クレッチマー Ernst Kretschmer 1888〜1964 川村光毅のホームページへ
“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用
チュービンゲン学派を代表するドイツの精神医学者。豊かな芸術的直観と厳密な科学的精神によって、妄想論、体質・性格論、精神療法論などの広範な領域に独自な完結した学問体系を打ちたてた。大学卒業後ウィネンタール州立病院を経てチュービンゲン大学のガウプ
R. Gauppに師事し、1914〜18年には第一次大戦のため軍医となり、1918年教授資格を取得、1926年マールブルク大学教授となり、1946年チュービンゲン大学教授に転じ、1959年に退職、1964年に死亡した。
ガウプとの運命的出会いによって創造性が開化し、チュービンゲン時代に彼の主要著作のほとんどを完成した。彼は有名なガウプの症例ワーグナーとは対局的な視点から敏感性格者の妄想形成を分析し、「敏感関係妄想」
Der sensitive Beziehungswahn (1918)の中で、敏感関係妄想が特定の人格構造と特定の葛藤状況(鍵体験
Schlusselerlebnis)から出現し、人格、体験、精神病が一つの完結した全体をつくることを明らかにした。この著作の意義は大きく、妄想一般の成立機制の解明に寄与し、妄想疾患への精神療法の可能性を開くことになる。第一次大戦中、軍医として戦争神経症、器質的疾患に対する臨床経験を深め、この間の症例をもとにヒステリーの心理機制を、ヒステリー習慣、随意的反射強化法則、ヒステリー意志装置として総括して「ヒステリー・反射・本能」Hysterie,
Reflex und Instinkt (1922)にまとめた。この間の治療経験は後年の激励法、分画能動催眠法などの精神療法となって結実する――「精神療法研究」
Psychotherapeutische Studien (1949)。後年彼が個体発生、系統発生的観点に立ち、精神生理的層次理論を確立し、下層意志−下層知性機制などの学説を展開するようになるのも当時の経験に負うところが大きい――「医学的心理学」Medizinische
Psychologie (1922)。ここで見のがすことのできない歴史的事実は、当時出会った脳外傷後に妄想反応を呈した兵士の症例が彼の多元診断の古典的図式を提起する契機となったことである。多元診断とは、ある病像の病因となるさまざまな因子を分析することであり、同時にそれは多面的な治療への道を開くものである。彼の後半生の研究生活の主要な部分を占める体格と性格に関する最初の構想はウィネンタール州立病院に勤務していた頃にさかのぼるものであり、ある種の精神疾患には一定の体格が対応していることに気づいでた。このことから彼は精神疾患から性格異常を経て正常の性格特徴にいたる連続した系列を仮定し、正常な性格特徴においてもある種の体験との関連のあることを実証することになる――「性格と体格」Koperbau
und Charakter (1921)。
彼の学問的体系を一貫して特徴づけているものは、たがいに相反するものが一つとなって機能する両極性の原理によって構成される類型学である。この特徴は彼の人格構造と無関係ではない。彼は体型的には肥満型であり、性格的には循環気質の際立った特徴を備えていたが、同時にこれと鋭い対照をなす分裂気質の側面を有していた。また彼は疑いもなく敏感性格者であり、強力性と無力性の部分とがあった。その内的葛藤が彼の場合には敏感関係妄想という形をとる代りに天才的創造活動を生みだしたのである。彼が「天才人」Geniale
Menschen (1929)をあらわしたのも故なきことではない。
(飯田 真)