エスキロール Jean Etienne Dominique Esquirol 1772〜1840 川村光毅のホームページへ
“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用
19世紀フランスの精神医学者。ピネル P. Pinelの弟子として師の仕事を完成させた。サルペトリエールやシャラントンの精神病院につとめ、病院の設計に工夫をこらし、医師・患者間「友愛的交流」につくし、また1838年にはフランスの精神障害者に関する法律制定に参与した。ピネルと同様に理論よりも臨床研究を重要と考え、また精神病の原因として精神的なものの役割を重くみた。同時に環境因子の力を強調し、「各世紀の支配的概念が精神病の頻度と種類につよく影響する」と述べた。また遺伝因子・器質的因子をも原因としてみとめたので、彼が育てた弟子たちの中からは多くの身体主義者が出ている。エスキロールはピネルの疾病分類にかなり手を加えたが、その中でもとくに論議の種となったのは、ピネルもすでに用いたモノマニー(monomanie)ということばを広範な精神病理現象を包括するものとして規定したことであった。エスキロールによれば、モノマニーは人知が進めば進むほど人がかかりやすい病気で次の種類に分けられるが、知能がそこなわれない点が共通している。(1)知的モノマニー(体系化した妄想を伴う)。(2)感情的モナマニー(感情と性格の異常を伴う)。(3)本能的モノマニー(放火、殺人、酩酊などの行動へと不可抗力的にひきずられるもの)。以上の3種のうち、とくに第一の知的モノマニーでは、妄想・幻覚はあるものの、それを除いては判断力や論理にまったく異常なく、感情や行動も正常であるから「理性ある狂気」(manie raisonnante)と呼ぶこともできる、とした。その後これは仏独の学者の注目のまととなり、いわゆるパラノイア問題へと発展していった。さらにエスキロールは憂うつな感情を伴うリペマニー(lypemanie)をモノマニーと対立する概念として提唱し、リペマニーはもともとメランコリックな気質の人がかかる「部分的妄想」であると考えた。
(神谷美恵子)