モラトリアム [英][仏] moratorium [独] Moratorium 川村光毅のホームページへ
“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用
本来モラトリアムとは、支払猶予期間、つまり戦争、暴動、天災などの非常事態下で、国家が債権債務の決済を一定期間延期し猶予することによって、金融機構の崩壊を防止する措置のことであるが、エリクソン E. Erikson(1956)はこの言葉を、人間の発達を可能ならしめる一定の準備期間を意味する精神分析用語に転用した。そしてエリクソンは、精神・性的猶予期間(psycho-sexual moratorium)、心理・社会的猶予期間(psyho-social moratorium),歴史的猶予期間(historical moratorium)などの形でこの言葉を用いている。精神・性的猶予期間は、性的な成熟が延期されるフロイトの潜伏期(latency period)に相当し、この期間中に子供は将来の技術学習や労働状況への適応のための準備を整える。心理・社会的猶予期間は、性的には成熟した青年期の個体が、異性愛能力や親になることへの心理・社会的準備、自由な役割実験などを社会的遊び(social play)を通して試み、社会の中に自己の適所を発見するための準備期間である。そして社会は、何らかの形で公認された子供時代とおとな時代の媒介期間として、「制度化された心理・社会的猶予期間」を青年に提供している。この期間中に青年は、最終的な自己定義や非可逆的な役割、人生への誓約などを見出し、遊びや実験的な冒険性によって特徴づけられる子供時代からの同一化(複数)を新たな同一化によって再選択し、秩序づけ、階層づけ、内的同一性(自我同一性)の永続的パターンへと統合してゆく。「歴史的猶予期間」とは、特定の集団同一性(たとえばイスラエル国家の同一性)が形成される際、その同一性が同一性として確立されるまでに要する準備期間のことである。たとえば、イスラエルが独立前に、トルコ帝国の、ついで英国の統治領として、パレスチナという特異な国際的民族的地位を与えられた期間をもったことが、このような歴史的猶予期間の意義をもつ、とエリクソンはいう。
(小此木啓吾)