フロイト Sigmund Freud 1856〜1939 川村光毅のホームページへ
“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用
I. 神経学時代 (1)神経系の組織学的研究:1876〜1882年、ブリュッケ
Er. Brickeの生理学研究室で、ブリュッケを通して、デュボア・レイモン
Du Bois-Raymondやヘルムホルツvon Helmholzらの唯物論的生理学およびダーウィン
C. Darwinの進化論の影響を受けた。(a)下等動物の神経細胞が、高等動物のそれと進化論的連続性を示す事実の実証を試みた(ヤツメウナギの脊髄索におけるライスネルの特殊細胞を、脊髄索にとどまっている脊髄神経細胞として確証、魚、高等脊椎動物、ヤツメウナギそれぞれの脊髄神経細胞が二突起両極性、単極型、T型分枝―両極―移行型などの構造をもつ事実の証明など)。(b)やがて、1882〜1883年に「神経系の諸要素の構造」と題する講義で、神経線維が伝導路の機能を果たすこと、神経細胞と神経突起が一単位をなすこと、つまり今日のニューロン(神経元)理論の基礎となった着想を発表。(c)神経組織の標本染色技術に幾つもの業績をあげる(硝酸とグリセリンの混合物を用いるライヘルト法の改良。金塩化物による神経組織の染色法など)。
(2)神経病理学的研究
II.精神分析時代 (1)神経症の治療から精神分析へ:
III.その生涯
IV.フロイト像とその影響
(1)フロイト理解の方法:かつては、汎性欲主義者としてのフロイト像が大衆化していたが、現代のフロイト理解の方法としては、(a)フロイトの臨床的な経験と方法を継承し、これを基礎に、その理論を取捨・選択、修正・発展させる立場(フロイディアン、ネオ・フロイディアン、クライニアン、自我心理学派の精神分析医、力動的な精神医学者)、(b)フロイトの著作に表現された理論、概念と臨床的実践とのギャップを批判し、フロイトの人間理解を再構成する試み(ボスM.
Bossの現存在分析など)、(c)フロイトの著作を徹底的に再検討し、フロイトを解釈する試み(ラカンJ.
Lacan学派、リクールP. Ricoeurなど)、(d)フロイトの伝記、書簡などの資料から、その主体的背景と自己分析を手引きとして、臨床的方法や理論の展開を再解釈する試み(マノーニ
M. Mannoni, 小此木ら)(e)フロイトの人間観、世界観の基礎を批判、別な人間観、価値体系、方法論(たとえばマルクス主義)との再統合を行なう試み(ネオ・フロイト派、ライヒ、マルクーゼ
H. Marcuse, フロム E. Fromm,
ビンスワンガー、ボス、ラカンなど)がある。
(2)フロイトと精神医学:フロイトに対する評価は、当然、以上のフロイト理解の方法論によって規定されるが、一般的に承認されている、精神医学に対するフロイトの貢献としては、(a)現代の神経症学の基礎(病型分類、心的機制)を確立し、ひいては無意識的な心身相関機制の解明を通して、心身医学の誕生を準備すると共に、神経症および精神病の症状の意味の解釈方法を生みだし、それらに対する精神療法的接近への道を啓いた。(b)医学的な精神療法、とくにフロイト的治療態度、精神療法医としての職業的アイデンティティの確立、一対一の二人称的治療関係を介して人間(自己および他者)を理解してゆく、対話的(自己分析的)な心理学的解明方法をもたらした。(c)正常と異常の境界を越えた、無意識の心理学(精神力動論)を展開し、とくに局所論、精神構造論(精神内界論)、力動論、適応論、経済論、発達論(生活史的方法)、対象関係論、自我心理学などの各見地と、症状のみならず夢、失錯行為、芸術、その他あらゆる人間の行為や心的現象の無意識的意味(動因)を解釈する方法を、精神病理学、心理学に導入した。
(3)思想家フロイト:フロイトは医学領域を越えて、社会科学の各分野にはもちろん、広く現代思想・哲学に多大の影響を及ぼしたが、かれ自身は、19世紀西欧的な個人的合理主義、普遍的知性による人間の連帯、衝動的なものの自我の超克を理解する科学的世界観に立脚し、ダーウィンの進化論を信奉し、人間を一個の生物としてどう位置づけるかという意味での「自然人」(homo
natura)の理念を抱いていた。そして、「自然人」の基本条件は、その本能論(エロスとタナトス)とエディブス・コンプレクスに代表されるように、(a)生と死(生の本能と死の本能)、(b)親(世代)と子(世代)(依存と継承)、(c)男性と女性(その生物学的差異と性本能)の三大対立から構成されるが、この基本条件を究極のもとしてみなして、あらゆる人間の心理学―社会的現象を理解し、この現象を介して自己の成り立ちを洞察する営みを通して、それまで無意識であった生物学的な存在を超克する自我(意識)の確立を目指すのがフロイトの基本思想である。たとえば思想・哲学界におけるフロイトの影響は、キリスト教、マルクス主義、実存主義、仏教、プラグマチズム、構造主義などとの出会い、論争、批判、総合などの形で発展しているが、このような動きは、とくに無意識の解放を目指すブルトン、ダリらのシュールレアリズム、サルトル
J. P. Sartre, ボーヴォワール S. Beauvoir, ファノン F. Fanon, メイラー N.
Mayrerらの実存主義、性(エロス)の解放―自己変革を介しての社会革命を説くライヒ、マルクーゼ、フロイトの合理的個人主義倫理を基本とするフロムの人間主義的な社会哲学などをあげることができる(フロイト以後の精神分析については「精神分析」の項を参照)。なお、フロイトの自伝としては「自らを語る」(1925)、「精神分析運動史」(1914)、書簡集としては「書簡集」(フロイト選集8、人文書院)、伝記としては、E.ジョーンズ「フロイトの生涯」(竹友安彦訳、紀伊国屋書店)、小此木敬吾「フロイト――その自我の軌跡」(NHKブックス)、M.マノーニ「フロイト」(村上仁訳、人文書院)その他がある。
(小此木敬吾)