ピネル Philippe Pinel 1745〜1826  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 フランスの精神医学者で近代精神医学の創始者と目されている。トゥルゥーズとモンペリエの両大学で学び、生命論、百科事典主義、イギリスの感覚論や経験主義等の影響をうけ、さらにイギリスのテュークW. Tukeが1796年に開設した精神病院 York Retreatについても知っていて、イギリスのmoral treatmentの伝統に敬意を抱いていた。私立精神病院の医師、「保健新聞」誌の編集者など種種な仕事に従事したのち、公立精神病院ビセートル(1783〜5)、サルペトリエール(1795〜1826)付の医師に任命され、のちにパリ大学で衛生学、病理学の教授となり、ナポレオンの侍医もつとめた。フランス革命時代、1793年に彼がビセートルで永年鎖につながれていた精神障害者を解放したことは、精神医学史上、新しい時代を画する象徴的な行動として後世に影響を及ぼした。精神病者も人間として処遇されるべきである、との考えをピネルはイギリスのフェリアJ. Ferriarから学んだと述べており、現代から見れば多くの限界が認められるにせよ、彼の実践上の方針は当時としてはきわめて新しいものであった。盲目的に多くの薬を使うことに反対し、患者の衛生、食事、病院内管理、職員の態度、信頼にみちた温い雰囲気の大切なことを強調したのである。学問上のしごとは下記の著書にまとめられ、諸外国語に訳された。英国の精神医たち、とくにカレンW. Cullenの影響をつよくうけ、理論的体系づくりよりも患者を細かく順序立てて観察し、記述することを重要視した。これはその後フランスの精神医学の伝統の一つとなっている。ピネルは疾病分類をもこころみているが、それは次の通り、かなり雑然としている。疾患の第4網が精神疾患(nevroses)とされ、これが次の5類に分けられている。(1)感覚のnevroses(以下n.と略す)、(2)脳機能のn. (1.昏睡 2.ヴェザニー[ヒポコンドリー、メランコリー、マニー、痴呆、夢遊、恐水病など])、(3)運動と発声のn., (4)摂食機能のn., (5)生殖機能のn.。ピネルは器質論的先入観を持つことをあくまでも排したから、彼の精神医学は心理学から出発したものといえ、この二つの学問の密接なつながりはその後フランスの伝統の一つとなった。ピネルの歴史的意味は何と言っても「精神病者の解放」の象徴となったことだが、この解放事業はその後彼の弟子たちや諸外国で多くの努力が試みられてきたにもかかわらず今なお完成していない。

(神谷恵美子)