了解 [英]comprehension [独]Verstehen [仏]comprehension 川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 精神的なものを内的、直観的にとらえること。精神科学固有の認識方法であって、自然科学的な認識方法である因果的説明に対立する。この概念はヤスパース K. Jaspersによって精神病理学に導入されたもの。了解は「静的了解」(statisches V.)と「発生的了解」(genetisches V.)とに二大別される。前者は体験された個々の心的なものをそのままにとらえることであり(現象学)、後者は心的なものが心的なものから生じるのを了解することである(了解心理学)。発生的了解には、それがたしかであるという究極的な明証体験がともなっている。しかし了解というものはいたるところに限界をもっており、了解できぬものにいきあったとき、この明証体験は動揺し、そこから先は因果的に説明される。また了解は意識されるものの範囲にとどまるが、その範囲を意識外のものにまでひろげて了解することがある。たとえばヒステリーの場合のように、心的なものが無意識的に作用して感覚障害や運動障害をひきおこす。しかし意識外のものは本来了解できぬ対象であって、このような了解は「かのごとき了解(als ob Verstehen)」といわれる。ヤスパースは、フロイト S. Freudが了解する多数の現象はこのような了解であるとしてきびしく批判している。
了解の種類にはほかに次のようなものがある。現象学的了解(phanomenologisches V.):患者の自己描写によってその体験をわれわれの心のなかに描きだすこと。表現了解(Ausdrucksverstehen):運動の身振りや形姿における心的意味を直接に知覚すること。合理的了解(rationales V.):合理的内容(たとえば妄想内容)をただ理論的思考によって了解すること。感情移入的了解(einfuhlendes V.):心的なものに身を移し入れ、追体験して了解すること。

(小見山実)