった。無機的栄養物が生物体のまわりに分散して存在しているのに対して、有機的栄養物・すなわち餌になる植物や動物は特定の場所に集中して存在している。有機的栄養物を摂取するためには生物は一定の距離をおいてこれの存在をとらえ、その方向に接近しなければならない。このためには一定の距離をおいて有機的栄養物の存在を反映する機能、すなわち視覚・聴覚・嗅覚のような感覚機能が必要であり、さらにまた運動する機能と運動を調節する機能が必要である。これらの機能をいとなむ器官として感覚器官を含む神経系統と運動器官が形成されるのであり、これらの諸器官をもつ生物はいうまでもなくある程度以上に進化した動物である。

 神経系統は外界を反映するための・また自己の身体の運動を調節するための分化・独立した器官である。神経系統の発生と発展はよりよく環境に適応しこのことによってよりよく自己保存しようとする生物体の要求と切りはなしては考えられない。

 神経系統の発生によって刺激を受けとる部分と刺激を伝える部分とが分化する。そのもっとも単純なものはたとえばイソギンチャクの触手にみいだされる神経弧である。それぞれの触手の先端で受けとられた刺激は、神経弧を伝わってその触手のねもとに伝えられ、その部分の筋肉を収縮させ、こうしてその触手がまがる。このような分化によって刺激は局所的・静止的なものから伝播される性質のものに変わり、また刺激に対して反応する速度がはやまり、さらにこのことに対応して反応の仕方も分化した。たとえば筋肉は収縮または弛緩し、腺は分泌物を分泌するというように。このようにして伝播される刺激とそれに対する専門化した仕方での反応がおこなわれる場合に、この新しい特殊性をもつ刺激反応性は「興奮性」とよばれる。たとえばバクテリアやゾウリムシにみいだされるたんなる刺激反応性から興奮性への発展は、生物進化の過程でおこらざるをえなかった必然的な発展であった。

 さて分化はまた総合を必要とする。身体の各部分がばらばらに生きているのではなく、各部分が集まって一つの全体としての生物体を形成しており、この全体としての生物体が自己を保存しようとするのであるから、身体の各部分からくる刺激に全体としての生物体が総合的に反応する必要がある。そしてそのためには身体の異なった部分からくる刺激が一ヵ所に集中され、統一・総合されて、こんどはそこから全体としての身体があるまとまった運動をするように身体の各部分にたいしてそれぞれ適当な運動をおこなえという指令が伝達されなければならない。前述のイソギンチャクの場合にはまだこのような中枢部がなく、それぞれの触手の神経弧は独立しており、したがってそれぞれの触手は独立して運動している。イソギンチャクは岩にくっついて生活しており、近くにやってくる餌(おもに小魚)をとらえるだけで、自分の身体を全体として餌に向かって運動させはしないから、このような神経系統でまにあっているのである。しかし餌の方向に自分の身体を運動させる動物になると、たとえば昆虫には神経球があって、ここに刺激が集中されて全体としての身体の運動を調整している。昆虫がすでにそうであるが、やや高等な動物になると身体が一本の軸の左右にシンメトリーをなしている。これは、左右の感覚器官(眼・耳・触角など)の受ける刺激の量が等しくなるようにすればおのずから体軸が刺激の源泉に対してまっすぐに向き、その方向に進めば刺激の源泉に到達できるから、刺激の源泉になるものが有機的栄養物である場合にはその摂取にもっとも都合がよいからである。このような動物では神経中枢はこの体軸上に存在している。

 高等動物では神経中枢は(1)大脳と(2)小脳・延髄・脊髄等との二つの部分に分かれており、機能的にみればこれは条件反射と無条件反射の器官である。たとえば犬の口の中に適当な濃さの酸溶液をそそぎこむと防禦反射がおこる。すなわちその犬は酸溶液をはきだし、唾液を分泌して口腔内に残った酸溶液を洗い流す。これは無条件反射である。この場合には酸溶液が舌の感覚神経を刺激し、神経の興奮が延髄に伝えられ、ここから逆に唾液腺に伝えられ、そして唾液が分泌されるのである。この興奮の伝導路は開閉装置なしの直通路であり、それは交換台なしの直通電話にたとえることができる。これに対して、一定の音を聞かせたのちに犬の口に酸溶液を入れるということを反復すると、その音を聞かせただけで酸溶液を口に入れなくても防禦反射がおこるようになる。すなわち犬は音を聞いただけで舌を動かし、唾液が分泌されるようになる。これは周知のように条件反射である。この条件反射が形成される以前には、その音は耳の神経を刺激し、その興奮は大脳へと伝えられるが、そこから唾液腺への興奮の伝導路はなかったのである。それがこの条件反射が形成されたのちには、この興奮が大脳から唾液腺へと伝えられる。つまり条件反射の形成とはそのような神経の興奮の伝導路が一時的に形成されることを意味する。「一時的に」というのは、このような伝導路は、その一定の音を聞かせたのちに口に酸溶液を入れるということをしばらくのあいだやらなければ消えてしまうからである。つまり大脳はそれまでに伝導路のなかったところでこれをつないだりまたは切ったりする開閉装置であって、条件反射による刺激の受容から刺激への反応までのその伝達経路の全体は交換台つきの電話にたとえることができる。こうしてこの見地から特徴づけるならば、無条件反射は直通反射であり、条件反射は接続反射であるということができる。

 このように実験的に形成された条件反射だけを考えると、それはまことに奇妙なものであり、なぜこのような奇妙なものが存在するのだろうかといぶかしく思われさえするのであろう。条件反射の存在理由を考えるためにまず無条件反射について考えよう。

 無条件条件には、食餌反射・防禦反射・性反射・自由を求める反射・探究反射などがある。自由を求める反射とは身体を拘束しようとすると抵抗する反射である。また探究反射とは環境のごくわずかの動揺に対してもこれに対応する感覚器官をその要因の方向に向ける反射であって、たとえば馬が小さな物音に対してピクリと耳を動かすのがこれである。「おや、なんだろう」という反射であるから、探究反射のことを「おやなんだ反射」ともいう。――さて、これらの無条件反射がいずれも生きることに、すなわち生物体の自己保存に関係があることは容易にわかる。もっとも関係がなさそうにみえるのが探究反射であるが、探究した結果もしもその刺激が生命に危険なものの接近を示すものであればつぎに防禦反射がおこるのであって、探究反射はいわば防禦反射の準備段階なのである。無条件反射をおこす刺激を無条件刺激というが、無条件刺激はいずれも直接的に生物学的な意味をもった、すなわち生物体の自己保存に直接的に関係のある刺激である。

 しかし外界には直接的には生物学的な意味をもたない多くの刺激がある。だがそれらの多くの刺激がみな一様に生物体にとって無意味なのではない。たとえばシマウマやカモシカにとってライオンのなき声や足音は直接的に危険なものではなく、そのかぎりでは直接的に生物学的な刺激ではない。直接的に危険なのはライオンのキバやツメであろうが、しかしキバやツメによる刺激を皮膚に感じてから逃げたのではすでにおそいのであるから、なき声や足音が聞こえるということはこの場合にはキバやツメの接近を表わす信号という意味をもっており、そのかぎりでは生物学的な意味をもつ刺激なのである。そして実際に原野に住む弱い動物は強い動物のなき声や足音に敏感に反応し、防禦反射をおこす。それは今日ではすでに本能的(無条件反射的)であるようにみえる。第1章第2節でこの種の事例を無条件反射の実例として述べたのはこの意味においてであった。だがしかし、犬の大脳半球を切りとってみると、その犬の無条件反射が変化することがわかる。すなわちその犬にとっては無条件反射をおこす刺激の数が非常に少なくなり、空間的に至近のものにかぎられるようになり、かつまた未分化になる。たとえばこの犬では食餌反射は食物を口に入れたときにのみおこり、遠方からくる複雑でこまかく分化した刺激はすべてその作用を失う。このことを考えれば、遠くから餌のにおいをかぎつけてこれに近づいたり、強い動物のなき声や足音を聞きつけて逃げたりすることは条件反射に起源をもつものであって、進化の過程で条件反射が無条件反射に転化したものであることがわかる。遠方からの餌のにおいや強い動物のなき声・足音などはもともとは無条件反射ではなかったのである。

 無条件刺激の信号という意味をもつ刺激を条件刺激または「信号刺激」という。大脳をもたない動物にとっても少数の信号刺激が存在している。だが大脳をもつ動物にとっては信号刺激となりうるものの範囲が拡大し、さらに特徴的なことには、信号の意味が変化しうる。すなわち無関心刺激(生物体の生存にかかわりのない刺激)であったものが一定の条件のもとである意味をもつ信号刺激になったり(たとえばベルの音が食物の存在を示す条件刺激になる、など)、あるいは同一の刺激のもつ意味が一定の条件のもとでその意味を変えたり(たとえばある地域の動物に対して餌をおいてワナをしかけると、はじめはよくワナにかかるが、同じやり方をつづけるとワナにかかりにくくなる場合があるが、この場合には食物の存在を示す信号刺激が生命の危険を示す信号刺激に変わる、など)、さらにまたある信号刺激が無関心刺激になったりする。

 つまり、大脳半球内では新しい連結が形成されるだけではなく、この連結が適当な条件のもとで切られるのであって、さきに大脳を含む条件反射による刺激の伝達経路の全体を交換台つきの電話にたとえたのは、このこと(切るべきときに切れること)を示したかったからである。
大脳が発達して多様な条件反射を形成する可能性が生まれることは、生物体が変化しつつある環境のなかでその変化にすばやく適応して生存しつづける可能性が増大することであって、いうまでもなく生物体の自己保存に有利なことである。

 複雑な条件反射の形成にとって必要なもう一つのことは刺激の小さな差異を区別することである。実験の結果によれば犬にはかなり高度にこの能力があることがわかる。はじめには刺激が一般的な形で新しい条件反射の成分になるが、あとになると刺激は分化する。たとえば音を条件刺激として条件反射を形成すると、はじめいろいろな異なった振動数をもつ音がみな一様に条件刺激になるが、一定の振動数の音だけを使って条件反射の形成をつづけると、ついにはその特定の振動数をもつ音だけが条件刺激となり、その他の振動数をもつ音は無関心刺激になる。このようになることを刺激が分化するというのである。この分化の過程を促進するために、実験としてつぎのことがおこなわれた。たとえば振動数500の音を条件刺激として、この音を聞かせて餌を与えるということを反復し、この音を聞けば唾液が分泌するという条件反射を形成する。そのあとでこんどは、振動数のちがう音を聞かせて、そのときには餌をやらないということを反復する。はじめのうちは犬はごまかしの信号を聞いても唾液を分泌するが、同じことを反復すると、振動数500の音を聞くと唾液を分泌するが、ごまかしの音を聞いても反射がおこらなくなる。そこでさらに、ごまかしの音の振動数をだんだんと条件刺激に近づけてゆくと、最後には振動数500の音に対しては反射がおこるが振動数498の音に対しは反射がおこらないというところまで犬が刺激を分化するにいたった、と実験報告は述べている。作用を失った刺激は制止されたといい、このようにして近似した刺激の一方を制止することを「分化制止」という。

 別の種類の制止に「延滞制止」とよばれるものがある。一定の条件刺激(たとえば、ベルの音)を相当に長い時間つづけて作用させたのちに無条件刺激(たとえば、餌)と結合するということを反復しておこないながら、条件刺激を与える時間をしだいに延長してゆくと、条件刺激を与えても最初の数秒間ないしは数分間は条件反射がおこらなくなる。つまり、継続して働く同一の刺激(たとえば、同じ振動数の音)でありながらその時間的な差が分化されて、早すぎる刺激は信号としての意味を失い、制止されるのである。

 また、一つの刺激ではなくて数個の刺激を組み合わせたものを条件刺激として、これと組み合わせや順序のちがった刺激を分化させて制止することもできる。たとえば犬を使って、ド・レ・ミ・ファという音の組み合わせを条件刺激とし、これに対してファ・ミ・レ・ドという音の組み合せを分化させて制止することができる。人間のことばもまた、犬にとっては、このような音の組み合わせのさらに複雑なものにほかならない。一般に訓練によって飼犬がその主人のことばを「理解する」ようになるといわれているのは、訓練の結果として刺激としての人間のことばを分化することのできる程度が高まった、ということにほかならない。

 犬の大脳半球の後頭葉と側頭葉を切除すると、「精神盲」・「精神聾」とよばれる症状がおこる。このような犬はみる能力を失ってはおらず、道でであったものをよけて通ることができ、明暗に反応するのであるが、しかし手術前とはちがって自分の主人を識別することができない。この場合に「この犬はみているが、しかし理解しない」という説明が与えられることがあるが、この場合に「理解する」という人間の意識にかかわることばを使うことは危険である。この犬は刺激を分析する能力が弱まったのであり、その結果、明暗を区別してこれを条件刺激として条件反射を形成することはできるが、物体の形とか運動とかを刺激として条件反射を形成することができないのである。
さて、条件反射を最初に研究したのは、周知のように、イ・ペ・パヴロフである。上述のような条件反射の研究を手がかりにして、彼は条件反射が形成されるにあたって大脳内でどのような生理的過程がおこなわれているかを追究して、大脳生理学を科学的基礎のうえにすえた。この研究の内容を詳細に述べることは本書の任務ではない。ここでは以上に述べたことにもとづいて、条件反射の研究が意識の本質と諸機能を解明するにあたってどのような意義をもっているかを考察しよう。

 条件反射が研究される以前には、人間は心臓や肺や胃腸の機能について知ることはできても、大脳の機能についてはほとんど何も具体的には知ることができなかった。わずかに、動物の大脳のある部分を切除するとある機能に障害がおこるということを調べることによって、大脳の一定の部分が一定の機能と関係があることを推定しうるにとどまった。条件反射の研究によって、生きて働いている大脳の中でおこなわれている眼にみえない機能をたとえば唾液の分泌というような測定できるものを通して推定することが可能になった。眼にみえるものを通じて眼にみえないものを研究できるようにするということは科学的研究方法の偉大な進歩である。
このことはまた感覚についてそれ以前よりもいっそう深く知ることを可能にした。たとえば眼のある動物について、われわれはとかくその眼がわれわれ人間の眼と同じ仕方でみえると考えやすいが、そうではないのである。たとえばヒキガエルは大きな眼をもっていて、いかにもよくみえそうであるが、眼の前にある木の葉にとまっているハエをとらえて食わない。そのハエが飛びたつと、その瞬間にパクリと食いつく。これは、静止しているハエはヒキガエルの眼にはみえず、働くときにはじめてみえるからである。視覚には一般に運動視と形態視との区別があって、下等動物にあっては運動視が発展していて、形態視は比較的未発達である。つまり運動しているものはよくみえるが静止しているものの形態はあまりよくみわけられず、たとえばヒキガエルの場合には、木の葉にハエがとまっていてもこれを形態によって木の葉とハエとしてみわけることができないのである。その理由は、動かないものは生物体の生存にとって比較的関係がなく、餌になるものも危険な敵も主として働くものであるから、生物進化の過程でまず運動視が発達したのである。レンズとしての機能をもつかぎりは眼球には目の前にあるすべてのものが写っているはずであるが、そのすべてが頭脳に反映されているわけではなく、その動物の生存により密接に関係のあるものがよりよく反映されるのである。形態視が未発達であるということは、網膜上における視神経細胞の分布に関係があり、また中枢神経系の発達に関係がある。「みえる」ということを外界の事物が視覚器官を通じて頭脳に反映されることであると解するならば、ヒキガエルはとまっているハエをみえるけれども理解しないのではなくて、みえないのである。

 したがって何がみえるかということは、視覚器官(眼)の問題であるばかりでなく、高等動物にとってはとりわけ大脳の問題である。前述のように後頭葉を切除されて精神盲の状態になっている犬は、飼主に対して電柱やポストに対するのと同様の反応しか示さない。つまりそれらはいずれも走るときにぶつからないようにしなければならないものという意味の信号刺激にはなるが、飼主の姿が電柱やポストから区別されて餌をくれる人という意味をもった信号刺激にはならないのである。ということは、この犬にとっては飼主の姿もまたある明暗のかたまりとしてはみえるが、特定の形態としてはみえないということを意味する。それぞれの動物には条件刺激として分化できるものだけが具体的にみえるのである。視覚の具体性はそれぞれの動物がどの範囲の条件反射を形成することができるかということと相関的である。――以上視覚について述べたことは他の感覚についてもあてはまる。
条件反射学説がもたらしたもう一つの大きな成果は、これによって心理現象の理解に決定論を貫くことができるようになったことである。決定論とは原因によって結果が決定されることを主張する哲学的理論であって、事物を科学的に理解しようとすれば決定論の立場に立たなければならない。一定の原因によって一定の結果がもたらされることを認めず、原因と結果との必然的な結びつきを否定するならば、ある事象をひきおこす原因を探究してその原因を支配している法則を明らかにするという科学的研究は不可能になるからである。――だが決定論には機械論的決定論と弁証法的決定論との区別がある。機械論的決定論は原因が作用する場合の諸条件に注意をはらわず、同一の原因がつねに同一の結果を生じるというように考える。弁証法的決定論は諸条件を重視し、同一の原因であってもそれが作用する場合の諸条件が異なれば結果もまた異なることを認め、諸条件を分析してこれが結果をどのように異ならしめるか把握しようと努める。いうまでもなく機械的決定論は事柄をあまり単純化しすぎており、一面的に割り切ってとらえるという誤りにおちいっている。

 そもそも「反射」という概念を最初に確立したのはデカルトであった。外界の刺激が神経の興奮の伝導によって脳に達し、その結果としておこる生物体の自動的反応を彼は「反射」と名づけた。だが彼の考えは機械論的であり、外界の刺激と生物体の自動的反応とを直線的に結びつけたので、人間の心理現象に関しては彼の「反射」の概念では説明できない多くの事柄にぶつからざるをえなかった。たとえば同じ音楽を聞いた二人の人がまったく別の反応を示すことがあるが、デカルトの反射概念ではこのような事実を説明できない。それで彼は人間の心理のすべてを反射概念によって説明するという方向へと進むことができず、人間の理性的霊魂という観念論的原理をもちだし、人間を説明するにあたって統一不可能な二元論におちいったのである。

 だが条件反射学説は心理現象を弁証法的決定論にしたがって研究しかつ理解する道を開いた。この学説によれば、それぞれの人間は生まれてからそのときにいたるまでにそれぞれの生活条件のちがいに応じてさまざまの異なった条件反射を形成しており、それらの複雑な痕跡を大脳内に保有している。外的原因(刺激)は人間に作用してその反応を直接的に決定するのではない。外的原因(刺激)はこれを受けとる人間の内的条件(その人がそのときまでにすでに形成しているさまざまの条件反射の総体)によって媒介され、さまざまに変容されて、そのうえでその人の反応を決定する。それだからこの内的条件の相違によって、外的刺激は同一であっても、異なった人間において・または同一の人間であっても異なったときには、結果として異なった反応を生じうる。このように内的条件による屈折を考慮するのが反射の弁証法的な理解である。
だがまた、ただ内的条件の相違をいうだけで、この内的条件を理性の自発性のごときものに帰着させるならば、心理現象の科学的研究は不可能にあるであろう。条件反射学説は、この内的条件がさまざまの条件反射の総体であり、それぞれの条件反射がまた結局は外的原因によって決定されたものであることを主張することによって、心理現象を弁証法的決定論の立場にたって研究しかつ理解することを可能にしているのである。
さて、自然的環境も変化するが、社会的環境はいっそう早いテンポで変化しいっそう微妙な変化をする。社会的動物である人間は可変的な社会的環境に適応して生きるために、他の動物に比べて飛躍的に大きな条件反射形成の可能性をもっていなければならない。このことについては節を改めて述べよう。

意識論(寺沢 恒信著)1984年 大月書店

セーチェーノフ1829~1905


ロシアの生理学者、唯物論的心理学者。これらの科学をロシアに確立した屈指の学者。ペテルグラードの外科医学大学とモスクワ大学の教授を経て、1904年科学アカデミ-の名誉会員、その哲学的、社会―政治的見解はロシアの革命的民主主義者、とくにチェルヌィシェーフスキーの影響のもとにあった。かれの研究上の指導原理は、世界の物質的統一性、決定論、発生的研究方法であり、中枢神経系とくに脳の実験生理学的研究に先鞭をつけた。そして脳の活動に反射原理をひろげ、動物および人間の心理活動の反射理論の発端となり、パーブロフの高等神経活動の学説を生み出すのに道をひらいた。感覚反射から思考への移りゆきや思考の本性についての問題などの解明で、唯物論的認識論に多くの寄与をした。


イワン・ミハイロヴィッチ・セーチェノフは、1829年8月1日、ボルガ中流地方にある父の所有地で生まれた。彼はサンクト・ペテルブルグの工兵学校で訓練を受け、1年半を軍隊ですごした。この間に、彼は自然科学と医学とに非常に興味を持つようになり、兵役を終えたのち、モスクワ大学医学部に入学した。1856年6月に医学博士の称号をえてから、彼は、のちにパブロフの恩師となったS.P.ボトキンといっしょに留学し、フランスではデュボア・レイモン(DuBois Raymond)やクロード・ベルナール(Claude Bernard),ドイツではヨハン・ミューラー、カルル・ルードヴィヒ(Karl Ludwic)、へルマン・フォン・ヘルムホルツといった、世界的に有名な科学者のもとで研究した。彼は、友人のメンデレーエフやボローディン(Borodin)(有名な科学者でイゴール公の作曲家)とともに旅行して多くの時間をすごした。
1860年にロシアに帰国すると、彼は内科外科専門学校の生理学助教授に任命され、生理学にかんする一連の講義をはじめたが、それは学界および知識人社会一般にひじょうに大きな感銘を与えた。彼は、ベルナール、ルートヴィッヒ、ミューラーおよびヘルムホルツの理論をロシアにもたらした最初の人であった。

 1862年に、セーチェノフはふたたびパリにおもむき、クロード・ベルナールの研究室で、反射運動を抑制する神経中枢の実験的研究をおこなった。モスクワへ帰ったのち、彼はこれらの実験にもとづいて一つの論文を書き、広く読まれていた月刊評論雑誌「現代人」にそれを発表するつもりであった。論文の題は「心理諸過程の生理学的基礎を確立する一つの試み」(An Attemp to Establish the Physiogical Basis of Psychical Processes)となるはずであった。しかし、ツアーの検閲官はその論文を専門医学雑誌に発表することしか許そうとせず、またその標題が、「論文をめざす結論をあまりに明白に」示しすぎるという理由で、それをかえるように命令した。その論文はしたがって1863年に「脳髄の反射」という題で、ある医学雑誌に発表された。

 もとの表題はたしかに論文の目的を明白に示している。論文の冒頭で、セーチェノフは、自分は「脳の心理的活動にかんするいくつかの考え――生理学の文献のなかではかつて述べられたことのない考え――を世界に伝えよう」と決心していた、と述べている。
「心的活動の生理学的基礎」を確立するためには、彼は、デカルトの心理・生理二元論――すなわち肉体と精神とは、それぞれ完全に別個で実質的に無関係な二つの体系を含んでおり、しかもそれらは、どうやら平行線をたどっているという理論――からはじまる長い伝統と真正面から戦わなければならなかった。この戦いをおこなうために、セーチェノフ自身はロックとダーウィンに足場をおいた。前者は、心的活動が感覚的経験に依存していることを教え、後者は、どんな現象も、現在より低級な形態に発して発展する歴史をもっていることを教えた。もっと直接的には、彼はクロード・ベルナールをはじめとする多くの科学者によって発展させられた反射生理学に、彼の思考の基礎をおいたのである。

 彼が証明しようととり組んでいた思想、それは、霊魂、プシケーなるものは肉体から独立した存在であるどころか、じっさいは、一般的には中枢神経系の、特殊的には脳の、機能であるという革命的な思想であった。したがってそれは、鉄壁を誇っていた理論に対する大胆な唯物論的挑戦であった。そしてそれは、1859年にダーウィンの「種の起源」(Orgin of Species)が出版されたちょうど4年のちに呈示されたのであった。
セーチェノフは反射の性質をめぐって彼の議論を展開している。反射はつねに三相の構造をもっている。第一は外的(あるいは内的)環境が感覚受容器(皮膚、目、耳、鼻など)に及ぼす刺激であり、第二は脊髄あるいは脳への伝達で、そこにおいて、それより先への連結と相互連結がおこなわれる。そして第三はふたたび外部へむけての伝達であるが、こんどは感覚受容器にではなく、活動を起こす筋肉にむけられる。この構造は下等動物にかんしてはよく知られていた。蛙の生体解剖を通じて、多くの実験的研究がおこなわれていた。このような方法で、興奮と制止とが、神経過程の主要要素として分析されていた。セーチェノフ自身も、蛙の脳における制止機制について二つの論文を発表していた。
セーチェノフの主張は、つまり、多岐多様な心理的諸現象のすべてが神経系と脳を基礎にして説明されうるし、また説明されなければならず、そして神経過程一般の作用様式である反射孤の機制による以外のしかたで、高次神経活動がおこなわれていると仮定するどんな理由もない、ということであった。

 彼は本質的な唯物論的原理を述べることからはじめる。「脳は精神の器官である、つまり何らかの種類の原因によって活動をはじめると、その最終の結果として、われわれが心理活動と特徴づける一連の外的諸現象を生み出すような、一つの機制である」と。この心理的世界はひじょうに広範囲で、そのあらわれはひじょうに多様であり、その複雑さはこのうえなくこみいっているので、セーチェノフがいっているように、生理学的基礎を発見するという課題は「いっけんしたところ不可能であるように見える。」しかし、と彼はつけ加える。「じっさいには、それは不可能ではない。それはつぎのような理由によってである。」

 その理由とは、心理的諸現象の無限の多様性の基礎に、それらを統一している特徴が一つだけある、ということである。それら諸現象は、話されあるいは書かれたことばとなってあらわれるにせよ、行為となって出てくるにせよ、すべて筋肉の活動であらわされる。おもちゃを見て笑っている子ども、祖国愛がすぎたために迫害を受けながら莞爾たるガリバルディ将軍、はじめて恋を想って身を震わせている少女、あるいは普遍的法則を口に唱えつつ、それを紙のうえに書いているニュートンを例にだしてセーチェノフはいう、「どこにおいても、最終的な表示は筋肉の運動である」と。この考えを示すことは、最初に思われるほどそんなに驚くべきことではない。セーチェノフは、人間の心的あるいは精神的活動をことばと行為をとおして知るという仕組みを、人類が長い年月をかけて生みだしてきたことに、読者の注意をひいている。セーチェノフはいう。「<行為>ということで、ふつうの人は、疑いもなくもっぱら筋肉の使用にもとづく、人間のあらゆる外的、機械的な活動のことを考える。また<ことば>ということで、学問のある読者はおわかりのように、喉頭および口腔で、これまた筋肉の運動によってつくりだされたいろいろな音の一定の組みあわせが考えられている。」

 セーチェノフは、反射が脳の機制であり、それゆえにそれは心的活動の生理学的基礎である、という彼の主張の論証を、人びとがすでに容認しているところからはじめた。筋肉の活動は、しかし、反射孤の第三局面である。こうして彼の課題の3分の1はできあがる。彼はさらに、不随意筋活動も随意筋活動もともに、脊髄あるいは脳から出てくる反射孤の最後の結果であることを、多くの紙面をさいてくわしく説明している。

 彼のつぎの仕事は、すべての反射孤が感覚受容器の刺激をその最初の局面としており、脳の活動も例外ではないことを示すことである。
ここでセーチェノフは、神経活動の下等形態からえられた実験的証明とともに、ロックを援用する。ロックの立場は、すべての概念は、目や耳や鼻をとおしての感覚的経験に発する単純な観念が複雑に組みあわさったものである、ということであり、それは、ブルジョア革命闘争のさなかにあって、神あるいは自然から与えられた生得概念という封建的な概念と戦う彼の経験主義哲学にとっては、不可欠なものであった。こうして、感官への刺激なしにはどんな精神的活動も存在しない。感覚的刺激作用なしには、どんな思考も情動も存在しない。

 動物の生活の低次の領域では、環境からの感覚的刺激作用がないばあい、まったく反射が起こらないということが、すでに確証されてきた。以上二つの証拠源をいっしょにして、セーチェノフは、反射を手段にした脳の機能としての心的活動は、一つあるいはそれ以上の感官の何らかの刺激があってはじめて生みだされる、と結論している。

 今や彼は、人間も含めて高等動物の脳の活動が反射の特徴のうちの二つをもつことを、すなわち反射のはじまりは感官への刺激作用にあり、反射の終りは筋肉の活動にあるということを、「論証し」た。彼の仕事の3分の2は達成された。
しかし最後の3分の1はどうか。感官への刺激作用があってのち、そして筋肉の活動がはじまる前に起こることが、反射の第二局面、つまり脳内でおこなわれる連結と相互連結によって説明できるであろうか。問題は思考や情動が反射によって説明されうるかどうか、ということである。
セーチェノフはできると答えている。しかしここで彼は先の論証ほど堅固な土台に立ってはいない。というのは、彼は所論をすすめるにも類推しかない。低次の諸形態から類推するしかないからである。しかし彼の仮説は、当時としてはすばらしいものであった。その後パブロフが条件反射を発見するにおよんで、それは修正され、またその大筋において実験的証明が与えられることになった。

 セーチェノフは人間の脳のなかに、反射孤の第三局面つまり筋肉的局面を強めたり制止したりする機能をもつ、ある中枢があることを仮定した。彼は情動を、強化された筋肉反応ということで説明した。

 思考は制止された筋肉反応の結果であるという彼の主張を裏づけるために、彼は二つの型の現象を証拠として出している。第一に彼が注意を喚起しているのは、子どもたちが、たしなめや罰やほうびによって、ある行為を制止することを学ぶという点である。おとなも同様に、自分の感情やある形態の行動の表出を制止することを学ぶ。第二に、反射反応の制止という事実は、蛙やそのほかの下等動物の場合にはすでに確かめられていた。こういうケースから、彼は、同様な機制が人間のなかにも存在することが論理的必然として認められなければならない、と結論している。

 反射の最終局面である筋肉活動を制止することによって、人は行動する前に考えることを学ぶ。思考はこうして反射の三相のうちの最初の二つ、つまり感覚的刺激と脳内での連結であり、運動反応のほうは制止されているのである。「思考のなかに、反射のはじまりも継続もあるが、反射の終り(すなわち運動)だけが外見上欠けている」と、セーチェノフはいう。

 たほう情動においては、反射の要素は三つとも存在しており、しかもその最後の筋肉反応が強められている。このことは、筋肉活動あるいは表出が、ふつうの反応以上に与えられた刺激に近寄っていることを意味する。

 同じようなしかたで、セーチェノフは、三つの局面をもつ反射孤という枠組みにはめて、すべての心的現象、たとえば、感覚、知覚、意志、願望、欲求、記憶、想像、異性にたいする愛情、子どもの発達、などを説明しようと試みている。いずれのばあいにも、彼の第一の関心は<人間のすべての活動の真の原因は人間の外にある>」、つまり外的感覚的刺激作用や外的筋肉運動にあることを示すのにむけられている。これこそ彼の第一の課題であった。というのは、これら二つの仮説を展開するなかで、彼は、すべての心的現象は反射の性質をもつという命題の少なくとも3分の2を確定しつつあるからである。制止と強化についての彼の論理にかんしては、彼自身、「これは第二次的な重要さしかもたないものである」といっている。
彼はつぎのように結論する。すなわち、「わたしの主要な課題は、意識的無意識的な生活のすべての行動は、その機制という点から見れば、反射であることを示し」、そして「心理生活の諸現象に生理学的知識を適用することができることを、心理学者に示すことにある。そしてこの目的のいくぶんかは達せられたように、わたしは思う。」

 「脳髄の反射」の最後の文章のなかで、セーチェノフは、「さあだれでも、心理活動とその表出や運動が外部の感覚的刺激作用なしで起こると主張するならしてみるがよい」と、くるものすべてに戦いをいどんでいる。

 「脳髄の反射」のなかに示された思想はひじょうに新しく、大胆で、しかも説得力をもっていたので、この本はすぐにロシア中に知れわたった。それは、科学においてロシア人が、そして今日ではソヴエト人がまったく正当に誇りとしている、リアリズムと唯物論の遺産の一部に、ただちに加えられた。

パブロフの理論と科学的唯物論のいくつかの原理(I)

完全に科学的で唯物論的な心理学を建設するために、ぜったいに不可欠の二つの指導原理がある。一つは、精神活動は脳の機能であるということであり、もう一つは、精神活動が客観的実在の反映であるということである。これら二つの原理は、哲学の形においては100年以上にわたって、マルクス主義の世界観つまり弁証法的唯物論のもっとも重要な要素であった。そのうえ、それらは、科学の唯物論に本来含まれており、約2000年間も続いていた。前者は唯物論の、後者は唯物論的認識論の、それぞれ基礎的前提である。前者は、物質の存在がつねに先行しており、精神、霊魂、意識は物質の一定の組織化に依存して、あとから、派生的に発展したものであることを主張する。後者は、労働および科学を含めた社会的実践をとおして、人間は外界の諸過程を真に反映する諸々の事実や法則を発見すると主張する。

 この二つの原理は、マルクス主義的社会科学の理論と実践においても、また自然科学の歴史をとおしても検証され、証明されてきた。しかし、科学的、唯物論的な世界観、人生観のなかで、これまで一つの環が見落とされてきた。その環は、生理学と密接に結びついた真の心理科学だけが補いうるものであった。その環は<いかにして>自然は過去、現在を通じて意識を生みだしているか、そして意識は<どのようにして>実在を反映するかを、同時に説明しうる物質的な装置、すなわち機制であった。

 この環が見落され、神経機制が知られていないかぎり、唯物論には弱点があった。この弱い環は観念論に利用され、人間性についての無知と混乱と都合のよいつくり話をひろめるために、反動によって使用された。形而上学的心理学はこの蒙昧主義のプールであり、とくに帝国主義時代におけるブルジョア・イデオロギーのすべての面に通ずる導管をもっていて、そこに養分を送っていたのである。
感覚系と言語系とをともに含む条件反射の理論と方法で武装した心理科学は、見落とされていた環を補うことができ、こうして唯物論における最後の大きな弱点をとり除くことができる。この環を補い、この弱点を取り除くとともに、形而上学的で内観的な心理学と、それを支えとしている反動イデオロギーとを完全に科学的に暴露するための、基礎がおかれているのである。

 自然が構造的、機能的な機制によって、どのように意識を生みだすかという第一の問題は、そのなかに、心理学の二つの本質的な問題、つまり人類における意識の起源と発達、および個体における意識の起源と発達という問題を含んでいる。前者は猿から人間への移行の問題を含み、これにたいし後者は、誕生以後の子どもの発達にかかわっている。パブロフは、これらの問題の解決のための一般的な輪郭を示した。ソ連における実験心理学的研究は、もう少し後で見るように、その細部まで埋めはじめている。しかしわれわれは、まず、パブロフが描いた人間心理学へのアプローチの一般的輪郭が、唯物論において見落とされていた環を補うためにどんな意義をもっていたかをさぐられなければならない。われわれは最初に、人類における意識発生の問題をとりあげる。

 1872年から1882年のあいだのいつかに書かれた「猿が人間になるさいの労働の役割」という論文のなかで、フリードリッヒ・エンゲルス(Fredrick Engels)は、両手が自由になったことが最初の決定的な進歩であった、といっている。彼はいう。「手が自由になった。そしてそれ以後たえずいっそう大きな機敏さと器用さとを獲得することができた…。このようなわけで、手は労働の器官であるだけでなく、また労働の産物でもある。」しかし労働は、手だけを切りはなして発達させたのではなく、生物体全体にその影響を与えた。「人間の手がしだいに完成し、それと歩調を合わせて足が直立歩行に適するものになっていたことは、このような相関関係によって疑いもなく生物体の他の部分にも反作用した」と、エンゲルスはいっている。「他の部分」というなかで、エンゲルスがとくに指摘するのは言語の器官と機能、猿の脳から人間の脳への変化である。しかし、このような身体の他の部分に及ぼす労働の作用について、エンゲルスは、つぎのように書いている。すなわち、「この作用はまだほとんど研究されていないので、われわれはこの事実を一般的に確認する以上のことをここではなしえないのである。」このように、エンゲルスは、猿が人間になるさいの労働の役割を説明するときに、科学的知識、とくに言語の機制と高次神経諸過程についての知識が欠けていることを指摘していた。

 パブロフの理論は、このすき間を埋めるための土台を提供している。彼はいっている。「発達しつつある動物界は、人間の段階にまで到達したとき、神経活動の機制の面で、いままでになかった補足物を獲得した。動物にとって、実在の信号になるのはほとんどもっぱら、生物体の視覚、聴覚その他の受容器の特別な細胞に直接に伝えられる刺激作用――およびそれらが大脳半球に残す痕跡――である。これは、ことばこそ使わないが、目に見え耳に聞こえる環境についてわれわれも同じように印象、感覚、把握といった形でもっているものである。実在からの信号を処理するこの第一の系は、われわれのばあいも動物のあいも同じである。しかし言語は、実在の信号を処理する第二の系をつくりあげた。それは、第一次的信号の信号として、われわれだけに特有のものである。」

 実在のこの第二次あるいは言語信号系の起源を、パブロフは説明したことはなかった。一度だけ彼は、猿が人間になるために欠けている唯一のものはことばである、といった。しかし史的唯物論は重要な前進を続ける。猿は言語と言語機制とをもっていないが、それは彼らが道具をつくり、道具を使う種にまで発達しなかったからである。つまり猿は、労働過程にまでは到達しなかったのである。パブロフは高次神経活動について深く唯物論的で弁証法的な科学を発達させたが、彼は意識的な弁証法的唯物論者ではなかった。まして彼は史的唯物論者ではなかった。彼はマルクス主義者ではなかった。だから、高次神経過程の発達にかんする彼の理論のなかには、いくつかの欠陥がある。第二信号系は人間に特有の装置であるから、第二信号系というこの仮説を、史的唯物論およびマルクス主義社会科学の文脈のなかにいれて見ることが必要である。もっとも重要なことは、エンゲルスの、猿が人間になるさいの労働の役割にかんする主張と結びつけて、彼の理論を考えなければないならないということである。
パブロフが高等動物の第一信号系つまり感覚系を、生得的反応だけに限られている生物の形態をこえた、巨大な進歩とみていたことが思いだされるであろう。条件反射の発展は、動物が外的条件の変化にはるかに大きな融通性をもって適応することを意味した。このヨリ大きな適応性は、まず第一に遠隔受容器――目、耳、鼻――が精巧になる結果として発達したが、それとともに、外的事物からの刺激をつなぎあわせ、分析し、総合する機能をもつ大脳皮質も発達した結果である。こうした機制を通じて、環境のなかにあるなにかが、どんな偶然に出会ったものであろうとも、主として餌を食べ、生殖をおこない、あるいは生物体を防御することと結びついて、動物にとって他のものより以上に意味のある事物をあらわす信号の役割を、多かれ少なかれ一時的にはたすことができた。
問題は、人間がこの機制につけ加えた言語系が、第一信号系を基礎にしてどのように発達したか、である。
エンゲルスは、「ある意味では、労働が人間そのものをつくりだしたといわねばならない」と指摘した。人間と他の動物との、その後の本質的なすべての差異を生みだしたのは、まさに労働であり、道具の製作と使用であった。数十万年の労働によって、人間の手は完全なものになった。しかし、手の器用さの発達には、生理学的な、神経的な、変化がともない、さらに人々のあいだの関係の変化がともなった。労働は最初は、環境の小部分を人間の欲求に合うようにすることを意味していた。外的事物は、労働をとおして、道具や有用な産物に変えられた。これは、生物体と環境とのあいだの均衡の、完全に新しい段階の開始を画した。エンゲルスがいうように、いっぽうにおいて「動物は外部の自然をたんに利用し、自分がそこにいることだけで生じる変化を起こさせる」だけであるのにたいし、たほう「人間は、自分のもちこむ諸変化によって自然を自分の諸目的に役だつようにし、自然を支配する。」労働過程そのもの、つまり道具を使ってものをつくり、さらに道具そのものをつくることは、ますます事物の諸特性、その類似と差異を発見すること、そしてこれまたはあれを使って何ができ、何ができないかを、見いだすことを意味している。このように複雑になった活動は、そのはじめから<社会的なもの>であった。道具をつくったり使ったりするとき、人びとは必要上いっしょに仕事をした。だから、労働はその社会的特性によって、人間がもついま一つ本質的な特性、つまり人間社会を生みだした。労働が社会的活動を要請するという事実、また労働は人間をとりまいている諸事物の特性をますます深く発見することを意味するという事実は、ことば、談話、言語の形成に導いた。エンゲルスはつぎのようにいっている。「要するに生成しつつある人間たちは、相互に<何事かを語らなければならない>ところまできたのである。必要がそれ自体自己の器官を創りだす。猿の未発達な喉頭が、音の抑揚の変化がだんだん大きくなることによって、ゆっくりつくりかえられ、そして口の諸器官は、はっきり分れた文字をつぎつぎと区切って発現することをしだいに覚えたのであった。」

 猿から人間への移行を理解するときに、第二信号系の神経装置にかんするパブロフの考えが一つの連結環を与えるのは、この点においてである。ことばとしてしだいにステレオタイプ化しつつある音声は、具体的な外的事物の特性や作用の信号として働く条件刺激になっていった。ことばは、第一次系のヨリ直接的な信号とは質的に異なった、付加的な信号系となる。ことばが質的に異なっているというのは、第一に、それらが実在からの抽象であるからである。ことばが抽象性をもつのは、ある面では、ことばが名詞であるが、動詞であるか、形容詞あるいは副詞であるかにしたがって、事物、できごと、あるいはそれらの変態も含めた一定部類全体をあらわす名前であるからである。いずれのばあいにも、一つのことばは、それが意味する部類の、無数の個々の事例をあらわす信号としてある。たとえば「木」ということばは、いくつかの特性を共通にもっているが同時にはっきりした個体差をもつ、無数の特殊の具体的事物を示すための、言語による符号である。言語による符号は、無限にあるすべての差異のなかから、それによって抽象される共通の特質をあらわしている。ことばの主要な特質は、所与の種類の事物の全具体例にあてはまるように抽象性をもつことである。そのように抽象されているので、ことばは、どんな具体的事例をとっても、信号となりうるのである。信号としてのことばは、適応にさいして、動物の条件的感官刺激よりはるかに融通がきき、はるかにこまかい区別ができるのである。

 抽象作用という性格がえられるのは、また一面では、事物のバーバル・イメージ言語像が、知覚された事物や人びとの活動にとってかわるか、それらのあいだに介入するからでる。言語像、つまりそれが意味する事物や行動に条件的に結合していることばは、それ自身、他の事物や行動を意味する別のことばと結びついている。こうして、感官刺激に反応する直接的な行動のかわりに、言語にたいする条件反応が存在し、それがさらに条件的言語結合あるいは連合をただちに生みだしていく。こうした言語連合が、自己内コミュニケーションの形をとって無声であるとき、それが思考である。もしそれらの連合が有声であれば、そのときそれは社会的コミュニケーションである。言語による連合が無声であれ有声であれ、それらはやがて行動に導くであろう。こうして、条件信号としてのことばによって、人は自分を情況から十分に抽象することができるようになる。その結果、人は、行動する前に<立ちどまって考え>、あるいは<たちどまって論議する>ことができる。こうして、言語に対する条件反応は、感官刺激と行動による反応とのあいだにはいるものである。言語連合がはいりこむことにより、人はたんに直接的な感官刺激によるだけでなく、むしろ過去の経験や、ありうる未来の結果によって、反応することができるようになる。さらにもっと重要なことは、言語信号は、人が言語に一般化された彼自身の過去の経験にてらして反応できるようにするだけでなく、話されたり書かれたりした言語信号をとおして、人が他の人びとや他の世代から学んだものにてらしてもまた、反応できるようにすることである。

 動物は第一次あるいは感覚信号系にかぎられているので、活動のための条件刺激となっているにおいをかぐと、それによってただちに行動をはじめる。ところが人間のばあいには、何か外的な動因、たとえば森のなかの足跡を見ても、かならずしもただちに行動には移らない。それはまず条件反応としての言語、たとえば「鹿」に導き、それがこんどは他のことばと結びついて、連合の鎖あるいは思考過程を生みだす。もしこの人が他の人びとと同行しているのであれば、この過程のあるものは、談話としてあらわされるであろう。最後に、言語連合による自己内コミュニケーションと、おそらくなかまとの、これもことばによる相談のあとで、行動の方針が決定され、そして行動がはじまるのである。

 言語に対する条件反射の機制は、パブロフによれば、第一に、皮質をとおして発声器官の神経と筋肉に結びつけられている感官刺激であり、ついでこんどは、これらの神経と筋肉が運動感覚による刺激作用を皮質に送りこむ。皮質のなかでは、これらの運動感覚による刺激は他の条件言語信号に結びつけられる。感官刺激は実在の第一次信号であり、動物にあっては、唯一の信号である。しかし人間にあっては、これらの感官刺激が、まず第一に行動を生みだすのではなく、ヨリ以上の連合を形成するために、発声器官を刺激して運動感覚による刺激を皮質に送り返しており、この事実が、第一信号系を基礎にしてつくられている第二次あるいは言語信号系を構成している。この第二信号系こそが、思考、意識、そして精神過程一般の神経装置を構成している。同時に、言語信号系は第一信号系に、つまり外界からの感官刺激に絶対的に依存しており、究極的には外界からの刺激のみがことばを生みだすことができるのだが、そういう事実が思考と感覚的経験、理論と実践とのあいだに密接な関係があることを保証している。ある人間の生きかた、彼がおこなう社会的実践の種類は、結局は、彼がどのように考え、どのように感ずるかを決定するであろう。

 猿が人間になるときに高次神経過程が発達することにかんしては、労働過程は、それと相関的に発達する言語とともに、動物に見られる域をはるかにこえた皮質の発達をもたらした。こうなったのは一面では、発声器官とのあいだに複雑で多数の神経結合を必要としたためであり、また一面では、目と手との精巧さと整合とがたえず大きくなっていくなかで、手と皮質の精徴な結合が生まれたためであった。労働の熟練が発達すればするほど、手や感覚器官や発声器官と皮質とのあいだに、種々の結合が発達しなければならなかった。しかし、それらの結合が発達すればするほど、技巧もますます精妙になってきた。労働過程を決定要因としてもつ、このらせん状の発達をとおして、人間は、約百万年のうちに、今日のような生理学的構造を出現させたのである。

 労働過程の結果として言語が生まれたことは、だから、第一次あるいは感覚信号系を基礎にして、第二次あるいは言語信号系が生まれたことを意味した。ことばは、条件感官刺激を支配しているのと同じ法則に一般的にしたがって条件刺激である。パブロフがいっているように、「第一信号系の働きを本質的に支配している諸法則が、必然的に第二信号系をも規制していることは疑いない。なぜなら、それは同じ神経組織によっておこなわれる働きであるからである。」

 この意味は、感覚像をあらわした言語信号を用いる言語系も、パブロフによって高次神経活動全体について真であることが見いだされた諸法則にしたがう、つまり条件反射の形成と消去の法則、分析と総合、拡延と集中の法則、そして一般的に興奮と制止の法則にしたがうということである。これらの法則が第二信号系の働きにかかわるときには、それらがあてはまる仕方にも法則がとる形態にも特別なものがあろう。さらに、第二信号系だけに特殊な法則もあるであろう。しかしいずれにせよ、それらも動物を使っての実験的研究によって明らかにされた、神経諸過程にかんする本質的な諸法則の表現に変わりはあるまいと、パブロフは確信していた。

 彼はこの信念が正しいことを、病院での研究をとおして、自分で満足がいくまで証明した。神経症と精神病の種々の形態、とくにオブセツシブ強迫症、デリュージョナル妄想症、ヒポコンドリアル心気症、デプレッシブ抑うつ症といったいくつかの型にかかっている精神疾患者を分析するなかで、パブロフは高次神経活動の諸法則を利用し、それらが第二信号系にあてはまるばあいの特殊性を証明してみせた。この研究は、以下の章で探究される。

 第二信号系の作用、つまりことばが感覚的経験を媒介にして外的事物や事象の信号となる過程は、条件反射の高次神経機制によってなしとげられる。人間にとって、ことばは他のすべてのものと同様に条件刺激であり、条件反射活動の一般的法則にしたがっている。しかし、条件刺激としては、ことばは、動物の感覚的条件反射活動とくらべて、いっそう融通性があり、結合と連合の可能性もはるかに大きく、それゆえに、くらべものにならない高次の水準にあるのである。こうして、人間と動物の高次神経活動のあいだには、連続性とともにするどい断絶がある。連続性があるというのは、両者の高次神経活動が条件反射の働きであるからである。断絶あるいは飛躍があるというのは、人間は感覚系の機制を動物と共通にもっているだけでなく、言語系という付加的装置をもっているからでる。

 猿から人間への移行についての著作でエンゲルスが指摘した欠陥を埋めるものは、人間だけにある言語系についてのパブロフの理論である。労働過程の産物である第二信号系の機制は、移行のなかで生じた神経のあたらしい発達であった。そしてこの発達こそが、複雑な神経生活全体の根底にあってそれを可能にしている、神経の構造と諸過程とを生みだしたのである。人間の知識にこの点で欠陥があったのを埋めることによって、パブロフの高次神経過程についての科学は、唯物論にたいしてひじょうに大きな貢献をしている。この科学は、意識つまり人間の精神が、物質にたいして第二次的であり、物質から派生したものであるという、唯物論の基本命題を証明するうえでの最後の環を提供している。というのは、それは、あるしかたで組織された物質、つまり相互に関連しあった感覚信号系と言語信号系とをもつ人間の大脳皮質が、労働過程の発展のなかで、どのように意識を生みだすかを示すからである。    

パブロフとフロイト(1966年)より

パブロフの理論と科学的唯物論のいくつかの原理(II)

出生以来の個人の意識の起源と発達についても、同じように重要な意味がパブロフの理論のなかに含まれている。幼児は、感覚系および言語系の機制を含む高次神経活動の、遺伝してきた装置をもって生まれてくる。この意味では、すべての幼児は生まれたときには同じで、どんな社会で成長しようと、その社会に十分参与できる。たとえば、もっとも未発達な部族社会に生まれた子どもも、生まれて間もなくもっとも進んだ社会についていかれるとき、生まれつきの限界なしに、その社会秩序が提供するいっさいを習得することができる。これは、高次神経活動の型にはどんな個人差もない、ということを意味するのではなく、このような差は、ひとりの子どもが他の子どもよりいっそう早く、あるいはいっそう先まで発展するだろうということをまえもって決定するものではない、ということをこそ意味するのである。このことを示す実験的な事実をちょっとだけあげてみよう。

 出生後、感覚信号系がまず働きはじめる、子どもの言語が発達するまでは、子どもは、無条件反射を基礎につくりあげられた第一信号系の条件反射によって、彼をとりまくものに適応する。最初の条件づけをおこなうものとして作用する家族という社会的単位のなかで、幼児は自分をとりまく生活諸条件との高度に複雑な関係を発達させる。しかしこの複雑さは、言語の助けなしに、条件づけられた感官刺激の分析と総合によって説明される。幼児はことばの意味よりむしろその音調に反応する。こうして、幼年期には、<思考>をともないわない感覚条件反射の水準での微妙な順応がおこなわれるのである。思考は言語の発達とともに発達する。

 1才から2才のあいだのどこかで、子どもには言語習得の過程がはじまり、こうして第二次あるいは言語信号系の機制が始動する。言語信号系が感覚信号系に依存していることは、子どもがしゃべりはじめると、すぐにはっきりする。ここでは、その過程は明らかに具体的な外的事物からの条件感覚刺激と結びついて、外側つまり母親が父親からの、言語刺激の過程なのである。子どもが、スプーンや茶わんやおもちゃを見たり、ひねりまわしたりするとき、たえずことばをくり返している過程は周知のところである。反復するなかで、子どもは、ある感覚像をあることばに結びつけるように、しだいに条件づけられていく。言語へのこの条件づけの検証は、子どもがこうした言語による符号を、遊び活動のなかで生ずる感覚に正しく結びつけて使うことでなされる。こうして、言語信号系は感覚信号系を基礎に発展し、それからふたたび後者にもどされて検証されるのである。

 言語を通じてのコミュニケーションがおこなわれる社会的環境は、子どものうちにしだいに言語系をつくりあげてゆく。このことが可能なのは、子どもが言語系の高次神経機制を遺伝によって与えられているからである。しかし、もし子どもが、生まれたときから人間社会から切りはなされて動物によって育てられるとすれば、そうしてこうした事例はいくつか報告されているが、子どもは言語系を発達させないであろう。第二信号系の神経機制は始動させられないであろう。それを働かせるためには、言語、すなわち語いと文法が重要な役割をはたしている社会的環境が必要である。こうした環境なしには言語系は発達しないであろうし、子どもは話したり考えたりできないであろう。あるいはどのみち、人間の意識を発達させることもできないであろう。

 しかし社会的環境が与えられると、子どもはしだいに言語の体系を習得し、まず個々の単語からはじまって句や文章をおぼえ、ついにはいくつかの文章を理論的に結びつけることばをおぼえる。子どもが言語系を習得するにつれて、非常に多数の言語連合が身につけられるが、それは、外界の具体的事物が子どもに及ぼす直接の影響に言語の刺激作用を結びつけることをとおしておこなわれるのではなく、新しい言語信号を、事物の働きについてすでにつくりあげられた言語の符号に結びつけることをとおしておこなわれるのである。このような、連合された言語信号の鎖は多くの環を含んでひじょうに複雑でいりくんでおり、それらの環のおのおのは、順番に、言語の符号の結びあったものに基礎をおくことができるであろう。しかし、これらの鎖のすべては、たとえどんなにいりくんでいても、つねにその出発点は、言語刺激が外的事物の条件感覚効果、いいかえれば第一信号系に、結びつくことに、基礎をおいていなければならない。こうして、思考や言語がどんなに抽象的になるにしても、それは究極的にはつねに、当人の感覚的経験や具体的実践に帰せられる。このことは思考がいつも真でなければならないということを意味するのではなくて、思考は、空想の世界をかけめぐるときでさえ、その個人の社会的経験に結びつけられていなければならない、とうことこそを意味しているのである。

 第二次あるいは言語信号系は、興奮および制止の法則をもつ高次神経装置をとおして、外的事物からやってくる感覚刺激をいくつかの構成部分に分けて、そのそれぞれに該当することばを見いだし、それから、それらをふたたび結びつけて総合された言語像とする。言語に特徴的なことであるが、ばらばらの単語を句にし、また句を組みあわせることから、周囲をとりまく世界――自然界も社会的世界も――の諸事物や諸過程を、第二信号系にさらにいっそう精確に反映できるようになる。個人の活動、あるいは社会的実践は、つねに、外的実在に照応しないような言語像の結合を制止し、照応するものを強化することに導く。

 人間の感覚系と言語系との力動的な相関関係をパブロフがとり扱った仕方で、一貫して力点をおかれているのは、条件反射のこれら二つの形態がもつ反映機能についてである。高次神経過程の働きは、外界のますます精確な<反映>に、いつもむけられている。ためされ検証された感覚信号の結合は、ためされ検証された言語信号の結合とともに、客観的実在を多かれ少なかれ精確に反映する心像や観念を形成する。言語系が感覚系を土台として成立し、感覚系にもどされてそこで検証されるという二重の事実は、この過程がますます精確な反映にむかうことを保証している。
このようにして、高次神経活動の科学は、意識および認識の唯物論的な、そしてとりわけマルクス主義的唯物論の反映理論と、真理の照応理論とを、さらに確定し、いちだんんと深めるものである。レーニンは「意識は一般に存在を反映する――これは全唯物論の一般的命題である」といっている。感覚は、経験的な思考や科学によって、外界の性質や運動を反映する諸事実や諸法則につくりあげられていく、原料である。唯物論的認識論の鍵は、感覚が実在の像だということである。感覚は外的事物から受けた刺激である。こうして、レーニンはつぎのようにいっている。「あらゆる唯物論者にとって、感覚は意識と外界との直接的結合物以外のものではない。つまりそれは外的刺激のエネルギーが意識の状態に転化することである。」エネルギーのこの転化のための神経装置は、感覚系と言語系とが相互に連関した機制の形で、パブロフによって発見された。

 外界の意識への反映を可能にしている高次神経装置について、パブロフは1932年、ソヴエト科学アカデミーでみごとな要約を発表した。
「高次神経活動の全一性を、わたしはつぎのようにいいあらわす。人間を含めた高等動物において、生物体が環境と複雑な相関関係をもつための第一の機構は、いりくんだ無条件反射をおこなう、皮質に隣接した皮質下である。……この反射、すなわち生まれつきの活動は、無条件的な外的動因が少しありさえすれば呼び起こされる。それゆえに、環境のなかでの方向づけは制限され、したがって適応も弱い。」

 「相関関係の第二の段階は、前頭葉以外の大脳両半球によっておこなわれる。条件結合、条件連合に助けられて、ここに一つの新しい活動原理があらわれる。それは、無数の他の動因が働いて限られた数の外的無条件動因を信号化するのであるが、たえず分析、総合され、同じ環境内での極度に多様な方向づけと、はるかに大きな適応とを可能にする。これは動物有機体、主として人間のうちで統一されて存在する信号系をなしている。動物ではそんなに大きくない前頭葉のなかに、人間には、おそらくとくに、もう一つ別な、第一信号系に信号を発する信号系、すなわち<言語>がつけ加えられる。そしてその基礎的あるいは基本的構成要素は発声器官の運動感覚による刺激作用である。

 「ここには高次神経活動の新しい原理(第一信号系の多数の信号の抽象化――そして同時に一般化をおこない、これの方でもまたこれら新しく一般化された信号の分析と総合をおこなう――)つまり環境的世界のなかでの無限の方向付けのための条件づけをおこない、人類の最高の適応――人間本位の経験論という形をとる科学も、またその専門化した形であらわれる科学も――の創造をおこなう原理が、導入されている。」
パブロフは、精神活動、意識、思考、人間性、の基礎にある高次神経過程の科学のおもな概要を、以上のように述べている。これは思弁的体系ではなく、35年にわたる実験的研究の結果なのである。彼は、感覚信号系がいわゆる「本能的」反応、つまり無条件反射を基礎にしてどのようにつくりあげあれているかを、そしてまた感覚系を基礎にしてどのようにつくりあげられているかを、そしてまた感覚系を基礎にして言語系がどのように発達するかを証明している。彼は健康な人間にあっては、最高の系統つまり言語信号系が「(覚醒状態では)支配的な機能」をはたすことをこれに付言し、そして「最高の系統のもつ調整的影響」について述べている。ここで彼は、ジグムント・フロイトの理論にたいして、するどい、そして完全に意識的な異論を唱えている。というのは、彼は、精神活動を決定する要因が、最低の水準つまり人間の「本能」ではなく、むしろ最高の系統つまり言語系であることを主張しているからである。「無意識」でなく意識が、人間の精神活動のなかで指導的かつ支配的な役割をはたすのである。

パブロフとフロイト(1966年)より

機能的精神疾患の理解をめざして

精神疾患の理解をめざす研究の第二段階で、パブロフは、機械的損傷でなく機能的性格をもつ種々の有害な影響によって動物の高次神経活動にひき起こされた病態の問題にとり組んでいた。第一段階で、彼は<器質的>大脳疾患の大まかで単純化されたモデルを発展させたのにたいし、ここでは彼は、人間の脳の<機能的>疾患の大まかな実験的モデルをつくりあげた。

 機能的障害についてのパブロフの研究は、医学上、イデオロギー上の二重の意味をもっている。精神医学という医学にとっては、それは、神経症および精神病の根底にあって徴候を生みだす神経機制を発見しようとする試みであり、新しい形の治療を可能にするものである。イデオロギー的には、それは神経症的、精神病的行動の内観的研究、とくに精神分析学的研究をひっくりかえす。心理学のばあい、精神活動の基礎にある神経過程が発見される前には、多かれ少なかれ空想的な理論にむかう道が大きく開かれていたのとまったく同様に、精神医学のばあいにも、機能的精神疾患の基礎にある病的神経過程が発見される以前には、神経症や精神病の分析と治療についての気まぐれな理論にむかう道が大きく開かれていた。フロイト、アドラー(Adler)、ユング(Jung)の学説、サリヴァン(Sullivan)、ホルナイ(Horney)、フロム(Fromm)の理論は、本質的には、脳の病態生理学にかんするどんな精密科学の教えも受けることなく展開されていた。ある社会の文化を、その基礎にある経済的、生産的土台を知ることなしに理解しようとする試みにも似たものといえよう。こうした企てのいずれにあっても、発見された「事実」といっても、せいぜい純記述的であり、「法則」や「理論」になると必然的に思弁的、空想的であるのを常とした。空想的理論は、その主張者の意図が何であれ、そこに作用している真の原因をあいまいにすることに役立つだけであり、ひじょうにしばしば反動勢力のイデオロギー的必要を満たすものになりやすい。高次神経過程の機能的疾患をあつかう病態生理学は、神経症と精神病の完全に科学的な研究法への土台をきずき、こうして二つのしかたで人類に役立つことができる。すなわちいっぽうで、人間の苦痛を軽くすることを助け、たほうで、間違った理論との戦いを援助することができる。

 すでに1921年には、パブロフは実験的に、犬に機能的病態をひき起こした。彼は犬の神経系には耐えられないような困難な課題を犬に与えて、はじめてこれをつくりだした。実験的にひき起こされた状態が、人間の機能的疾患の単純化された姿と必ずしも見るわけにはないかないにしても、パブロフが科学史上はじめて、人間の神経症や精神病にある程度似かよった、障害の大まかなモデルを実験室でつくりだすことに多くのばあい成功したのは事実である。ここで再度注意しておきたいのだが、類推が及ぶのは共通の特徴がある限りにおいてであり、共通でない重要な特徴はつねに存するものであることを銘記しなければならない。

 パブロフは心因性機能障害と身体因性機能障害の両方を実験的につくりだして研究した。前者の場合には、葛藤しあう、あるいは過大な外的条件刺激を動物の神経系に与えて、神経症や精神病をつくりだした。後者のばあいには、腺機能の妨害や伝染病毒の結果として、神経症的、精神病的徴候群をつくりだした。こうして彼は、有害な機能的影響を外的環境と内的環境の両面から研究した。

 外界から加えられる衝撃や葛藤によって生ずる高次神経活動の障害は、多くのばあい、身体的過程の変調に導いて腺分泌、潰瘍、伝染病にかかりやすくすることも、彼は見いだした。彼はまた、身体内部の原因から生ずる高次神経活動の障害は、しばしばある神経系が過大の、あるいは葛藤しあう外的刺激を受けたときにその機能を停止する点をひきさげることを見いだした。こうして彼は、心因性機能障害と身体因性機能障害の<相互関係>をとりあげていたのである。

 しかし、パブロフは、全般的および局部的な機能障害をひき起こし、その種々の局面を研究することに興味をもっていただけではなかった。彼は約15年に及ぶ実験神経症と精神病の研究をとおして、有効な治療処置のありかたをもひきつづき探究していた。とりわけ彼は自分でつくりだした病気をなおし、それによって、彼が好んでいった「科学的に健全な心理療法」にむかって歩を進めたいと思っていた。

 神経症的、精神病的行動の根底に横たわる病的な神経過程にかんするパブロフの発見の物語は、医学史のなかの偉大な諸章の一つをなしている。今日、精神疾患についてゆがめられた理論が広くまき散らされており、その理論は、主張者の意図がどうであれ、戦争やファシズムの根底にあるのは社会体制の断末魔の苦しみでなく、むしろ現代の神経症的パーソナリティである、と暗示している。こういうときであればこそ、パブロフの発見について語ることは真に時宜にかない、きわめて重要な意味をもつのである。その発見を、専門的な観点からだけでなく、ただそれだけがわれわれを有効に導きうる心理の一部としても、見なければならない。さてわれわれはできるだけ簡潔に記述をはじめよう。

1.型の理論(The theory of Types)

 パブロフの研究室では、研究のある段階で出てきた問題は、ふつうその後の研究段階での課題となった。こうして、実験神経症が見いだされ、研究がはじめられたのは1921年だったが、ここでとりあげられた現象はそれに先だつ10年間の実験で、説明がつかないままに積み重ねられ、これ以上それを放っておくことができなくなったのである。たとえば、犬によっては、条件興奮から条件制止へ移行させることは絶対に不可能ではないまでも、ひじょうに困難であることがわかっていた。こうした犬では、興奮過程は制止過程以上に強いようにみえた。しかし、研究室では条件反射の形成と消去の研究をおこなっていたので、これ以外の現象はこの段階では説明のついていない混在物にとどまり、やがて検討されるべき日のくるのを待っていたのである。ところがこういう混在物はしだいに積み重ねられていっただけでなく、現に進められている研究を妨げた。分析と総合の過程を細密に仕上げようとする企てのなかで実験がますますこみいったものになるにつれて、それを妨げる混在物もひじょうに大きくなり、それ以上研究を進めることが困難になるまでになった。というのは、ある犬は神経が受ける困難な課題によくもちこたえるのに、他の犬は神経衰弱にかかって数日、数週間あるいは数カ月もなおらないことが見いだされた。さらに神経衰弱にかかった犬のうちでも、示している徴候群にたんに違いがあるというばかりか、まったく逆のばあいも見られた。結局ここには、新しい理論を必要とする一組みの事実が存在したのである。それが明らかになるにつれて、事実を説明し、新しいレベルで実験的研究を続けることを可能にするためには、相互に関連する二つの理論が必要となった。それが型の理論と実験神経症の理論であった。

 高次神経活動の型の理論は、1921年ごろから彼が生涯を終る1936年に及ぶ時期に、パブロフによって展開された。ここでは、彼が最後に示した形でそれを紹介する。

 パブロフがこの関連のなかで「型」というとき、それは先天的特質、獲得的特質の混合体から生ずる高次神経活動の基本的諸特性の、特定のコンプレックス複合を意味した。その混合体のなかでは、獲得的特性が決定的な役割をはたすと考えられた。彼は三つの特性を区別し、それにもとづいて神経系を型によって分類できた。第一は、興奮、制止という神経過程の<強さ>(the force),第二は、こうした過程の<平衡>(equilibrium),第三は、それらの<易動性>(mobility)である。強さとは、環境が強いる緊張に皮質細胞が耐えるという特性である。平衡とは、興奮と制止の過程に同一の強さと易動性を維持する特性である。易動性とは、興奮と制止の過程が環境の変化にこたえて変化する特性である。

 強さという第一の特性にもとづいて、パブロフは、実験したすべての犬を神経系の弱い型と強い型に二分した。弱い型では、刺激がひじょうに強いかひじょうに長時間にわたって加えられるかすると、皮質細胞が急激に疲労し、高度に制止にかかりやすくなる。この型は皮質細胞の活動能力の機能的限界が低いのであり、そこに達すると、保護制止あるいは超限制止が急速に広がる。弱い型の皮質細胞は、パブロフによれば、興奮物質の貯えをほんの少ししかもっておらず、こうして起こる超限制止の機能は、力の弱い細胞が過度の緊張によって器質的損傷を受けないように保護することにある。それゆえに、弱い型は制止拡延への顕著な傾向を示している。弱い型すなわち制止型の犬は、たとえば、刺激がひじょうに強いか長時間にわたって加えられるような実験をするあいだに、眠りこむこともある。

 たほう神経系の強い型は、強さの度合が高いことを特徴とする。すなわち、この型は自分に課せられる緊張にきわめてよく耐えうるのである。強い型は皮質細胞の活動能力の機能的限界が高い。こうして、ひじょうに強くて長時間にわたる刺激が加えられてもなかなか疲労せず、疲労にともなう保護制度がはじまるまでには容易にいたらない。

 しかし、強い型の犬といってもすべて一様であるわけではない。パブロフは、興奮過程と制止過程の平衡にもとづいて、そのなかにも大きな区別があることを見いだした。一つのグループは制止過程とくらべて興奮過程が目だって優越を示した。パブロフはこれを、強いが不均衡な型と呼んだ。これらの犬は陽性条件結合をすばやくしかも容易におこなうことができ、強力で長時間にわたる刺激に耐えうる大きな能力をもっていたが、条件制止結合を展開させることはひじょうにむずかしかった。要するに彼らは、行動の興奮型であり、そこでは、興奮と制止の間の不均衡、不釣合いがあらわれていた。パブロフは往々それらを、強いが抑えのきかない型を呼んでいた。

 強いが不均衡の興奮型あるいは抑えのきかない型にたいして、高次神経活動が強くてしかも均衡のとれた型の犬のグループを、パブロフは区別した。この型は、皮質細胞の活動能力の機能的限界が高いうえに、陽性条件結合および条件制止結合の両方をすばやく、また容易に出現させえることができた。だが、強くて均衡のとれた犬といってもすべてが一様であるわけではない。パブロフはそれを活発なものとおとなしいものとに区別した。活発な型の犬は神経過程の易動性が大きく、変化する生活条件にすばやく、そして比較的容易に対処することができる。おとなしい型の犬は易動性がそれほどではなく、皮質過程の停滞性、不活発さといったものを示している。こうして、型の細分は易動性に特性にもとづく分類で終る。
だから、パブロフによれば、動物の高次神経活動には四つの基本的な型がある。すなわち、<弱く制止的なもの>と<強く興奮的なもの>という両極と、強いがバランス平均あるいは均衡のとれた二つの形態、すなわち<活発なもの>と<おとなしいもの>である。

 犬の神経系を四つの型に分類することは、実験室のなかではなく、もっと自然な環境でおこなわれた観察にもとづいていた。しかしパブロフは、じっさいに存在する型の数は決して四つに限られず、疑いもなくもっと多数あり、そしてこの問題についてもっと研究する必要があることに注意を促した。しかし実験的研究のなかで判ったことは、種々の型の神経系の反応のしかたは違っているだけでなく対立もしており、四つの型が事実にもっともよく一致することであった。われわれは、実際神経症にかんするパブロフの諸発見を研究するとき、型の理論の重要性が判るであろうが、まず、型の<形成>の問題、とくに神経系の型の進化に遺伝と環境がもつ相対的な意味の問題を理解することが重要である。

 高次神経活動の型は先天的特質と獲得的特質の両方の所産であり、この混合体のなかでの支配的役割は、動物個体の生涯をとおして作用する環境的要因によって演ぜられることは前に述べた。パブロフの研究室では、環境が決定的役割を演ずることを証明する多数の実験がおこなわれた。そのうちの一つの実験では、同腹の犬の子から4匹がとりだされ、2匹は小屋に入れられ、2匹は自然の環境のなかで育てられた。この二組は、前者は外界での経験が限られているので適応的神経機制を発達させる機会が少なく、後者は完全に自由にしてあったので、いつも危険や困難に直面し、それに対処してうち勝たなければならないことを意味していた。時がたつにつれて、自然の環境で育てられた2匹の小犬は、強くて均衡がとれて活発な型の特徴をいくつかあらわし、たほう犬小屋で育てられた小犬は、小屋から出されても、弱くて制止的な型の特性を示した。たとえば、彼らが新しいあるいはいつもと違った環境に出くわすやいなや、あるいはほんのちょっとした変化が環境に起こってさえも、超限制止あるいは保護制止が受動的防御反応という形をとってはじまったのである。

 このようにして、自然の環境のなかで育てられた小犬は、強い刺激やつねに変化している諸条件にぶつかることをとおして、皮質細胞の活動能力の機能的限界が高いとともに興奮過程と制止過程の均衡と易動性がよい、強い神経系を発達させた。犬小屋で育てられた犬は、庇護された生活を送るなかで、皮質細胞の活動能力の機能的低さとともに興奮過程と制止過程の不活発さをもつ弱い神経系を発達させていた。
この実験やその他の実験は、高次神経活動の型の形成に主要な影響を及ぼすのは、動物個体の発達がおこなわれる環境であることを示した。このように、条件や訓練の違いが影響して、神経系の可変性が生まれるのである。

パブロフとフロイト(1966)より

精神分裂病の分析―機能的精神疾患へのアプローチとその概念

精神分裂病についてのパヴロフの分析は、機能的精神疾患へのアプローチとその概念をともに明らかにするものである。
パブロフが彼の研究所に付設された診療所で分析した初期の症例は、種々の型の分裂病にかかっていた患者たちであった。1930年に書かれた論文のなかで、彼は自分の発見したことを報告した。

 ここでもまた、彼は、主観的な心的諸現象の細部よりも行動にあらわれた病的症状に注目した。「わたしの注意はとくに、このような病気(ヘベフレニア破爪病とカタトニア緊張病)にかかった患者に特有のアパシー無関、鈍痲、不動、常同的運動――そしてたほうで、おどけたことや気ままさ、そして一般に子どもじみた行動に注がれた」と、彼はいっている。こうした症状のなかに「一つの一般的機制」を見ることができるであろうか。
一つの解答を、彼は条件反射学に求める。実験室において、彼は高次神経活動の二つの側面をすでに確定していた。いっぱうでは、外的対象からくる種々の刺激と筋肉や腺の反応とを一時的に結合させる興奮過程は、生物体が覚醒状態にあるあいだはつねに、その生命活動の一部となっている。たほう、抵抗することによって興奮を抑える制止は、彼がいっているように「生物体のうちでもっとも敏感な細胞である大脳両半球の皮質細胞を保護する役割をつねにもってあわれれ、それらの細胞がひじょうに強い興奮にぶつからねばならないときには、その活動から生ずる異常な緊張から細胞を保護し、日常の労働のあとでは、睡眠の形で必要な休息を細胞に保証する」のである。

 彼はまた、睡眠とは、制止が両半球の全面に広がった形であり、たほう、覚醒状態から完全な睡眠への移行には、催眠相と呼ばれる中間状態があることを確証した。それは部分的睡眠あるいは催眠の諸相で、分裂病やその他一定の形の神経症や精神病の客観的分析にひじょうに重要なものであることを、パブロフは見いだした。それではこの「催眠相」とは何であろうか。彼はいう。「これらの諸相は、いっぽうでは、制止が両半球の諸領野内および脳の種々の部分にどの程度広がっているかによって、たほうでは、同一時における制止の深さをとおして知られる制止の強さがどの程度であるかによって、あらわされる。」

 分裂病のすべての症状――無関、鈍痲、不動、おどけたこと、のような――は、種々の催眠相のどれかのなかに見いだされる。ここから彼は結論をひきだす。「前述の分裂病の症状を研究して、わたしは、それらの症状が慢性的催眠状態をあらわすものであるという結論に到達した。」しかし、一般的症状が一致するということ以上の証拠が必要である。そこでパブロフは、第二次的で細目にわたる症状の分析をおこなった。
ある分裂病患者の無関と鈍痲は、主として質問に反応できないということで示され、あたかも完全に無感覚であるかのようであることに、彼は注目した。しかし、患者が静かな部屋に入れられ、ひじょうに優しい声で質問されると、彼はその問いに答えることが発見された。ここにもまた特徴的な催眠現象が存在する。それは、催眠のうちのいわゆる逆説相であらわれる症状で、そこでは、生物体は、強い刺激にたいする反応をすべて失い、弱い刺激にだけ反応するのである。

 分裂病と催眠相とを結びつけようとするパブロフの主張をさらに証拠づけるものは、患者に認められるネガティヴィズム拒絶症の現象である。患者はいつもの正常な条件づけとは逆に反応する。たとえば、食事が出されると食べないが、食事をさげると食べたがる。同じことは催眠のある相でも起こる。

 ステレオテイピイ常同症、つまり患者が注意をむけている人のことばや身振りをたえまなく反復することは、エコラリア反響語およびエコプラクシア反響動作と呼ばれ、分裂病ではひじょうによくある症状である。それもまた正常人が催眠にかかったときによく見られる現象で、「手の動き」で催眠をかけたばあいに、もっともよく起こる。こうしてまたパブロフの主張は補強された。

 カタレプシー強直症(患者が、他人によってであれ自分自身でしたのであれ、からだのある姿勢をとると、そのままその姿勢をとりつづけること)と緊張病(からだのどの部分についても、いまもっている姿勢を少しでも変えようとすることに抵抗する筋肉の緊張状態)はいずれも、分裂病の症状であると同時に催眠時にあらわれる現象でもある。

 最後に、パブロフは自己の主張を確実なものにするために、ある形の分裂病に見られる、衒気、子どもっぽさ、愚行、気まぐれで攻撃的な興奮、といった症状をとりあげている。これらの症状は、種々の形の催眠やアルコール中毒症にも見られる。「これらの症例にあっては、こうした症状は、大脳両半球の全般的制止がはじまっていることの結果であり、そのために、大脳半球に隣接する皮質下が……ふつうの統制、つまり覚醒状態のあいだ両半球によってたえずおこなわれる制止から、解放されていると考えるべき理由がある」と彼はいう。「……酩酊、催眠、ある型の分裂病における子どもっぽさと愚行」は、パブロフによれば皮質の統制がヨリ下位の神経中枢にまで及ばなくなっていることによるのである。

 これらすべての証拠から、パブロフは、自分の主張が正しいと結論する。「以上のすべての症例を見れば、分裂病が、一定の変種と相を含みながら、実際に慢性的催眠をあらわしていることを、人は疑うことができない。」

 最近示された証拠も、ある形の分裂病の症状が大脳皮質の部分的催眠ないし制止によってひき起こされるという、パブロフの理論を支持する方向を示している。ジョンズ・ホプキンズ大学でパブロフ的アプローチを用いて研究をおこなっているワグナー・ブリッジャー(Wagner Bridger)博士とW・ホースリー・ガント博士は、人間に実験的に精神病をひき起こすメスカリンという薬が大脳皮質の制止を引き起こし、それにともたって、ふだんは高度に規整されている三つの高次神経活動系、つまり無条件反射と第一および第二信号系がばらばらになることを発見した。

<機能的>精神疾患の基礎には病態生理学的<機制>があるというパブロフの発見は、科学を大きく前進させるものである。この発見がなされる前には、機能的精神疾患はもっぱら「純精神的」なものと考えられていた。いいかえれば、生理学的機制が病的状態にあるとは少しも考えられていなかったのである。これが真実であると想像されたのは、精神疾患の生理学的原因が器質的条件、すなわち細胞の実際の損傷以外にないと考えられたからである。

 だから、機能的精神疾患の病態生理学が発見される以前には、この分野は、神経症についてのあらゆる種類の思弁的、主観的な理論――フロイト派、アドラー派、その他――の跳梁にまかされていた。これらに共通する理論、それは意識が無意識にたいしてさまざまな制限を課し、無意識はこの制限に反抗する、ということであった。これらの理論は、どんなに目新しい形をとろうと、精神疾患の機制を、障害を受けた神経過程にではなく、葛藤状態にある情動やドライヴズ動因、エスや超自我に求める傾向をもっていた。するどく対立する情動や状況は精神疾患をひき起こす有力な原因たりうるが、パブロフによれば、それは精神疾患の機制にはなりえないのである。

 高次神経過程の科学とは無関係に発展したこれらの理論は、神経症を純粋に精神的な葛藤の面から考えていた。そこから二つのことが出てくる。第一に、情動の葛藤一般といわゆる病理的葛藤とのあいだに明瞭な線が引かれていなかったので、神経症はほとんど普遍的である――つまり「だれもが多かれ少なかれ神経症的である」――と考えられた。第二に、「神経症」の治療は純粋に心理的な線にそって進められた――つまり葛藤を認知するれば、解決の道がなんとなく出てくるか、あるいは少なくともそれに適応させうると考えて、情動や観念、意識や「無意識」の掘りさげをおこなった。

 たほう、パブロフは、機能的精神疾患を、精神的活動の基礎にある神経過程の一定の機能停止であると考えた。ただこのばあい、精神的活動がこの機能停止を生みだすのに力をかすことはありうるであろう。彼にとって治療は、第一に、健康な神経の働きを回復させることであった。さらに進んで、ふたたびび病的状態にもどらないように保証する課題もまたはたされねばらないかった。そこには生活条件、意識、行動を変えることが含まれており、したがって、神経系は、前と同じ強すぎる刺激や葛藤でもう一度苦しめられることはないことになろう。

 精神医学にたいするパブロフのアプローチは、精神医学を医学の領域につれもどす。このアプローチが強調するのは、精神的症状の内容ではなく、症状の基礎にある病態生理学的機制である。こうした機制が知られていなかったことが、精神科医の注意を、個々の妄想、強迫観念、夢といった患者の主観的症状にむけさせる傾向を生みだしていた。精神的症状の分析は精神医学の重要な要素となったが、それには、このアプローチを基礎にもつ精神分析学の影響がとくに強かった。じじつ、精神分析学がこうしたアプローチをとるには、十分な理由があった。それは、主観的な精神的症状の基礎にある病態生理学の機制を精神医学が見つけて、精神的症状を理解する確実な土台をすえる以前に、精神分析学がまず生まれたという意味においてである。

 医学の歴史を見ると、病態生理学的機制が発見されるまで、精神的症状とその分析にもっぱら関心がむけられたような例は、いくらもある。そのいい例が神経梅毒である。この病気は、幻覚、妄想、その他類似の症状を生みだす。この病気の機制が発見される前には、脳梅毒の患者に、しばしば心理療法がおこなわれていた。患者の子ども時代に起こったことのうちで、患者のあらわれる幻覚を説明しうるものの分析――たとえば、患者は子ども時代にどんな経験をしたか、その経験のうちどれが、いま、自分はナポレオンであると、彼に考えさせたのかの分析――がひじょうに強調された。病気の原因が有害なスピロヘータ菌であるとわかってからは、ペニシリンのような薬で病気をなおすことだけが重視された。もはやだれも、主観的症状を分析しようとは思わず、ある患者が自分をナポレオンと考え、他の患者が自分をシェクスピアと思うのはなぜかを明らかにしようとは思わなかった。精神的症状の内容は、たしかに、幾分かは患者の生活経験によって決定されていた。しかし、病気の機制は、スピロヘータがひき起こす病態生理学的状態にあった。したがって、治療はこの状態を取り除くことにむけられねばならなかった。

(パブロフとフロイド,1966,ウエルズ著、中田、堀内訳、黎明書房より)