日本における精神医療関連法規の歴史

1.江戸期以前の精神医療関連法規
2.明治以降の精神医療法制
年 表
付記1.
付記2.
(1)精神保健法の成立(昭和62年、1987)
(2)精神保健法の改正(平成5年、1993)
(3)精神保健福祉法の成立(平成7年、1995)

1.江戸期以前の精神医療関連法規

 桓武天皇の時代(759年)の編纂され、わが国に伝承される最古の医学書とされる最古の医学書とされる「藥經大素」には、牛黄その他の漢方薬の薬効の中に、精神症状に関する記載がある。すなわち、この時代すでに、精神の異常が薬物による治療の対象であるといった考えが中国からわが国に伝来していた。法令中にみられる精神障害者の処遇に関する記述も、古く奈良時代以前にさかのぼるという。山崎 佐は「江戸期前日本医事法制の研究」において、奈良時代以前から江戸時代に至る医療に関する法制を詳細に検討し、その中で、精神障害に関する記述にも着目し、それらの記述を原文のまま抜粋した。それによれば、702年に制定された大宝律令には、すでに、精神障害に関する記述がみられるという。大宝律令には、精神の重い障害のある者が犯した犯罪に対しては罪を減じ、その供述を証拠と認めないといった規定があった。この規定は、謀反のような重大な犯罪にも及んでいる。こうした精神疾患に対する大宝律令の基本的枠組みは、少なくとも朝廷の支配の及ぶ範囲においては、明治に至るまで効力を失っていない。

 武家の支配する時代、朝廷の律令が支配する領域は限られたものになったが、武家の法制度においても、精神障害に対する特別な配慮は存在した。江戸時代に定められた御定書百箇条には、「乱心者」の犯罪に対する減刑や赦免の規定があった。江戸時代に行われた裁判の記録には、乱心のゆえに罪を減じられたり、特別な処遇を受けた事例が多く残されている。こうして減刑された「乱心者」は、入牢、入檻(私宅監置)、溜預(非人溜りに預け、非人頭に監護を任せる)などの処遇を受けた。これらの処分には、年寄り同心の監督、許可、医師の診断書などを要したという。こうした処分は、「乱心者」の犯罪行為を予防することが主な目的であったため、隔離された「乱心者」は、必ずしも医学的な治療を受けたわけではなく、好ましい処遇を受けたわけでもなかったであろうが、わが国の歴史の中では、比較的古い時代から、精神障害者の犯罪行為に対して、かなり合理的な配慮がなされていたということができる。

 犯罪行為とは関係のない精神障害者に関しては、明治以前にも、岩倉大雲寺はじめ、8か所の精神障害者の収容施設があったが、いずれも比較的小規模なものであった。

2.明治以降の精神医療法制

 明治以降1960年代に至る、わが国の精神医療関連法規の歴史については、すでにいくつかの詳細な論述がある(吉岡,1964;岡田,1977ほか)。本シリーズに先行し、これと対をなす「現代精神医学大系」に収録された岡田の論文は、この間の動きを詳細に論じ、特に、1965年の第12次精神衛生法改正の経緯と、ライシャワー大使刺傷事件との関連、改正された精神衛生法の問題点と精神科医の法制度に対する態度の問題点について検討している。ここでは重複を避け、1965年の第12次精神衛生法改正以後、1995年の精神保健福祉法に至るまでの展開に重点を置いて論じる。それに先立ち、上記の先行する論文をはじめとするいくつかの資料から、わが国の精神医療制度の歴史を、年表で概観しておく。

年 表

明治5年(1872)  ロシア皇太子の来日に際し、路上の乞食、放浪者を一掃し、これらを収容するために営繕会議所付属養育院を設置。この中には、多くの精神障害者が含まれていた。
明治6年(1873)  太政官が発した東京番人規則29条は、路上の狂癲者を発見したら取り押さえて警部の指揮を受けることを規定し、治安を目的とした精神障害者の収容の法的裏付けがつくられた。
明治7年(1874)  文部省は、狂癲院の基礎となる「医制」を制定し、同年、東京府病院が設置されたが、この中に精神科は含まれていなかった。
明治8年(1875)   京都に日本最初の公立精神病院、京都癲狂院設立。
同年、行政警察規則により、路上で、狂癲者を発見したら介抱し、暴力を振るう者は取り押さえてその地の戸長に引き渡すことが規定された。
明治11年(1878)   名古屋監獄に日本最初の監獄精神病室が設置された。
同年、東京警視庁布達により、「精神障害者や不良子弟等を私宅に鎖錮しようとするものは、その理由等を詳記し、親族連印の上、医師の診断書を添えて所轄の警察に届け出て認可を得ること」が定められた。(私宅監置の制度化)
明治12年(1879)  精神障害者の収容施設、治療施設として、東京府養育院内の癲狂室が独立し、東京府癲狂院が設置された。精神障害者の医療施設への収容もはじまったが、全国的にみれば、その病床数はほんのわずかなものにすぎなかった。
明治13年(1880)  旧刑法に、発狂人の看守を怠り、路上に徘徊せしめたるものは違警罪として処罰する旨が規定され、精神障害者に関わる治安活動に対して、家族がその責任の一端を負うべき法的根拠が明確になりはじめた。
明治16年(1883)  相馬事件はじまる。この事件は、相馬氏の旧臣、錦織剛清が、精神病のゆえに私宅に監禁されていた相馬誠胤の拠遇を不当として東京軽罪裁判所に告発したことに端を発した事件であった。これをきっかけに、法定手続きが不明確な私宅監置の問題が顕在化した。同時に、東京帝国大学教授、スクリバ、同じく榊 俶による診断書が司法判断上重要な役割を演じ、わが国の司法鑑定の嚆矢となる事件でもあった。
明治17年(1884)  警視庁令で、許可のない者を私立精神病院に入院させることを禁じた。
明治33年(1900)  精神病者監護法公布
・地方ごとに異なっていた精神障害者の処遇規定を一律にした。
・精神病者に対する監護義務者を定め、監置の手順を規定した。
・公私立精神病院の精神病室管理を警察署の菅轄とした。
明治35年(1902)  精神病者慈善救治会設立。
大隈重信夫人を会長とする民間の精神障害者救援慈善団体(精神病者救治会、日本精神厚生会、日本精神衛生会、日本精神衛生連盟として現在に連なる)
明治40年(1907)  精神病者の公費収容、委託監置がはじまった。
明治43年(1910)  東京帝国大学教授 呉 秀三、教室員を動員して1都14県の精神病者私宅監置の実地調査を開始(大正5年に終わる)
明治44年(1911)  官公立精神病院設置に関する建議案(山根正次代議士)が衆議院に提出されるも、「官公立病院設置に関する」建議案に訂正されて可決された。
大正5年(1916)  保健衛生調査法官制令による調査会が全国の精神障害者拠遇実態一斉調査を行った。
大正7年(1918)  呉 秀三、堅田五郎が「精神病者私宅監置ノ実況」を著し、精神障害者の私宅監置の実状、民間療法の様子などに関する調査報告、問題点の指摘と検討、現行制度への批判を行い、精神病に関する施設の整備、法律の整備、一般国民に対する啓発、精神病者を治療または監督する人に対する精神医学的知識の普及等を提案した。
大正8年(1919)  精神病院法公布、私宅監置中心を病院における医療重視に改める意図で、道府県立精神病院の設置をうたったが、戦争の勃発により十分に効果をあげなかった。
昭和15年(1940)  国民優生法公布、遺伝性精神病(精神分裂病、躁うつ病、真正てんかん等)を理由とした断種手術を合法化した。
昭和24年(1949)  日本精神病院協会設立。
同年、金子準二らにより精神衛生法案が作成された。
昭和25年(1950)  精神病者監護法、精神病院法廃止。精神衛生法が公布された。
・都道府県に精神病院設置義務(猶予規定がある)
・私宅監置の廃止
・法の対象となる疾患を定義
・精神衛生相談所、訪問指導の規定
・精神衛生審議会の新設
・精神衛生鑑定医制度の新設
・知事に対する医療、保護の申請
・仮入院。仮退院制度の新設
昭和28年(1953)  日本精神病院協会、日本精神衛生会合同の精神衛生法改正私案が厚生省に提出されるが、この案に沿った改正は具体化せず。
昭和29年(1954)  第6次精神衛生法改正。覚醒剤、麻薬などの慢性中毒者を法の対象に組み入れた。
昭和30年(1955)  全国人権擁護委員会連合会会長が、厚生省に対して、精神病院における患者の発受にかかる信書の検閲、その他の制限は憲法第21条に反する規定であるので早急に立法措置を講じるよう申し入れた。
昭和31年(1956)  長年会っていない弟を保護義務者として長期の同意入院を強いられ、その後措置入院となった患者が、入院手続きに関して東京地検に告訴したことをきっかけに、衆議院法務委員会が、以下の8項目にわたって、精神衛生法改正を要望する決議をしたが、この決議に沿った改革はなされなかった。
①保護義務者が決まっても、裁判所は監督的監視を続けるべきである。また、保護義務者に瑕疵あるような場合が想定できるので、保護義務者から家庭裁判所への異議申立てを認めるべきである。
②都道府県知事、精神病院長、精神衛生鑑定医は、この法律に基づいてその職務を遂行する場合、精神障害の疑いのあるもの、その他の名誉を害さぬよう注意しなければならない旨訓示規定を設ける。
③同意入院、仮入院の場合、凶暴性のある場合を除いて、知事は必ず患者が入院する病院に属さない精神衛生鑑定医の診察を受けさせなければならないとする。
④行動制限の基準条件を明確化する。
⑤人権擁護の立場から、措置入院、保護拘束には裁判所の許可状を必要とするか、警察、検察に通報するものとする。
⑥入院者の外部交通、面接、通信の基準を検討すること。
⑦入院者の病状を定期的に保護義務者に通報すること。
⑧保護義務者の同意入院、仮入院について退院手続きを定めること。
昭和38年(1963) 第11次改正で、麻薬もしくは阿片の慢性中毒者が法の対象から除外された。
昭和39年(1964)  3月24日駐日アメリカ大使ライシャワーが、精神障害をもつ少年に刺された事件を契機に、警察庁が厚生省に対し、精神衛生法改正(他害の恐れのある患者に関する警察への通報義務の規定を主とする)、精神障害者収容体制の強化、土曜、日曜の警察官による通報受理の体制整備の3点につき検討するよう申し入れた。こうした警察庁による精神衛生行政に対する介入が契機となって、精神衛生法改正の気運が高まった。
同年5月、政府は精神衛生審議会に対して、精神衛生法の一部改正を諮問した。
昭和40年(1965)  第12次精神衛生法改正が行われた。
・都道府県立精神衛生センターの設置
・地方精神衛生審議会の新設
・精神障害者に関する申請通報制度の強化
・緊急措置入院制度の新設
・措置要件の一部変更
・措置入院患者に対する知事の権限強化
・通院公費負担制度の新設
・精神病院無断退去者に対する措置強化
・保健所精神衛生業務、訪問指導体制の確立
・保護拘束制度の廃止
・秘密保持義務の規定
昭和40年(1965)  日本精神神経学会「刑法問題研究委員会」、刑法改正に関する意見書(案)を発表。法制審議会が検討していた保安処分をさらに徹底する案であり、学会内に反対意見が起こった。
昭和46年(1971)  日本精神神経学会、保安処分新設に反対する決議を行う。
昭和59年(1984)  宇都宮事病院事件。報徳会宇都宮病院で入院患者が看護職員に暴行を受けて死亡した事件をきっかけに、同病院における精神障害者の人権を無視した拠遇が明らかになり、これを契機として、わが国の精神医療制度の現実が抱える諸問題が内外の注目を集め、国際的な批判を浴びる結果となった。
昭和62年(1987) 精神衛生法が精神保健法に改められた。
平成5年(1993)  精神保健法改正時に予定されていた、新法公布5年後の見直しに基づいて精神保健法の一部が改正された。
平成7年(1995)  平成10年に予定されていた精神保健法見直しが繰り上げられ、一部改正されて、精神保健福祉法となった。  

 (臨床精神医学講座 22 「精神医学と法」松下、斉藤 編集より, 1995)

付記1.

 わが国の精神衛生法は昭和25年5月1日に公布された。これによって「精神病者監護法」(明治33年3月9日公布)および「精神病院法」(大正8年3月9日公布)は廃止され、「病院以外の場所に精神障害者を収容」することが禁止されて、50年にわたる私宅監置は全く禁ぜられることになった。しかしその反面、措置入院制度と同意入院制度が法的に規定され、精神衛生鑑定医の資格を決定し、自らを傷つけ、または他人を害するおそれのあるもの、すなわち自傷他害のおそれのある精神障害者について、2名の精神衛生鑑定医の意見が一致し、都道府県知事が命令したとき強制措置入院ができることになった。また、精神障害者本人の同意がなくても、保護義務者の同意があれば強制入院できるという同意入院制度も規定された。さらに一般人による一般通報、家族による通報、警察官による通報などの通報制度が行なわれることになるとともに、都道府県は精神衛生相談所を設置することができるという任意設置のかたちで精神衛生相談所がつくられたが、措置入院については都道府県の保健所が事務を担当し、立会い吏員をおくことになった。ただし措置権は都道府県知事の権限にぞくし、児童相談所のように措置権の委譲は行なわれなかった。しかし、法令による公立精神病院の設置は進展せず、精神衛生相談所も期待通りに発展しなかった。

 ことに問題は、昭和36年の精神衛生法の一部改正に伴って、「経済的ボーダーライン層の利益をはかる」という名目で、措置入院を拡大解釈して、生活保護患者を措置患者に移しかえたことである。これによって急激に措置患者が増加し、指定精神病院数も増えて、精神科病床が急増した。昭和30年の約4万床が昭和49年には約26万床に増えたという6.5倍の増加は、欧米には全く見られなかった現象である。しかも公的病院は増加が低く、私立病院のみが急増している。措置入院患者もこれに伴って増加し、約7万6千人に達した(ここ2~3年は減少傾向を示している)。とくに目立つことは、精神病床の急激な増加にかかわらず、患者の平均在院日数は毎年増加し、病床利用率はほとんど不変であり、開放病棟は2割に固定し、常勤医師は50%を割っている。

 この状態のうちに、昭和39年3月24日、ライシャワー米国大使の傷害事件を契機として、精神衛生法改法が行なわれることになり、昭和40年6月1日に改められた。その主眼は地域社会精神医療の推進におかれ、具体的には地域社会の精神衛生の第一線機関は保健所であるとし、ここに「精神衛生相談業務に従事する者」(通称、精神衛生相談員)をおいて訪問指導を含む相談業務を行ない、都道府県に精神衛生センターを設置し、保健所その他の関係諸機関に対する技術援助を行なうとともに、複雑困難な事例は精神衛生センターで扱うこととした。また外来サービスを活溌にさあせるため外来患者の医療費の自己負担を2分1を公費負担とすること、都道府県に精神衛生審議会を設けて地域精神衛生の改善をはかることや緊急入院制度の設置などの制度をすすめるこになった。

 爾来10年たった現在、なお未解決の最大の問題は措置入院制度の拡大解釈による弊害であり、これに関し措置の適用を本来の狭義の範囲にもどすことと、それに伴う公費負担の再検討が望まれている。また地方精神衛生審議会も十分機能せず、保健所における精神衛生活動も人員不足などで進展せず、精神衛生センターの役割についても多くの論議があって、地域社会の精神医療の展開はいちじるしく立ち遅れているのが現状である。

(加藤正明より, 1975)



付記2.

(1)精神保健法の成立(昭和62年、1987)

精神衛生法の改正の概要:
①国民の精神的健康の保持増進を図る観点から、法律の名称を精神保健法としたこと
②精神障害者本人の同意に基づく任意入院制度が設けられたこと
③入院時等における書面による権利等の告知制度が設けられたこと
④従来の精神衛生鑑定医制度を精神保健指定医制度に改められたこと
⑤入院の必要性や処遇の妥当性を審査する精神医療審査会制度が設けられたこと
⑥精神科救急に対応するため、応急入院制度が設けられたこと
⑦精神病院に対する厚生大臣等による報告徴収・改善命令に関する規定が設けられたこと
⑧入院治療の終了した精神障害者の社会復帰の促進を図るため、精神障害者社会復帰施設(日常生活を営むのに支障のある精神障害者が日常生活に適応できるように、訓練・指導を行う精神障害者生活訓練施設及び雇用されることの困難な精神障害者が自活できるように訓練等を行う精神障害者授産施設)に関する規定を設けたこと等である。


昭和62年(1987)の法改正後、自傷他害(自身を傷つけ又は他人を害すること。)のおそれのある精神障害者として都道府県知事の行政処分により入院措置された患者の数は徐々に減少し、また、家族等(保護義務者)の同意によって入院した医療保護入院患者の数も減少している。一方、精神障害者本人の同意による入院である任意入院が増している。また、通院医療に関しても増加している。


(2)精神保健法の改正(平成5年、1993)

国際連合においては、1991年(平成3年)12月に、国連総会こおいて精神障害者に対し人権に配慮された医療を提供するとともに、その社会参加・社会復帰の促進を図ること等が盛り込まれた「精神疾患を有する者の保護及びメンタルヘルスケアの改善のための諸原則」(国運原則)が採択された。
また、平成5年3月には、国連・障害者の十年を経て、今後の新たな取組みを定めた「障害者対策に関する新長期計画」が障害者対策推進本部において決定された。こうした精神保健を取り巻く諸状況の推移等を踏まえ、精神保健法が、精神障害者の社会復帰の一層の促進を図るとともに、精神障害者の人権に配慮した適正な医療及び保護を実施する観点から、再度見直しが行われることとなった。

新精神保健法の主な内容:

①新たに「医療施設若しくは社会復帰施設の設置者又は地域生活援助事業を行う者は、その施設を運営し、又は事業を行うに当たっては、精神障害者等の社会復帰の促進を図るため、地域に即した創意と工夫を行い、及び地域住民の理解と協力を得るように努めなければならない」とする規定が設けられたこと

②「国、地方公共団体、医療施設又は社会復帰施設の設置者及び地域生活援助事業を行う者は、精神障害者の社会復帰の促進を図るため、相互に連携を図りながら協力するよう努めなければならない」とする規定が設けられたこと

③精神障害者地域生活援助事業(グループホーム)が法定化されるとともに、第2種社会福祉事業として位置付けられたこと

④都道府県の地方精神保健審議会の委員として、新たに、精神障害者の社会復帰の促進を図るための事業に従事する者が追加されたこと

⑤精神障害者の社会復帰施設等における処遇ノウハウの研究開発や精神障害者に対する理解を得るための啓発広報活動等を行う、厚生大臣の指定法人として精神障害者社会復帰促進センターが設けられたこと

⑥保護義務者の名称が保護者とされたこと

⑦入院措置が解除された精神障害者を引き取る保護者については、当該精神病院の管理者又は当該精神病院と関連する社会復帰施設の長に対し、当該精神障害者の社会復帰の促進に関し、相談し、援助を求めることができるとの保護者に関する権利規定が設けられたこと

⑧入院措置が解除された精神障害者と同居する保護者等については、その負担の軽減を図る等の観点から、保健所の訪問指導等の対象として、位置付けられたこと

⑨仮入院の期間が3週間から1週間に短縮されたこと

⑩精神保健法における精神障害者の定義規定が、医学上の用語にあわせて見直され、「精神分裂病、中毒性精神病、精神薄弱、精神病質その他の精神疾患を有する者」とされたこと

⑪今日の政令指定都市における社会経済環境の変化等を踏まえ、平成8年4月1日から、道府県(知事)の事務を政令指定都市(市長)に委譲することとされたこと

⑫今日における精神疾患の治療法等の進展等を踏まえ、精神疾患を絶対的欠格事由とする栄養士、調理師、製菓衛生師、診療放射線技師、けしの栽培の資格制限等が相対的欠格事由に改められたこと

 以上の事項を内容とする新精神保健法に係る改正法は、平成5年6月18日法律第74号として公布され、平成6年4月1日から施行された。
また、平成5年12月には、「心身障害者対策基本法の一部を改正する法律」が法律第94号として公布され、新たに、障害者基本法が成立した。
障害者基本法においては、

①施策の対象となる障害者の範囲に、精神障害者が明確に位置付けられたこと

②法律の基本理念として、「社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられる」こととされたこと

③国民の理解を深めるため、12月9日が「障害者の日」とされたこと

④国は、「障害者基本計画」を策定するとともに、都道府県・市町村においても「障害者計画」を策定するよう努めることとされたこと

⑤政府は、毎年、障害者施策に関する報告書を作成し、国会に提出することとされたこと

⑥従来の中央心身障害者対策協議会が、中央障害者施策推進協議会とされるとともに、その委員に、障害者又は障害者の福祉に関する事業に従事する者が追加されたこと

等が盛り込まれた。

 今後、障害者基本法に基づき、政府全体において、精神障害者を含めた障害者対策が、保健、医療、福祉に加え、教育、就労、年金・手当、住宅、公共施設・交通施設の利用、民間事業者の協力等の環境整備に関しても、総合的に推進されることが期待される。

(3)精神保健福祉法の成立(平成7年、1995)

 精神保健の施策については、これまで、昭和62年(1987)及び平成5年(1993)の法律改正により、精神障害者の人権に配慮した適正な精神医療の確保や、社会復帰の促進をを図るための所要の措置を講じて来たところであるが、平成5年12月に障害者基本法が成立し、精神障害者が基本法の対象として明確に位置付けられたこと等を踏まえ、これまでの保健医療施策に加え、福祉施策の充実を図ることが求められることとなった。
また、平成6年7月には地域保健法が成立し、国、都道府県及び市町村の役割分担を始め、地域保健対策の枠組みの見直しが行われており、地域精神保健の施策の一層の充実が求められることとなった。

 このような中、公衆衛生審議会においては、平成6年3月以降こうした諸課題について審議が行われ、平成6年8月10日、「当面の精神保健対策について」の意見書が取りまとめられた。

 こうした状況を踏まえ、精神障害者の福祉施策や地域精神保健施策の充実を図るとともに、適正な精神医療の確保を図るための所要の措置を講じ、併せて、公費負担医療について、制度発足当時以来の医療保険制度の充実や、精神医療を取り巻く諸状況の変化を踏まえ、これまでの公費優先の仕組みを保険優先の仕組みに改める等の観点から、精神保健法が改正(平成7年、1995)されることとなった。

精神保健法の改正の概要:

①精神障害者の社会復帰等のための保健福祉施策の充実
(ア)法体系全体における福祉施策の位置付けの強化

・法律名の変更
「精神保健法」→「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」

・法律の目的
これまでの「医療及び保護」「社会復帰の促進」「国民の精神的健康の保持増進」に加え、「自立と社会参加の促進のための援助」という福祉の要素を位置付ける。

・「保健及び福祉」の章を新たに設ける。

・精神保健センター、地方精神保健審議会、精神保健相談員に福祉の業務を加え、名称も変更。

(イ)精神障害者保健福祉手帳の制度の創設

(ウ)社会復帰施設、事業の充実

・社会復帰施設として、生活訓練施設(援護寮)、授産施設、福祉ホーム、福祉工場の4施設類型の規定を法律上明記する。

・通院患者リハビリテーション事業の法定化(社会適応訓練事業)

(エ)正しい知識の普及啓発や相談指導等の地域精神保健福祉施策の充実、市町村の役割の明示

②より良い精神医療の確保等

(ア)精神保健指定医制度の充実
・医療保護入院等を行う精神病院では常勤の指定医を置くこととする。
・指定医の5年ごとの研修の受講を促進するための措置を講じる。

(イ)医療保護入院の際の告知義務の徹底
・人権保護のための入院時の告知義務について、精神障害者の症状に照らして告知を延期できる旨の例外規定に、4週間の期間制限を設ける。

(ウ)通院公費負担医療の事務等の合理化
・認定の有効期限を延期(6か月→2年)
・ 手帳の交付を受けた者については通院公費の認定を省略

③公費負担医療の公費優先の見直し(保険優先化)
 制度発足当時以来の精神医療の進歩や、医療保険制度の充実等の諸状況の変化を踏まえ、これまでの公費優先の仕組みを保険優先の仕組みに改める。

(以上、「我が国の精神保健福祉」、精神保健福祉研究会、平成11年度版、厚健出版、より抜粋した、2000)