ヒステリー [英]hysteria [独]Hysterie [仏]hysterie 川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 もと、子宮を意味するギリシャ語から生まれたヒステリーという病的状態は、ヨーロッパ文化圏において、古代から現代に至る長い医学の歴史の中で時々の医学思想を反映した疾病観によってさまざまに解されるとともに、それらを伝統的意味として重積しつつ、今日、なお論争を残している精神医学の対象である。ギリシャ、ローマ時代を通して、ヒステリーは、「性」に関係して、「女性」に生ずる疾病と解され、「体内で子宮が動き回る婦人病」(ヒポクラテス)とか、「子宮が充血し、局在的に窒息が生ずる病い」(ガレノス)といわれていた。たまたま、中国の古書、張仲景の「金匱方論」にも、「婦人臓躁」として、「子宮虚血」による精神障害が記載されており、これがヒステリーの古代的意味に相当しているといって、呉秀三は、ヒステリーを「臓躁病」と訳していた。中世期、鬼神論が盛んなころは、ヒステリーは、体内を徘徊する子宮に鬼神が宿るために生ずると見なされた。鬼神論者は、悪魔にとりつかれた印として、「皮膚の感覚喪失」など多くの徴候(stigmata)を研究した。今日、ヒステリーの身体症状をスチグマータと呼び、ヒステリー球、卵巣痛、ヒステリー弓、オピストトーヌス、感覚脱失、視野狭窄、ヒステリー性盲・聾、失声、麻痺、失立・失歩、けいれん、局限性頭痛などが挙げられているのは、その研究の換骨奪胎である。「魔女狩り」が激しくなったルネッサンス期には、このスチグマータのために魔女とされたヒステリー女性が多かった。が、同じころ、パラケルススは、ヒステリーをchorea lasciva(好色性舞踏病)と名付け、この原因を「無意識的に幻想を抱くこと」にあるとしていた。19世紀中頃から、ヒステリーは、進化論の登場と歩をそろえた「変質説」のもとで、遺伝的な「変質性精神病」とされたが、日本人に移入された「ヒステリー」の概念はこの期のもので、今日、語源俗解されて一般に「ヒス」とまで省略されるほど人工に膾炙するに至っている。1870年代、シャルコー J.M. Charcotは、「屍体になんらの実質的痕跡を残さないヒステリー」を、一層神経学的に追及しようとして「催眠術」を応用し、それによってスチグマータが消長することをあきらかにした。「催眠術」は、ベルネーム H.M. Bernheimによって、「精神療法」の技法として確立され、ヒステリーの治療にも応用されたが、その作用機序は、「暗示」という心理作用にあるとされ、ヒステリーのスチグマータのような症状は、シャルコーが主張したような「解剖学的領域に限られた機能障害の結果でなく、その「暗示」によって生じた機能障害だとされた。以来、ヒステリーは、女性に限られない、「表象によって生じ、表象によって影響される病的状態」とされ、バビンスキー J. Babinskiなどは、「ピチアチスム」(pithiatisme)と呼んで、ヒステリーを「説得によって治療可能」だと主張し、ヒステリーの「心因説」の基礎をつくった。これを基礎にして、心因症(Psychogenie), 心因反応という名称も生まれた。が、この「心因説」は、外傷、賠償闘争、拘禁、戦争などのような特殊状況のもとで生じる「神経症」(主としてヒステリー)に適応されるにつれ、「要求表象」が賠償を得たいとか、その場から逃れたいという「願望」と結びつくという「心因」に変様し、ヒステリーは「許病」(Simulation)と区別しがたいとまでいわれるようになって、「道徳的評価」のもとにおかれ、「健康良心の欠落」、「道徳的精神薄弱」とまで貶せられるに至った。そして、この「道徳的心因説」は、「変質説」がつとに認めていた「ヒステリー性格」の素因のもとにヒステリーが発生するとした。「虚栄的、顕示的、誇張的、演劇的、自慢的、自己中心的、虚言的、多弁的、お天気屋的、被暗示的、依存的、退行的、コケティシュ的」といった「ヒステリー性格」は、シュナイダーK. Schneiderによって「顕示欲性」の「精神病質」として整理されている。ヒステリーの精神症状としては、健忘、せん妄、空想虚言、記憶障害、もうろう状態、昏迷、偽痴呆、ガンザー症状群などが知られている。これらの症状は、器質性障害ではないので、いずれも回復可能である。といって、意識的な「説得」だけで成功するとは限らない。それは「許病」だからではなく、クレッチマー E. Kretschmerによれば、生物学的機構を備えた「深層人格」が、反射的、無意識的に状況に即した「原始反応」を起こした諸形態がヒステリーの心身症状だからである。一方、フロイトS. Freudら精神分析派によれば、自我が防衛のために抑圧した本能的衝動によって生じた無意識の心的葛藤が、運動性、感覚性、精神神経性の障害、精神障害として、象徴的に顕現したのが、つまり一口にいって「転換」したのが、ヒステリーの心身症状だからである。

(畑下一男)