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川村光毅

 勝れた伝統を持つ岩手医科大学に奉職する機会を与えられて、私は嬉しいと同時に幾つかの点を反省している。
 インターンを終えた私はNervenarzt兼Neuroanatomistになってやろうという勇猛な決意を抱いて、母校の神経精神医学教室と(中枢神経)解剖学教室の両方に4年間籍を置いた。結果は見事に失敗したようだ。10年余を経た現在、Nervenarztとしては使いものにならぬし、Neuroanatomistとしても、良い指導者に恵まれたお蔭で多少の仕事をした位で、その自覚も未だに出来てない。恥しいというより無責任な話だと我ながら慨歎する。以上が私に省察を荷す動機であり要因である。

1.健康について
 学生時代に医師である母から「身体が元手だよ。」と不規則な生活を注意されたことがある。にもかかわらず、私は自分の健康に対しては無頓着だった。最近、長年の過労のためか、私の健康状態に崩れが生じた。もしかすると、大脳・間脳あたりの機能低下かもしれない。他に迷惑をかけるので、これからは健全な心身を保持すべく留意したいと思っている。

2.人間の病気と基礎医学について
 この数年間の私は、臨床医学と基礎医学の関連という問題について、基礎医学研究の独自性を強調しすぎたのではないかと反省している。かといって、医学部の基礎教育並に研究は臨床医学のためにのみあるものだという暴論は許せない。しかし、人間の病気と結びつけて考えようとしない基礎医学徒の思考法には、どこか大きな欠陥が潜んでいるような気がしてならない。

3.研究と教育について
 研究と教育は一体のもので、これを分離して考える発想法からは何一つ実のり多い結論は得られまい。それを承知の上で、私は研究面を重視して来たと反省する。私は、残念ながら人を教育することに自信がない。先日私は学生時代の親友に告白した。「不幸にして教養も人格も備わってないのに教育者と言われるpositionに座ってしまった。私は精一杯背伸びして努力しなくてはなるまい。どうか5年間程見守って呉れ給え。教育者として不適格なら辞める」と。私の本心である。
 省察というものは、人生の転機に当り万人が窃かにするものらしいが、圭陵会に入会させて頂くのを機会に、自己紹介の意味をも含め、公表して恥をさらすことにした。

 多少許された紙数があるので、終りに、学問に志ざす若い学徒こ与えたI.P.Pavlovの手紙の要諦を之に記す。
全文はレニングラードにあるPavlovの墓石に刻み込まれている。
 1.徹底的こ厳密に
 2.忍耐づよく一歩一歩
 3.仕事には情熱をもって
いつ読んでも勇気づげられる言葉である。depressivのときにも、manischのときにも。

(岩手医科大学圭陵会学内支部会報、第15号、1973年7月、より転載)

ご挨拶

 本年五月より、伝統ある本学の解剖学教室で勉強する機会を与えられ、又このたび圭陵会に入会させて戴き大変嬉しく光栄に存じます。瀬戸八郎教授、浦良治教授と日本解剖学会の泰斗の作られた教育環境はすばらしく、私は只、自分の専門である中枢神経解剖学の教育研究用の材料器機の整備に大部の時間を費すことができて倖せに存じます。
 ロマンチストであった青年期の私は、啄木や賢治や光太郎が盛岡の医大に育っていたらどんな医者になったろうかと想像したこともありました。私自身、人様の健康を管理する義務を負う医師が金儲けをするとは何事かと素朴なアイデアリストの発想を抱いた時期もあり、盛岡はその意昧でも何となく拠所となるような気がして魅せられた都市でした。
 インターンの夏、私淑していた京大精神科の村上仁教授の門を敲き、日本人の精神史といったものを研究する上に精神病理学の立場からどう考えられますか、と無邪気な質問を発し、長い時間先生の研究室で教えを受げたのが、私がピリッとした学問的雰囲気に接した最初でした。その後一、二年間程、精神病理学を学びながら、ヤスペルスやベルグソン、ハイデッカーやサルトル等に関心を持とうと努力したのでしたが、どうもこういった人達の哲学は私には無益のように思われて来て、同時に勉強していた脳の解剖学の方が生き生きとしたものにみえて来ました。
 そういう訳で、解剖学教室に落ちついて大脳皮質間のつながりを研究してみたくなりました。幻覚の問題を連合線維という言葉を用いて説明できたらなア、等と考えていたのですから愉快です。最近は大分物の考え方が唯物的になりまして、「精神」という言葉がでてくるとそれに「大脳皮質のニューロン構成」という乾いた言葉を視覚的に対置してみるようになりました。ヤスペルスの精神病理学総論を繙くよりもホルマリンづけの脳を手に持って眺めたり、その顕徴鏡標本を見つめる時の方が喜びを感じるようになりました。又、この数年来脳も身体の一部であるというごく当り前の考えを意識的に持つことができるようになりましたので、私にとって経験の浅い系統肉眼解剖の分野にも興味をもって励むことができるようになりました。どうか今後共御指導御鞭撻を賜りたくお願い申し上げます。
 最後に圭陵会の皆様にお願いがございます。それは、医学の基礎である人体解剖の実習に欠くことのできない貴い遺体の貸与提供に関してでございます。大学として、又取扱い上これを援ける解剖学教室として、お世話戴いております皆様方に紙上をかりまして、ここに厚く御礼申し上げます。重ねて、今後共御協力下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

(圭陵会々報、第141号、1973年8月、より転載)