ビンスワンガー Ludwig Binswanger 1881〜1966  川村光毅のホームページへ

“精神医学事典”、加藤正明、保崎秀夫ほか編集、1975,弘文堂 より(その後1993に新版)引用

 スイスの精神医学者で、現存在分析の創始者として知られる。祖父(Ludwig)がボーデン湖畔のクロイツリンゲンに建てた精神病院(Sanatorium Bellevue)の院長を1911年から1956年までつとめ、その後も85歳で没するまでその地を離れなかった。医学をローザンヌ、ハイデルベルク、チューリヒで学び、1906年にブロイラーE.Bleulerの主宰するブルクヘルツリに入ったが、ここで医長をしていたユングC. G. Jungと親交をむすび、その仲立ちでフロイトS. Frendとの友情が、ひいては精神分析との関係が始まる。1908年にはイェーナの叔父(Otto Binswanger教授)のもとで助手になり、この間に精神分析を適用したヒステリーの症例研究などを発表しはじめるが、1910年には父(Robert)が死亡したため、クロイツリンゲンにもどって病院経営を引き継ぎ、これ以後二度と大学へは戻らなかった。1910年代の実践と思索は彼の最初の著書『一般心理学の諸問題への入門』Einfuhrung in die Probleme der allgemeinen Psychologie(1922)として実ったが、ビンスワンガーがフッサールE. Husserlの現象学への施回とともにフロイトからの道を独自にあゆみはじめるのはそれ以後で、歴史的に展開する全体としての人間を現象学的に把握しようとする努力は1920年代に一貫してつづけられる。この時期を代表する論文には「生命機能と内的生活史」(1928)があるが、そのころには哲学界にハイデガーM. Heideggerの台頭などもあってその影響をうけ、「第二の転回」をへて1930年以後には彼の現存在分析論(Daseinsanalytik)に立脚した人間存在への接近がこころみられる。『夢と実存』Traum und Existenz(1930)はこうした転回の第一作であり、ここでは、フッサール現象学的方法に拠ってはいるが、すでに「世界内存在」(In-der-Welt-Sein)としての現存在というハイデガー的把握に立って、人間存在に独自の意味方向である「上昇と落下」の人間学的本質特徴を描き出している。その臨床的な成果が躁病者をあつかった「観念奔逸」(1931〜32)であって、ビンスワンガーはここで観念奔逸者の世界を一つのまとまった意味あるものとして理解しようとこころみる。こうした1930年代の努力をとおして、現存在分析(Daseinsanalyse)とよばれる考察方法がしだいに確立され、ドイツ語圏の精神医学にも多くの影響をあたえる。1940年以後のビンスワンガーは一方で精神分裂病の研究、他方でそれの基礎となる人間論へと向かい、前者の成果として『精神分裂病』Schizophrenie(1944〜53)や『失敗した現存在の三形式』Drei Formen missgluckten Daseins(1949〜56)が生まれ、後者からは『人間的現存在の根本形式と認識』Grundformen und Erkenntnis menschlichen Daseins(1942)が生まれる。1956年前後になって、ビンスワンガーはふたたびフッサールへの、とくに、その晩年の著述に認められる超越論的・自我論的現象学への関心をつよめ、それをもとにして1960年には『メランコリーと躁病』Melancholie und Manieを世に出し、つづいて1965年には『妄想』Wahnを発表したが、結局これが彼の生前に出した最後の本となった。

(宮本忠雄)