意識中枢 [英]center of consciousness [独]Bewubtseinzentrum [仏]centre de conscience 川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 意識という言葉には種々の意味があるが、ヤスパースK. Jaspersのように意識を「現在の瞬間における精神生活の全体を意識という」というふうに広く定義すると、意識の中枢というようなものは考えられない。ふつう意識中枢という場合の意識とは「覚醒」とほぼ同義である。すなわち、目ざめていて周囲に注意をくばり、ヒトにおいては見当識が保たれ物事を正しく領識しうる状態を意識が保たれているという。このような意味での意識にとくに関係が深い部位は、ひとつの限局した脳部位ではなく、覚醒状態を支えるためのひとつの機能系、すなわち覚醒系として考えられている。歴史的にみると、マウトナー L. Mauthner (1890)やエコノモC. von. Economo (1926)らは嗜眠性脳炎患者の脳の病理組織学的所見に基づき、視床下部後部から中脳水道周囲の灰白質に覚醒中枢を、視床下部前部に睡眠中枢を想定したが、その後ヘスW.R. Hess, ランソンS.W. Ranson, ナウタW.J.H. Nautaらの研究により、このような見解がほぼ支持された。マグーンH.W. Magoun (1949, 1952)は、解剖学的ならびに神経生理学的知見に基づき、覚醒状態を保つための機構として上行性網様賦活系を提唱し、中脳網様体から視床汎性投射系を介し、あるいは直接に大脳皮質に広汎に投射する系が覚醒状態を支えると考えた。さらにジャスパー H. Jasperは、中脳網様体は意識の基盤をなす覚醒水準の維持を、視床汎性投射系は同じ意識のうちでもこれよりも分化した注意、統合などの機能をいとなむものとした。これに対してゲルホルンE. Gellhorn (1953)は、覚醒系として中脳網様体よりも視床下部を重要視し、視床下部後部に賦活系(覚醒系)、視床下部前部に抑制系を考えた。時実(1960)はマグーンとゲルホルンの考えを統一して、中脳網様体は大脳新皮質にたいする賦活系、視床下部は旧・古皮質(辺縁系)に対する賦活系で、そのうち視床下部後部は古皮質(海馬など)、視床下部前部は旧皮質(梨状葉、扁桃核など)に対する賦活系であると考えた。彼によれば、視床下部や辺縁系と中脳網様体とのあいだにも密接な関係があり、中脳網様体と視床下部とでは、後者がより基本的な調節をしており、視床下部の賦活作用は、ここに入る神経性インパルスによるほか、体液性要因によっても駆動されていると考えられる。以上のように、現在の段階では、意識あるいは覚醒状態は視床下部、中脳網様体を中心とする賦活系・抑制系の相互作用によって調節され、そのうち覚醒系としては中脳網様体、視床下部後部が、抑制系としては視床下部前部、尾状核、視床汎性投射系、延髄網様体などが主役を占め、これらの賦活系、抑制系に対して各種の体感覚性、内臓感覚性の上行性神経インプルス、体液性要因、内的インプルス(意志など)などが入力として入り、これらの系を駆動するものと考えられている。

(大熊輝雄)