ブロイラー Eugen Bleuler 1857〜1939  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 スイスの精神医学者。ライナウの州立精神病院院長(1886〜1896)、チューリッヒ大学精神科主任教授(1898〜1927)。初期には、神経生理学的、神経学的な業績や、「後天的犯罪者」Uber den geborenen Verbrecher(1896)を初めとする一連の犯罪生物学的な研究がある。主著は、ライナウの州立精神病院時代の臨床経験を基礎として著わした「早発性痴呆または精神分裂病群」Dementia praecox oder Gruppe der Schizophrenienである。この書の中でブロイラーは、精神分裂病なる呼称を提唱したが、クレペリン E. Kraepelinの疾病概念を訂正したわけではなく、クレペリンの概念をほぼ全面的に認めながらも、早発性と痴呆概念とに向けられた一般の疑義を承認し、早発性痴呆という名称は形容詞的に使用することができず病者を呼称することもできないという理由、さらに、さまざまな精神機能の分裂が最も重要な特性の一つであるという理由からこの新しい呼称を提案したのである。しかし彼はいわゆる潜在性分裂病が数の上ではもっとも多数をしめると考えたことによって、クレペリンよりも分裂病の範囲を実質的に拡大した。また、分裂病は単一のものではなく、おそらくかなりの数の疾患を包括するものであろうことも予想した。ブロイラーは分裂病の症状学を、基本症状(連合障害、情動障害、両価性、自閉、分裂病性痴呆など)と副次的症状(幻覚、妄想、緊急病性症状など)とに二分し、さらに理論的には、疾病過程から直接に生じる一次性症状と、疾病過程に対して患者の心理が二次的に反応して生じる二次性症状とに分けた。一次症状としては、連合障害が重視され、他のすべての分裂病性症状は二次的で、ある意味では偶然的なものと考えられた。したがって、疾患が長期間無症状にとどまることも可能であるという。このような症状構造論はジャクソン理論を彷彿とさせるところがあり(エー H. Ey)、そこに同時代人、モナコフvon Monakowのディアシージス(Diaschisis)概念との共通点をみる学者(ミンコフスキー E. Minkowski)もいる。二次症状の説明にはフロイト理論を大幅に採り入れ、当時のヨーロッパのアカデミーの世界でフロイト学説を受け入れた唯一の人となったことも特記されるべきである。

 彼が1916年に刊行した精神医学教科書はヨーロッパにおける代表的な精神医学教科書となり、彼の死後は息子のマンフレート・ブロイラー M. Bleulerによって改訂され、今日においてもなお広く用いられている。晩年には「心の自然史とその意識化」Dei Naturgeschichte der Seele und ihres Bewubtwerdens (1921, 1932)を初めとして、二、三の自然哲学的、生物心理学的な著作を刊行した。彼はまたその夫人とともに熱心な禁酒運動に従事したことでも知られている。

(下坂幸三)