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第一章 文学評論に於ける破壊と建設。 |
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§近世の和歌・物語論の建設 |
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§儒学的文学評論の建設 |
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§俳論の発生 (連歌~俳諧) |
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第二章 近世文学評論と古典文学との関係 |
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§真淵 |
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§新古今集及、源氏物語に於ける「もののあわれ」 |
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§源氏物語論としてのもののあはれ |
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§古今集の批評に於ける「ただことうた」と「しらべ」 |
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§近世的文学評論の内容 |
第一章 文学評論に於ける破壊と建設。
文芸復興
元禄時代を観るに、古への復帰は契沖等の古学復興に観ること出来る。異国文化の憧憬は儒学や洋学の勃興に之を認めることが出来、又自然に入って行く姿を芭蕉に観ることが出来、現実意識の自覚は、町人階級の勃興や西鶴や近松の芸術によって認める事が出来る。来世思想は鎌倉時代の初めには力強く現れた意識であるけれども、理智と現実意識の強い元禄時代に於いては、殆ど見ることが出来ないのである。
復古
元禄時代に於ける契仲等の復古運動は、古代憧憬から古代の知的探求に入ったのであり、宝暦時代における真淵に至っては、主として、古代の知的探求から、第二段の思想生活や芸術表現の上に現そうとするの域に進み、更に良寛、曙覧等に至って芸術の上に、古代精神の真の体験が見られ、宣長・篤胤等に於いて古代の思想生活即ち古道が、現実の思想は生活の標識とし、規範として、主張し、宣伝せられているのである。
契沖 宣長
万葉研究or 古事記研究
源氏物語研究
○儒教的道徳 近世に於ける生活の標識
○女性に対する圧迫
○義理の精神
○勸善懲悪主義
自然への精神
赤人・・・西行・・・宗祇・・・芭蕉
芭蕉 はかなく刹那の我から離れて,自然の永遠の生命の中に自己を見出した。
現実的精神
一、経済的精神
西鶴
一、遊蕩的or享楽的精神
○木下長嘯子の擧白集
○保守的傾向の反駁 ○伝授破壊の思想起こる。
§近世の和歌・物語論の建設
一、契沖
(精撰本)万葉万匠記
○契沖が万葉集を中心としながら、その文学観に於いて、おもしろさを重んじ技巧を尊重するに対して、春満は明らかに古代主義をとり文学観の上には自然性を重んじていたと思う。
§儒学的文学評論の建設
勤善懲悪主義
林羅山 徒然草野槌
熊沢蕃山 源氏外伝
§俳論の発生 (連歌~俳諧)
○山崎宗鑑 荒木田守武
犬筑波 守武千句(獨吟千句)
(をかしみ)
貞門(やさしみと教訓が加わる)
談林(をかしみ)
○俳諧の法式論は松永貞徳の俳諧御傘によって成立したと見るべきであろう。
第二章 近世文学評論と古典文学との関係
万葉派・・・田安宗武・加茂真淵
近世歌論の古典派 新古今派・・・荷田在満・本居宣長
(田安に仕える)
古今派・・・小澤蘆庵・香川景樹
桂園派の流れ
現代派
言道・曙覧
○万葉主義 人生主義 人生のための芸術
○新古今主義 芸術至上主義 芸術のための芸術
○田安宗武と荷田在満 ○加茂真淵と本居宣長
○之あたかも実朝と定家(中世)の関係に似たり。
素僕性 感傷性
§真淵
◎「ますらをぶり」 真実の感情
男性的力強さ、雄大さも含まれる。
「たをやめぶり」 をも認める。
やはらびている。
○「まこと」
・初期 ・人麻呂時代 ・憶良 ・旅人時代 ・家持時代
真情の率直な表現 万葉考
○万葉集批評
○全槐集批判
真淵の推賞して二重圏點をつけた歌20首の中・・・
世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船のつなで悲しも
山はさけ海はあせなん世なりともきみにふた心我あらめやも
箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ
もののふの矢なみつくろふこの上にあられ霰たばしるなすの篠原
しほかまの浦ふく風に秋たけてまがきがしまに月かたぶきぬ
§新古今集及、源氏物語に於ける「もののあわれ」
田安宗武や賀茂真淵によって重んずる万葉主義の歌論の重要な見解が主張されたのに対し、荷田在満や本居宣長によって形式技巧を尊重する新古今主義という立場が主張された。
春満の甥
荷田在満の「わざ」
本居宣長の「もののあはれ」
定家を非難
在満が歌は道徳の方便でなくして、ただ心をやるものであるとし、主の宗武が「ことわり」と「わざ」とがあるというのを反対して、「わざ」のみであるとしたのは、芸術のための芸術主義として理解される所である。
宣長
○もののあはれ ○神ながらの道
○新古今 源氏
○古事記伝
*契沖は古典研究の対象としては、万葉研究や記紀の歌の研究から次第に平安文学の研究となり、更に鎌倉時代の研究へ下って来たのに反して、宣長が大体に於いて源氏から古事記へと溯ったに比して反対であったのである。
○もののあはれ
古今集の序に「やまと歌は人の心を種として萬の言の葉とぞなれりける」とあるその心が「もののあはれ」であるとしている。この心は即ち感情をさしたものであって、感情が物にふれてあらはれたのが歌であり、その偽らざる人間の感情の表現そこに歌の本質があるとするのである。
○真淵も宣長も理智的傾向の多い感情を退ける。
○純粋感情・・・恋愛・・・偽らざる感情。
§源氏物語論としてのもののあはれ
蛍の巻 きてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを
*見せつきつきしく、つづけたるはたはかなしごととしりながらいたづらに心動き云々
源氏物語のまなこである。
物語が人の心を握えるのは実を実として表すのではなく実を虚とし、また虚の中に実をあらわすからである。
*よきさまにいふとてはよきことのかぎりをえり出で
かくの如く源氏物語の中からつかみ得た「もののあはれ」が虚実の詞によって表される様に、事実を美化し現実を理想化したと共にその美化の中に人間の真情をうつそうとする態度をさしている。
○実を虚を通じていっそう痛切に感動させる。
○虚の中から実の花火がひらめく体の虚であってこそ真の美。
§古今集の批評に於ける「ただことうた」と「しらべ」
○万葉集は自然のままに終るために終止形が多く、古今集は語尾に於いて感情を高潮させるために已然形・連体形が多いのであり、その傾向が更に進むと体言止になる。
○小沢蘆庵と香川景樹
○現実中心とする傾向と尚古主義
◎小沢蘆庵
○春海・宣長と同時代
○「ただことうた」・・・中心観念
あるがままの感情をあるがままに表現する。
俳諧における鬼貫の俗談平話の立場と非常に類似しているのであって「庭前に白くさいたる椿かな」の句が表している。
○蘆庵が我々の言葉をもって表現するのがもっとも自然のままの表現であるとしたのは、真淵の万葉集の語彙を以って表現するという誤を正したと共に、また千蔭・春海等の不徹底なる点を徹底せしめたといえるのであり、そこにただことうたの意義があると思う。この点から推して行くと、蘆庵を古今主義と稱することは第二義的のものとなるのであって、本来の意味に於いての古今主義ではないのである。
○同情と新情
◎香川景樹 「しらべ」
は時代からいうと宣長・蘆庵よりは一時代を隔てて文化から天保にかけて活動したのであるが、その立場は蘆庵の説を継承して居るのである。彼は貫之を崇拝しており古今集を重んじた点に古今主義の流れに入れることが出来るのであり、当時の人物としては蘆庵を重んじて居り、宣長に対しては、その学問をゆるしているのであるが、真淵に対しては常に対して彼の著書は真淵の学説の非難から出発して居るのである。
・・・
蘆庵の学説も真淵から出て居る如く、景樹も彼が極力排斥している真淵の学説を基礎としているのであって、それに宣長の学説を多少とり入れて居る観がある・・・。景樹の説はそれ以前の万葉・新古今・古今派を統一しようとしたかの観がある。
*歌は理るものでなく、調ぶるものである。
香川景樹の弟子熊谷直好と八田知紀との論争
(景樹の調べの説に対する解釈の相違。)
§近世的文学評論の内容
(a)「まこと」の文学
鬼貫と芭蕉 殆んど同時代
鬼貫のまこと
「ひとりごと」
つらつらよき歌といふをおもふに、詞に巧みもなく姿に色品をもかざらず只さらさらとよみながしてしかも其心深し。
然しながら鬼貫自身はこの「まこと」論に終始して新しい発展は見られなかったらしい。「まこと」の上にたった自然は人生は、如何なるものであったかという解釈は鬼貫と同時代の芭蕉に於いて見出される。
(b)「さび」の文学論
寂びの文学論は「まこと」の論の発展であると共に、中世における幽玄論が近世において新しく見直されたものであろう。
(i)不易と流行
相まって「風雅のまこと」が生じる。
(ii)さびの内容
・・・而して、彼(芭蕉)は自然の本質が閑寂であると考えたのみならず、人間生活もこの閑寂の上にたつものであり、俳諧そのものもこの閑寂を基調とすると認めた所に、彼に於いて自然と人生及び芸術と生活とがすべて一に融合するのである。
芭蕉が万代不易と一時の変化との究まる所は一であるとし、それは風雅の誠であるとした。風雅の誠というのは誠を風雅化した所に、風雅の本質があると考えたのではなかろうか。鬼貫は「まこと」をといてこれを風雅にするまでには至らなかった。芭蕉は自然と人生と芸術とを「寂び」に統一することによって風雅の誠を建設したと言はれるであろう。
○芭蕉・・・社甫の詩を愛した。
芭蕉が曲水に与えた書簡に
遙かに定家の骨をさぐり西行の筋をたどり、楽天が腸をあらひ、社子が方寸に入るやから、わづかに都鄙をかぞえて十の指をふさず。
○花守や白き頭をつきあはせ 去来 さび色のあはれな句
○卯の花の絶間たたかんやみの門 去来 句の位よのつねならぬ
○鳥どもが寝入りて居るか余許の湖 路通 細みあり
○十団子も小粒になりぬ秋の風 許六 しをりあり
文学論上に於ける「人生主義」「芸術主義」との完全な統一が「寂び」である。
(c)「離俗」と「やさしみ」
蕪村(天明期)・・・「新花摘」
は俗語を用いて居るが、而も俗を離れた境致に俳諧を認めている。これは芭蕉が実を虚にした態度、あるがままの世界のうちに一の理念を見出そうとする点と同一である。而もこの場合に蕪村と芭蕉との立場は相違して居った。
書を読むことにより離俗と得んとす。 自然没入、静寂
○芭蕉を重んじた事は事実であろうが彼の態度としては、其角をも重んじて居ったと思う。
○蕪村は読書によって離俗の境を得たのであって、そこに芸術主義的態度をとり、又、芸術内容としては「やさしみ」又は古典美を中心とし、彼が芸術のあくまで個性的なものであるべきを主張した点に、彼独自の俳諧を創造した点がある。
(d)「をかしみ」の文学論
一茶・・・自己の生活(蕪村より芭蕉に態度に於て近い)
おらが春
人生に対する真心 親子の愛
○人生主義的立場
一茶の「をかしみ」は「まこと」を根底としていた。
(e) 勸善懲悪主義の文学評論
勧善懲悪(主義)思想の根據たる道徳を見るに、儒学そのものよりも、むしろ、当時民衆生活の上に力のあった心学等から得。
○馬琴は小説をば学問より劣ったものとして居ったのであるが、而もなお、小説が人生に対する多少の意義として、この勧善懲悪的道徳観をこれに見出して居った点にあるのである。
○当時の一般道徳から来た"善"と"悪"、
○八犬士は彼の考える善の観念を分解して表したものと思はれるもであって、仁義禮智信忠孝悌は即ち善の内容であり、悪は是等の道徳律と相反する観念である。