コンプレクス [英]complex [独] Komplex [仏]complexe 川村光毅のホームページへ
“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用
本人にとって無意識的で、一定の情動を中心に集合し、しかも感情、態度、行動その他の精神生活に強い影響力をもつ一群の観念や記憶の集合体をいい、「観念複合体」と訳される精神分析的概念。これらの観念群は、幼児期の対人関係の中で形成され、苦痛、嫌悪感、恐怖感、劣等感、羞恥感その他をもっているので、抑圧されて無意識化されているのが常で、その結果、自我の統制に従わぬ情動的な力を振う自律性をもつ。しかしこのコンプレクスの概念は、やがて一定の共通性をもった条件・状況から生みだされ、各個人それぞれに共通して働く、より普遍的な心理的な情動反応や葛藤のタイプを意味する用語として用いられるようになった(例えば、マザー・コンプレクス、一人っ子コンプレクス、劣等コンプレクスなど)。一般に、コンプレクスという用語を上記の定義の意味で最初に使用したのは、ユングC.G.
Jungであったといわれているが、実際には、すでにブロイアー J.
Breuer (1895)が「ヒステリー研究」においてジャネP. Janetの考えを拡張して、ほとんど同じ様な意味でコンプレクスという言葉を用いている。つまりブロイアーは、ヒステリーの病因として働く無意識的な観念・記憶の集合体を、コンプレクスとよんだのである。そしてそれ以後にユングは、言語連想が情動的な要因によって遷延する事実に着目し、意識的な統制に服さない心的過程が連想を妨害すると考え、このように連想検査において、刺激語に対する反応に影響を与えるような、無意識的な心的過程で働く心的内容の集合をコンプレクスと命名し、これらのコンプレクスは、中核となる要求と2次的に連想される観念の連鎖からなると考えた。またユングは、個人経験を越えた普遍的な観念複合体を「普遍的無意識」とよんだ。これに対してフロイトS.
Freudは、このコンプレクスという用語の使用に対しては、その記述的用語としての価値を認めながらも、未だ学術的には正確な概念ではないという理由からあまり積極的でなかった。とくにコンプレクスが、共通の条件・状況下で形成される普遍的な心理的タイプや傾向を理解する用語として用いられれる動向に対しては、その結果個々の人物の心的特殊性が見失われるおそれがあるという意味で、批判的であった。その結果フロイトは、コンプレクスという用語をほとんどエディプス・コンプレクスに限定して用い、それらの構成要素ないしその拡大という形、例えば家族コンプレクス、父親コンプレクス、母親コンプレクス、去勢コンプレクスなどでしかこの用語を用いなかった。その場合、コンプレクスはむしろ対人関係の基本的な構造、つまり、各個体がその中で自己の個別性を表現してゆく心的な枠組みという意味で用いられたのである。例えば、「エディプス・コンプレクスは、別の子どもが生まれてくると、拡大されて家族コンプレクス(Familienkomplex)になります。その場合家族コンプレクスは、新たに自分の利益がそこなわれてるのを防ぐために、上の子どもが弟妹を憎悪心を以って迎え、利己的な願望に基づいて、一も二もなく排斥してしまう動機づけとなります。そればかりか子どもたちは、通常このような憎悪心に対しては、両親コンプレクスから生ずる憎悪心に対してよりも、はるかに言語的表現を与えやすいのです…」
精神分析領域で用いられるコンプレクスという用語には、このほか、劣等コンプレクス、カイン・コンプレクス、阿闍世(あじゃせ)コンプレクスなどがある。なお、フロイトが抑圧された無意識のコンプレクスが、形を変えて表出された無意識のコンプレクスが、形を変えて表出される場合として解明したのは、神経症の症状、夢の顕在内容、失錯行為などであり、さらにライヒW.
Reichによって性格がこれに加えられた。
(小此木啓吾)