ユング Carl Gustav Jung 1875〜1961  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 スイスのケスヴィルに牧師の子として生まれた。バーゼル大学医学部を卒業後、チューリッヒ大学の精神科でブロイラー E. Bleulerの指導を受けた。フランスに留学しジャネP. Janetの下で研究し、帰国後、言語連想法の実験による研究を発表し有名となった。精神分裂病者の妄想や幻覚内容をできるだけ理解しようと努め、無意識の心的過程の存在やコンプレクスの存在を仮定するようになる。精神病者の妄想や幻覚内容を心理的に了解しようと試み今世紀の始めに行ない、症例について発表を行なったが、これは精神分裂病者に対する心理療法的接近の幕開けとして記録すべきことと思われる。1907年フロイト S. Freudと知り合い、精神分析学の発展に寄与するが、1913年には早くも両者は離反することになる。ユングは主として精神分裂病者に関心をもち、フロイトは神経症者に興味を抱いていた点もあって、ユングは無意識を二層に分け、個人的無意識と普遍的無意識として把え、人類に普遍的な無意識の深層から生じる心的内容として、分裂病者の幻覚などを神話、昔話、夢などと比較して研究しようとした。このような考えに基づいて1912年に出版した「リビドーの変遷と象徴」Wandlungen und Symbole der Libidoは両者の別れを決定的なものにした。フロイトと別れた後ユングは強い方向喪失感に襲われ凄まじい内的体験をもつが、この間におけるかれ自身の体験が後年における学説の発展の基礎となった。1919年に初めて元型(Archetypus)の概念を明らかにした。それまでも分裂病者の幻覚と古代の宗教書にあるヴィジョンの類似性を指摘し、それをブルクハルト J. Burckhardtの言葉をかりて原始心像などと呼んでいたが、普遍的無意識内における表象可能性としての元型と、それが自我によって把握されたものとしての元型的心像とを分けて論じるようになった。1929年には自己(Selbst)の概念を明らかにし、それ以後は自己実現の過程について夢分析を通じて知ることに力をつくす。1944年バーゼル大学教授となるが病気のため一年で退職、以後は治療と研究に専念した。1961年に86歳で没したが、その研究はチューリッヒにあるユング研究所において受けつがれている。

(河合隼雄)