神経移植の現況と展望(neural transplantation)

川村光毅

 人間を含めて哺乳類の中枢神経系に損傷あるいは変性がいったん起こると、再生・修復は不可能であるということが、従来の一般的常識であった。成体脳組織を固定化した配線構造物とみなすこのような考え方をくつがえすいくつかの実験結果が、近年、明らかにされてきた。1969年に、Raismanは、成体ラットにおいて、中隔核への求心線維のうちの海馬采を切断すると、海馬采に由来するシナプスは変性するが、これらのシナプスが失われた部位に、他の求心線維である内側前脳束に由来する神経終末が発芽して、新しいシナプスが形成されることを示し、脳の可塑性 (plasticity) という概念を確立した。また、1982年に、Bjorklundは、損傷を受けた哺乳類成体の脳内に胎生神経組織を移植すると、移植組織は発達・分化して、宿主神経細胞とシナプスを形成し、神経回路の再構築が起りうることを、黒質-線条体投射系ならびに海馬-中隔核投射系で明らかにした。これらの実験結果は、成体脳組織にも、損傷後、軸索の発芽・再生、シナプスの再形成のような再生・修復能力が発現しうることを初めて明確に示したものである。このような基本的概念の確立により、脳組織の損傷、変性の結果失われた機能の回復をめざして、神経移植の実験が行われるようになり現在に至っているのであるが、この方面の研究として、移植された幼若な神経組織が宿主脳内で分化成長し、損傷を受けた宿主神経回路を再構築する過程を形態学的ならびに機能生理学的に解析することが行われている。これとともに、失われた脳の機能の回復をはかるという点で、特定の神経細胞群の変性により欠乏した、神経伝達物質あるいは神経栄養因子のような液性因子を補うために、これらの因子を産生する細胞を移植することにより、機能の改善をはかる試みも行われている。前者に属する研究は、線維構築の明確な海馬、小脳などを対象として行われてきた。また、後者に属する研究は、ドパミン作働性の投射系を中心として、Parkinson病の治療を目標として行われてきたが、今後はコリン作働性の投射を対象として、Alzheimer病の機能回復をめざす研究がさらに活発となるであろう。

 このような損傷を受けた、あるいは変性した脳の構造ならびに機能を再構築するという観点から行われる神経移植実験において、成体中枢神経組織の再生能力・可塑性がいかにして発現するかということ、および、移植された幼若神経組織の成長・分化が異所的環境でどのように進行するかということと、このような過程をいかにして促進させうるかが、現在ならびに今後の大きな問題となってくる。損傷を受けた成体脳組織と移植された幼若神経組織との間には、最終的に神経結合の再形成が起こりうる。この過程において、移植組織の成長に注目すると、幼若神経細胞の移動、分化、突起伸展のような神経の正常発生において認められる諸々の現象が不完全ながら再現されると考えることができる。そして、宿主側にも、移植組織に由来する神経細胞の移動、神経突起の伸展を可能にする状況、シナプス形成を受入れることができる状況が生じているはずである。 このような宿主と移植組織との間の相互作用は、 これまで何らかの栄養因子 (trophic factor)によって媒介されると考えられてきたが、その実体に関しての解明はほとんど行われていなかった。これに対して、最近の、分子生物学、細胞工学を駆使した神経発生生物学の発展により、種々の神経栄養因子、細胞接着因子が見いだされ、さらに、これらの因子に対する受容体も明らかにされて、遺伝子発現、蛋白分子の局在はもとより、これらの因子の発現制御の機構を研究することも可能になった。とくに、神経栄養因子としてBDNF(brain-derived neurotrophic factor), NT-3 (neurotrophin-3)などNGF(nerve growth factor)の新しいファミリーが見いだされ、その受容体の構造ならびにシグナル伝達機構も明らかにされつつある。またサイトカインにも神経栄養作用が見いだされており、損傷に対する脳組織としての反応にどのように関与するか興味深い。 神経発生過程における細胞移動、 神経突起の伸展には免疫グロブリン-スーパーファミリー、 tenascin, laminin など種々の細胞接着因子が重要な役割を演じることが明らかにされている。これらの、発生過程に特異的な栄養因子、接着因子の再生過程における発現は、成体脳組織に潜む再生能力の本体の、少なくとも一部を構成することが予測される。 宿主-移植組織間の相互作用を考える上で、損傷を受けた宿主に由来する、移植組織の分化・成長を促進する因子の同定と発現様式の解明、および、逆に移植組織に由来する、宿主脳組織に再生能力を誘導する因子の同定と発現様式の解析などが今後大きな問題になると考えられる。

 さらに、1981年にAguayoらが、末梢神経移植による橋渡しによって、中枢神経伝導路の再生が強く促進されることを明らかにした研究は、末梢神経の旺盛な再生能力の本体が Schwann細胞の産生する種々の因子によって形成される環境にあることを予測させる。とくに、Parkinson 病の治療をめざした脳内への副腎移植実験において、末梢神経の同時移植が効果を促進することを考慮すると、Schwann 細胞の神経再生過程における役割のより集中的な研究とその成果の神経移植への応用が期待される。また、神経組織内における神経栄養因子の人為的な発現促進手段の開発として、カテコールアミン誘導体を用いた薬理学的なアプローチが成果を挙げているが、今後、中枢神経再生過程への効果の検討が期待される。神経移植実験は、これまで述べてきた損傷脳組織の再構築の手段であるとともに、神経組織というin vivoの環境において、胎生神経組織の発生、分化を研究する重要な手段でもある。このような研究においては、移植細胞として、in vitroで培養し、増殖させることが可能で、かつ移植後、脳内で神経細胞に分化するような、均一な細胞集団を用いることが望ましい。最近、未分化神経上皮細胞に発癌遺伝子を導入して、このような細胞株を確立し、これを脳内に移植する研究も行われるようになっており、神経発生における環境因子の研究が進むものと考えられる。

 損傷を受けた中枢神経の再生能力発現と神経発生過程の類似点を結びつけて考えると、神経移植実験は、発生の個々の過程で発現し、in vitroでもその作用が確認された種々の神経栄養成長因子群の発現の意義を、実験者が希望する部位と時期にin vivoに還元して検証しうる有用な実験系ということができるであろう。さらに、Parkinson病をはじめとする種々の神経変性疾患の治療あるいは伝導路の再構築の手段としての神経移植においても、この過程を促進する因子の同定と、その人為的な発現制御は、遺伝子工学、細胞工学の手法を積極的に導入することにより、大きな発展が期待できる。また、神経発生生物学的観点から、未分化神経上皮細胞がニューロンあるいは種々のグリアに分化していく経路とその機構に、細胞をとりまく環境がどのように関与しているかを明らかにするための実験手段としても移植実験は有用である。本特集における神経移植を扇の要として、中枢神経の再生能力発現と再構築の研究が、神経系の正常発生、神経成長栄養因子の機能、末梢神経の再生能との関連において研究され、基礎、臨床の両分野において新たな局面が展開することが期待される。

参考文献

Raisman G : Neuronal plasticity in the septal nuclei of the adult rat. Brain Res 14: 25-48,1969.

Bjorklund A : Reconstruction of neuronal connections in the mammalian brain by means of intracerebral neural transplants. Neuroscience 7 (Suppl): S28-S29, 1982.

Freund TF, Bolam JP, Bjorklund A et al : Synaptic connections of grafted dopaminergic neurons that innervate the neostriatum: a tyrosine hydroxylase immunohistochemical study. Bjorklund A, Stenevi U (eds),Neural Grafting in the Mammalian CNS, pp 529-537, Elsevier, New York,1985.

David S, Aguayo AJ : Axonal elongation into PNS "bridges" after CNS injury in adult rats. Science 214: 931-933, 1981.

Clinical Neuroscience 10/9 (1992) 中外医学社、より許可を得て転載