ジャクソン John Hughlings Jackson 1835〜1911  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

イギリスの神経学者。はじめレイコック Th. Laycockに師事、21歳で一通りの医学教育を終え、ロンドンに出た。1863年に国立神経病院(National Hospital for Nervous Discase)の助手となり、そこでは指導医であったブラウン−セカール Brown-Sequardの影響を受けた。同病院には1896年に定年に達するまで勤め、さらにその後10年間顧問医としてとどまった。一方、1864年にはロンドン病院の指導医となった。1863年に結婚したが、妻は11年後におそらく脳皮質の血栓性静脈炎と思われる病気で死亡した。この病気の経過中、彼女は、のちにジャクソン発作と呼ばれるようになった一連の限局性けいれん発作を示した。ジャクソンの晩年は難聴も加わり、孤独な生活を送った。彼の生存中は言語障害に関する諸論文で知られ、またジャクソン発作をはじめとして数多くの神経学的な状態像を記述した。彼が1884年に提出した神経系の進化(evolution)と解体(dissolution)とに関する理論は、後年ジャクソニズム(Jacksonism)と呼ばれるようになり、神経学、精神医学のその後の発展に深甚なる影響を及ぼした。彼はそこでは神経疾患と精神病とを統一した原理によって理解しようと試みているが、神経系の病いによる解体に際しては、その症状は必ず二重の構造をもっていること、すなわち陰性症状(欠損症状)と陽性症状(解放症状)とを含んでいることを指摘した。ふつう症状の原因と呼ばれている障害は、じつは欠落現象を呈するのみであって、新たに生じる諸症状は破壊された脳部分からの統制から解放された他の脳部分の保存された活動の表現に他ならない。錯覚、幻覚、妄想および特異な挙動などのごとき複雑な精神症状は、いかなる病的過程によっても犯されなかったところの神経系統中の若干の要素の活動の現われである。酩酊した人が乱暴した場合、アルコールが乱暴を惹起したのではない。乱暴は、アルコールによって麻痺していない中枢の低い水準面の過度の活動の表現である。一般に精神病の発生には4因子が関与している。(1)最も高等な大脳中枢の退行のおのおのの異なる深さ、(2)退行が行なわれる速度、(4)この退行を受けた人びとに対する各種の局所的身体状態並びに外的事情の影響。このようなジャクソン理論は、のちにリボ T.A. Ribotの忘却の法則やエーH. Eyのネオ・ジャクソニズムとなって開化した。彼は300以上の論文をかいているが、そのうちの重要な論文は、テイラー J. Taylorの編集で2巻のSelected Writings (1931)の中に収められている。

(下坂幸三)