三宅鑛一 みやけこういち 1876〜1954  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 東京帝国大学医学部精神病学教授、東京府立松沢病院長(1925〜1936)。父・三宅秀、東京に生まれる。1901年東京大学卒業、、呉秀三の後継者。呉によりわが国に導入されたクレペリンE. Kraepelinの学風は三宅により根を下したといえる。思弁を避け客観的に精神病理現象を観察しようとする態度は、実験心理学的研究、精神測定、プロフィルの考察などに表われ、また、脳組織学、老人脳の研究、大脳皮質構築学、脳髄の発達についての広汎な研究が見られる。精薄児の治療教育、司法精神医学、精神衛生(第1回世界精神衛生連盟WFMHの名誉会頭)、精神障害統計などについても多くの業績がある。1937年、東大医学部付属脳研究室を創設、主任となる。今日多くの大学につくられた脳研究施設の先鞭である。

(臺弘)